shock! sick! shit!










「全部で四針縫ってますからね。部活なんて当面は禁止。消毒のために毎日来てください。きょうとあしたは お風呂もだめだよ。抗生物質は一週間分出しておきますから、毎食ちゃんと飲んで。痛み止めは必要なくなったら 飲まなくてもいいからね」
 湘北高校近くで開業しているこの外科病院の医師は、ファイルをパタンと閉めると、丸椅子の上にちょこんと座った ガタイのいい生徒と、その後ろに突っ立つもっと頑丈そうな生徒を見比べて、ちょっと顔をしかめた。



 礼儀正しいというか、状況が分かっていないというか、物事に動じないというか、この生徒たちがここを訪れたとき、病院の 待合はちょっとしたパニックに見舞われた。
 なにせ、ところどころを血で染めたタオルで頭を覆った少年が、正面玄関からヌっと姿をみせたのだから。 彼に付き添う生徒――学生服を着ているから恐らくそうだろう――は慌てる様子もなく、いまは保険証の控えしかないことを 受付に告げた。
 その際の問診もいけなかった。窓口に座る事務員に症状を聞かれ、「頭を切りました」と答えたのはもっと頑丈そうな 生徒の方らしく、重ねて「出血は?」と問えば「へーき」と返ったものだから、「少しお待ち下さい」と、所謂、初診や支払い を待つ患者の待合場所を教えられたらしい。
 怪我や血には慣れている外科病院とはいえ、神経痛や腰痛でリハビリを行う老人たちに混じり、夕方の地域密着型 情報番組がオススメスイーツを紹介する長閑さの中で、この状態のふたりが大人しく肩を並べて座っているのは、はっきり 言って少し怖い。ざっとタオルか何かで拭いたらしいが、明らかに顔面を血で染めた怪我人だった。他の患者が、これは 暴力沙汰かイジメか。湘北の制服じゃないか。あそこはガラがよくないから、と、ざわめくのも無理からぬこと。
 カルテを持った看護師は、そんなちぐはぐな温度差の中で、長椅子の上で姿勢よくも厳つく腕組みした生徒に、怪我人の 少年が寄りかかってぐったりしている姿を見つけた。
「流川楓さん?」
「はい。これです。自分ではありません」
「それは分かりますけど、彼、ほんとに出血止まってるの?」
「本人の申告です」
「って、意識、あるの?」 「大丈夫です。眠っているだけですから」
「全然、大丈夫そうじゃないでしょっ。ちょっと流川さん。症状はもう少し正確に伝えてくださいねっ。頭の怪我で意識不明 って、ほんとに危ないんですから!」
 看護師は慌てて屈み込みペンライトで患者の瞳孔をチェックし脈を確認するが、ライトの眩しさを嫌ったのだろう、その手を パシンと払いのけられて、呆気に取られた。
「――オレの、眠りを妨げる――」
「えっ」
「流川っ」
 すっくと立ち上がりそうになる、一見重傷患者を付き添いの生徒は素早い動きで押し留めた。
 どうやらほんとうに眠っていたらしい。そして、ひとつの咳払いのあと、
「いつものことです」
 と端的に告げられた説明は、この意味不明な行動を指しているのだろうか。看護師は気を取り直して処置室にと促した。  そしてこの患者には四針の縫合処置が取られた。



 当然告げられる安静の二文字。蒸し暑くなってきたこの時期なら用心に越したことはない。頭の傷は見た目の派手さ ほど酷くはなくても、医者として言うべき言葉はひとつだ。
 なのに、
「そんなん無理っす。練習、休めない。インハイ予選が近い」
 ボソっと、それこそ口を尖らせて、麻酔の余韻が残る患者は言う。
「練習って、頭を縫ってるんだよ。化膿したらどうするんだ。いまはじっと大人しくしてなさい。無理して あとあとまで響いたら、困るのは君だろう」
「化膿なんかしねー。んなのしょっちゅうだから」
「しょっちゅうって、流川くん!」
 部活中に滑って転んで、なぜかそこに仕舞い忘れたモップがあって、角でざっくり切りましたなんていい訳、 だれが信じるんだと、医師の目が語っている。本人がそう言い切るから、学校や警察に通報なんてしないけれど、 虐待やいじめなどで躰を傷だらけにして病院を訪れる子供がふえている昨今。さらに体育会系の荒いシゴキが暴力につながる ケースもある。そんな可能性があれば医師の判断でしかるべき処置をとらなければならないのだ。
「部活中なら、顧問の先生はどうした?」
「なにぶん、高齢なので自分がついてきました」
 直立不動の状態から腰を折る高校生らしからぬ威圧感に、壮年の医師は、少し気圧された。
「わかった。トラブルじゃないんだね、流川くん」
「うす」
「でも約束は守ってもらうよ」
「無理」
「流川っ」
 腰を折ったままで怪我人の首根っこを抑える生徒の迫力に、担当医師の油圧式肘掛け椅子は、30センチばかり遠のいた。
「分かりました。自分がキチンと言い聞かせて、許可が出るまで休ませますので」
「センパイっ」
「ガキみたいに駄々をこねるんじゃないっ。この馬鹿もんが!」
 おまえも倣えとばかりにムリヤリ頭を下げさせ、威嚇するかのようなひと睨み。巨漢の一喝に部屋の隅っこまで後退った 医師はコクコクと頷くばかりだ。その隙に――とっとと、医師の前から脱出を図ったふたりだった。



 そして、翌日の放課後から一年十組のクラス前廊下に、バスケ部主将の姿が見られるようになった理由は、渋る流川を 病院に連行するために他ならない。HRから解放されて廊下に出ると、一番先に目に付く位置に彼は立っている。巨体を認めて 舌打をする暇も与えず外科医院に流川を放り込み、赤木はそのまま取って返して部活に向うのが日課となっていた。
 それがきょうで三日目。
 ことの起こりは、初日、病院からの帰りに流川を家まで送っていったのがウンのつき。
 出迎えてくれた流川の母は、想像以上に怜悧な美貌でたおやかに微笑んだあと、切れ長の瞳を大きく見開き、息子の包帯 姿にひと睨み入れた。
「またなの?」
 誓って言うが、この息子から無愛想を取っ払って、穏やかさと自然な笑顔をくっ付けた麗人にグラリときたわけではない。 責任感からだ。責任の一旦は間違いなくオレたち三年生にある。 超能力者じゃないんだからその後に続く展開を読めるはずもなく、赤木は、ただ、九十度近く腰を折り曲げた。
「湘北高校バスケ部主将、赤木剛憲と申します。部活中にこのような事態を招き、申し訳ありません」
「あらあら。こちらこそご挨拶が遅れまして。楓の母です。玄関先ではなんですからお入りなってください」
 そのあまりの折り目の正しさにわが子を振り返り、母は溜息しか出なかったが、そう促すと、彼は大きく手を振って固辞し、 医者から告げられた注意事項を端的に告げた。
「外傷のみで脳波に異常は見られなかったということですが、四針縫ってます。しばらく、毎日通うように言い渡されました」
「そうですか。ほんとうにお手数をおかけしました。わざわざ連れて帰ってくださったのね。で、あんた、なにやったの?  また喧嘩?」
「コケた」
 取ってつけたような片言だ。これじゃ、AIを組み込んだロボットの方がよっぽどマシな返事を返す。いかにこの横着もの の息子でもだ。それ以上はなにも言いませんとばかりに引き絞られた唇も、母の目からすれば怪しかった。
「喧嘩したでしょ」
「コケた」
「へぇ〜。コケたの? 弱いのは頭だけかと思ったら、とうとう足腰も弱ったってわけ? 一生懸命走りこみしても甲斐が ないわね、楓」
「るせー」
「エラそうに言ってんじゃないわよ。いったい、何回頭から血を流して帰ってくれば気がすむのっ。入学したてのあのとき だって、買ったばかりに制服、血だらけにして、穴開けて!」
「今回、ガクランは無事」
「そういうこと言ってんじゃありません!」
「どー言ったってキーキー煩せぇくせに」
「あんたが言わせてるんでしょ!」
「あ、あのお母さん――」
 つい、諌めるような口が出る。問題児軍団を率いる男の習い性のようなものだ。相手が違っても、たとえ親子でも、諌めて しまう己の律儀さが哀しい。
 流川の母も、他人を目の前にしてこれ以上親子喧嘩をヒートアップさせるのはマズいと判断したのか、コホンと咳払いを してその美貌を凄ませた。
「とりあえず、ちゃんと病院行きなさいよね」
「ふん」
「ふん、ってなによっ、ふんって! 縫ってるのなら消毒しなきゃならないんでしょ。横着してるとね、頭、腐っても 知らないからっ」
「んなわけねーだろ。どあほうが」
「親に向って、どあほうってなにっ。どあほうって!」
「差し出がましいようですがっ――」
 またしても口を挟んでしまった。
 ほんとうに差し出がましい。
 いくら主将といえども、そこまでする必要はまったくない。親子喧嘩を止める義理もない。成り行きからの行動とも 思えない。責任感だ。勤めだ。心のどこかで首を傾げながら、
「自分が毎日病院まで連れてゆきます」
 赤木剛憲、なにに突き動かされての衝動なのか分からないまま、ただ、そう言いきった。



――我慢できることと、できないことがある。
 流川がそれはそれは大切にしているものを、アイツらが踏みにじったから。
 凄惨さが残る体育館の後片付けをしながら、煙草の火を押し付けた跡の残るボールをつかんで、あのとき木暮はそう言った。
 我慢なんかできなかったんだ。
 無謀だけど。
 滑稽なほど一途で。
 その気持が、よく分かるから。
 あの場にいなかった自分を悔いているのかもしれない。



 そして三日目のきょう。
「もういいっす、センパイ。病院くらいひとりで行ける」
 湘北高校の校門を出たあたりで、後ろを歩く流川がポツリともらした。
「そういうわけにはいかん。おまえの母上との約束だ。経過も気になる」
 気になる。そう気になるんだと自分に言い聞かせ。
「慣れてるから、大丈夫っす。こんくらいの怪我で三日も、病院行ったことなんかない」
「こんなことに慣れてどうする。おまえも湘北の主力だ。スポーツマンならもっと躰を労われ。今回は仕方ないとはいえ、 喧嘩など問題外だ。売られたなら逃げるくらいの根性でバスケを慈しめっ。つまらん意地など捨ててしまえっ」
――こんくらいの怪我。
 無頓着で己の頑丈さにどこまでも傲慢な男に対し、フツフツと沸いてくる怒りは身の内を破り、とぐろを巻いて象を変える。
「センパイも、オヤと同じことを言う」
「当然だっ、おまえを心配して――」
 なにが悪い、と、流川の子供じみた言い草につい振り返ってしまった。だが、そこにある失望を含んだ漆黒の瞳は、赤木の 想像以外の場所で苛立っている。保護者のように高みから見下ろすなと言われている気がした。
――おまえはなにも分かっちゃいない。
 なぜ戸惑うのか。なぜ選ぶ言葉のひとつひとつに神経を配らなければならないのか。なぜ心配なのか。なぜ、いま、この 場にいるのか。
 それは自分も同じだろうと自嘲し、赤木は顎を上げ、
「大事に至らず、ほっとしている。おまえにもしものことがあったら――」
「もしものことがあったら?」
 こちらの混乱を見透かしたように重ねる後輩に、
「おまえをモップで殴りつけたという男、草の根を分けても探し出し、同じ目にあわせる」
 まっすぐ正面を切ってそう告げた。無愛想だった表情が揺らぎ、切れ長の瞳が束の間見開かれる。ウワサほど鉄面皮ではない らしいと、自分が放った言葉の威力をひとつも理解していない朴念仁は、あくまで保護者の立場を守ろうとした。
「とにかく、まだ医者の許可は下りていないのだろう。あともう少し我慢しろ。ちゃんと診察を受けて、そのまままっすぐ家に 帰るんだ、いいな」
「我慢できねーよ」
「なんだと?」
「きょうでもう三日目だ。我慢できるかっ」
 その分別が流川をワガママにしているなどと気づくはずもなく、また己の欲望に忠実な彼に適うはずもなかった。
 流川はキっと顔を上げる。
「いまから相手、してほしーっす」
「オレには部活がある」
「三十分。それから病院へ行く」
「治ればいくらでも出来るだろうがっ」
「いまじゃなきゃ、意味ねー」
「焦ることはなにもないんだぞ、流川」
「もーいいよっ。センパイは桜木の相手、してりゃいいじゃん」
「なにを言ってるんだっ」
 なぜそこにあの男の名が出てくると、赤木は彼の腕をつかんだ。引き寄せるつもりもなかったのに、思った以上に間近に ある流川の怒りに触れ、その底のない深淵に溺れそうになる。
 たかだか三日。一足飛びの成長を見せる桜木に追いつかれる心配をしているわけではなく、部活禁止が厭わしくてここまで 荒れているわけでもだろう。どんなにキツく止められても、自主練なら傷を負ったあの日ですらこなしていそうなバスケ 馬鹿だ。
――オレと。
 出来ないバスケを焦れていたのか。
 そう思って目を瞬くと、流川は自分の二の腕を目の高さまで持ち上げた。そこに食い込んで離れないのは間違いなく赤木の 指だ。
 恐らく跡がくつほどにきつく。
 だから流川は希う。
「相手してください」
――なぜ、オレはコイツにこれほど甘いのだろう。
 赤木は深く嘆息を吐いた。
「ボールは持っているのか?」
「うす」
「三十分だな」
「うす」
「ぶり返しても知らんぞ」
「大丈夫っす。オレがしてーから」
 まったく根拠のないこの変な自信はどこから来るのか。
 痛いほどに握り込んだ指を離せない。夕陽が反射して流川の表情も伺えない。なのになぜか、ふっくらと綻んだ気がして、 満足して、こっち、こっちと促す彼の後をついて歩く赤木だった。




end