〜2
つまんねー夢見やがってというのが正直な感想だ。
とうとうあの男がイっちまっている。
いや、前から感情と表情の緩急のつけ方が上手いというよりも小狡いに近い男だった。それが頭の線が一本抜けたと
いうか、まだ夢の中を漂っているというか、それさえも超越してしまったというか。
なんだかよく分からなくて、ただやたらと機嫌がよくて、自分にはいままで以上に手に余る。
それはあの男との関係において由々しき事態だった。
あれからというもの、出会えば必ずあのノー天気男は、そこが人目も憚る公園のコートでのマンツー勝負だろうが、
駅のコンコースでの待ち合わせだろうが、商店街のお肉屋さんのコロッケを頬張っているときだろうが、気にもせず流川の
両肩をがっしりと掴み、そしてしばし真摯な視線を当てたあと、背筋に冷たい汗が伝うほどの笑みを
浮かべてくる。
もともと愛情表現の大らかな男だったけれど、さらにヒートアップして、ステップアップして、グレードアップして、
正直、後ずさりしたくなるほど気味が悪い。ひとの機微に疎い流川をして、やけに含みがあると感じてしまう笑みなのだ。
まるで、そう。なにかを確認しているような。安心しているような。残念がっているような。
残念がってる?
それがなにに端を発しているか少し分かるようになったからといって、仕方ないな、などと許容できるものではない。
第一神聖なるマンツー勝負において戦意が削がれる。お肉屋さんのアツアツコロッケも味が落ちるというものだ。
その手をパシンと払いのけ、敵を瞬間ブリザード製造機の中に放り込んでやるけれど、それすら嬉しそうに受け止める
ものだから、もう手の施しようがない。
とことん腐ってやがる。
いつもの陵南エリアのストバスコートのある公園で、約束の時間に五分遅れてきただけでなく、いつまでたっても
アップしようとしない仙道に苛立って、流川はベンチに腰掛けたままの男の胸にチェストパスを叩きつけた。
「気色悪りぃんだよ。言いたいことがあるならさっさと言え」
「言ったら絶対怒るし」
「なら言うなっ」
一刀の元に斬りつけても仙道はいかにも愛おしそうに、手の中のボールの継ぎ目をひと撫でしたあと、グイっと前の
めりな体勢でニッコリ笑ってとんでもない勘違いを口にした。
「なぁ、オレってさぁ、いつも流川の望みを叶えてやってるよな」
「だれが。いつ。どこで。何時何分っ」
「おまえってば、幼稚園児じゃないんだから」
「んな仙道なんかしんねーし、見たこともねー」
ゴリ押し、無理強い、ナシ崩しの総合商社みたいな男だ。望みなんか叶えてもらった覚えはないと仁王立ち。すると敵は
クスンと泣きまねを見せたあと、鼻にかかったような声を出した。
「言うか、そーいうこと。考えてもみろよ。ちょっとしかない貴重なオフを裂いておまえの相手をしてやってんだぜ?
こーんなに献身的なのに? そのあともちゃんと、おまえの胃袋と性欲までフォローしてさ。至れり尽せりだろうが。
精も魂も尽き果てるってこのことじゃん」
かなり事実を曲解しての脅迫じみた折衝方法だけど、こんなときに挑発に乗ってしまうと、あれよあれよと言う間に
言葉尻を捉えられ、引くに引けない状態に陥るのは目に見えていた。
敵は自分の負けず嫌いさを十二分に熟知している。
と、仙道が理解していることを自分は知っている。
流川楓、十六才と少し。それなりにスキルは積んできた。いつまでも手玉に取られてなるものか。もうすぐ出逢って
一年になろうかという間柄。少しは仙道彰に対する傾向と対策を躰で覚えてきた身なのだ。
「いっつもオレに突っ込みたがるくせに、いまさら被害者ヅラすんのかよ。だったら来なきゃいーし、呼ばなきゃいい」
「そうは言ってない。最初はどうであれ、いまは対等だろ。それに関しては互いがイーブン。その日その日によって、
流川の方にすごーく針が触れるときもあったりして、オレとしてはかなり満足してる」
現状で満足してるんなら、だったらなぜ? 以前に似たようなシチュでそんな疑問を口にしたら、『愛は欲深いもの
だから』と真顔で返されて、三日ほど鳥肌が引かなかった経験から口籠もるだけにする。
確かに。
そういうことになったとき、どちらがより積極的
だったかなんて数の問題じゃないし、それが想いの深さにも繋がらない。朴念仁を地でゆく流川にだって抑え切れない
性欲はある。ただ、改めて言葉に乗せられると、まだ小起用に切り抜けられないのを知ってて仙道は笑む。
少し対処できるようになったからと言って、ヤツが本気になればあしらえるものではないのだ。
悔しいことに。
「そう。エッチに関してはプラマイゼロ。けど、練習嫌いのオレが部活後もコートを駆ける。流川にプラス1。
そのあと疲れてんのにおまえの分の夕飯も用意してやったりする。これが結構口に合う。これで流川にプラス2。
どうさ。すげぇ献身的だろ」
愛だろ、愛、とどこかで聞いたようなフレーズで呵呵大笑。ちくしょう。口で仙道に勝てる日は永久に来ないのかと、
やけに眩しいお日さまを仰ぎたくなった。
「じゃ、止めりゃいい」
だから口に出来たのはそんなナマクラパンチ。なんのダメージにもなりゃしない。
「したらおまえ、相手してくれる他のだれかを探すだろ」
「たりめーだ」
「そのだれかってさ、だれ? 赤木さん? 宮城? まさか桜木じゃないよな」
「え、」
「牧さん? 藤真さん? かなり敷居が高いよね」
自分の周囲をぐるりと見回して、人間関係の繋がりの未熟さにしばし愕然。主将や、いまは大学生になった元主将も
一度や二度ならなんとかなるだろう。けれどほんの僅かな時間さえも惜しまない流川の固執に、ここまで相手してくれる
ものは、いない。
ましてや。
「アテがあんの? おまえが楽しいと思えて、勝ちたいと思える相手。おまえの無愛想
さにも文句も言わずに付き合ってくれる相手。しかも偏食癖を理解してるわ、どこがイイかまで知り尽くしてるわ。
いるか、そんなヤツ。どーだ。いま思い浮かべてみろよ」
皆無だ。
「いなきゃ、ひとりで練習する」
「虚しいと思うよ、流川。散々オレとやって、競い合って、いまさらひとりで練習なんか出来るわけねーじゃん」
そんなこと言われなくても分かってる。なのにヤツはひとのいいお兄さんの仮面を脱いで、男相手にぞっとするような
妖艶な笑みだ。焦っていたかと思えば余裕ぶっこいて、平気でこういう顔をできるからこの男は要注意なのだ。
ちくしょう。
きょう何度目かの悪態が口の中でくぐもる。そんなもの、仙道はどこ吹く風。
だからせめて言い負かされてたまるかと気を張っても、その隙間を縫うような仙道の言葉は、反撃する言葉もその気
もない相手に対しても、親切丁寧、おまけに執拗だ。
けれどなにか必要以上に突っかかる。ほんの些細な流川の反撃にとどめを刺す気だ。
なにに喜楽を見出したのかはだいたい察しはつくけれど、そこまで必死になることか、なんて思ってはいけない。
以前、『流川がなんか食ってるとこって、妙にエロティック』なんてほざいて、食事の間中、飽かず見つめ続けたという
経歴の持ち主だ。
もちろん、背中を向けるという無言の抗議に出たが、フェチズムの種はいたるところに落っこちている。
もとい。
仙道はどこからでも見つけてくる。
「てめーのつまんねー夢に合わせろとか言うんじゃねーだろーな」
いい加減鬱陶しいから、その手の言葉を避けて核心をついた。ついて即、却下だ。ものを食うときにじっと見つめら
れるくらいなら、味覚だけを残して他の四感を遮断すればいいだけの話だが、間違いなく今回はそれくらいで収まり
そうにない。出鼻を挫く程度なら先制攻撃にもなりゃしないが、手をこまねいて言いくるめられるよりは精神的にも
マシだろう。
けれど当の仙道は少し面くらったような顔をして小さく笑っただけでなにも言わない。言わないから余計に苛立ちが
募った。
「んなに女がいーなら、ふつーにジョシコウセイのケツ、追いかけとけっ」
「楓ちゃんみたいなオレ好みの美人、そうそういないよ。で、合わせるって女装してくれんの? 流川に女装。
似合うかな」
「似合うわけねーだろっ。んなもん」
「前髪上げたらすげぇ似合うかもな。けど、前にも言ったけど、オレっておまえの短パン姿見ただけで勃っちまうから」
どこまでも続く青空に仰け反りながら、ようやく腰をあげ、流川の肩を抱いて自慢することでもない。
けど、なんか妙にチグハグな会話だ。
勘違い?
乗せられた手をいままでの鬱憤晴らしとばかりにはたいてから、
「脅迫してたんじゃねーのか」
と、睨めつければ、違う違うと仙道は大げさに手を振って否定した。
「違うよ、流川。女装プレイも捨て難いけどさ、現実の流川は短パンでいい」
「はぁ?」
「もう、十分。まだ倦怠期じゃねーし」
「じゅう、ぶん……」
「そ。で、きょうは絶対お泊り。そいで十二分にヤったあとはずっと抱きしめて寝る」
「それだけ?」
「うん」
思い切り体重をかけてボディーブローばかり打っていたくせに、覚悟していた渾身の一撃は頬にも当たらず、
勝手に相手がスリップダウンしたようなものだった。
つまり、このノー天気男はアレから毎日のように、眠る前に『楓ちゃんに会えますように』『あの続きが見れます
ように』と星に願いをかけていたらしい。なのに恋する男の純情は天には届かず――たりめーだ、どあほう(流川
うちなる声)――叶えられることはなく、面影すら薄れてきた、と。
「それだけっつうけどさ、おまえ暑っ苦しいっからどけろとか、寝入ってるくせにすげぇ強烈なエルボー食らわせたり
するんだぜ」
あの日は目覚めたら奇跡的に流川が腕の中にいたらしい。その事実に思い至った仙道は、もう一度流川を抱きこんで
眠れば、あのめくるめく世界へランデブーできるんじゃないかと確信した、と。
流川の躰は所謂媒体で、そこに至るまでの行為なんかオマケだと言われたような失礼千万打ち首ものの科白だが、
あまりのバカバカしさにそこまで思い至らない流川も幸せもの。人間、聡ければいいってもんでもないという、
よい例だ。
「ドラ○もんにでも道具出してもらえば」
そのレベルである。
「考えられる原因は試してみなきゃな」
「あんた、見たい夢の続きがあったら、いっつもそんなこと考えてるのか」
「今回は特別じゃん」
ジョシコウセイ、楓ちゃんだぜ、楓ちゃん、と、既に夢見心地。これって、これって、よく分からないけど、怒って
いい場面じゃないだろうか。
「オレっておまえのなに?」
出逢って一年。付き合いだして半年ってとこ。まさかこんな状況で、いままで一度も口にしたことのないこの手の
質問をするとは思わなかった。
言ってヤキモチ焼いてる系の言葉なんだと分かって余計に混乱した。
「本妻」
「ぶん殴んぞ」
「じゃ、本命」
「ソレは?」
どうしたって口にしたくないシロモノだ。仙道の後頭部辺りを指差せば、心なしか妄想でモヤった物体が姿を
現しそうだ。
「アキバ系のフィギアみてーなもんかな」
こともなげに言い切る男。
仙道彰恐るべし。
「あんたにんなもん、必要あんのかよ」
「そこなんだよ」
どこだと言いたい。けど仙道の表情は笑えるくらいに真剣だった。
「出会っただけでさ、楓ちゃんとは手もつないでないんだ。バスケの練習相手の約束しただけで、なのに、アイツ、
あんなに無愛想なのにすげぇモテてたんだぜ。心配だろ」
「全然」
「オレはだめ」
つまり、積極的な仙道が消えたまま放っておいて、万がいち、楓ちゃんが他のだれかに口説き落とされでもしたら。
気になって気になって練習も手につかないと、ノー天気男はほざいた。楓ちゃんが心を許している先輩とか、コクって
振られたその他大勢とか、仙道的な憂慮からすれば、リバウンドに開花した同級生とか。魔の手はイタイケなジョシコウセイ
にいまにも襲い掛かりそうな勢いだったのだ。
『ネバーエンディングストーリー』か、はたまた『ソフィーの世界』。空想と現実とがリンクすると思ってるほど浮世
離れしていない。けれど、そんなの、どうしてもガマン出来ないんだと、仙道彰。ほんとうにどうでもいいことに拘る男だ。
「おまえの貞操だぜ」
「オレがヤられるわけじゃねー」
「おまえにそっくりな楓ちゃんなんだ。助けなきゃ」
夢の中のそっくりさんをその恋敵から守ったところで、どうせこの男が食い荒らすんだ。流川が助けてやる謂れはない。
「ま、そういうことだから、きょうはお泊りな」
けれど心底疲れて反撃の言葉を失った流川を見越し、そう言った仙道は「ティップオフ」とばかりにボールを
放り投げた。
その日の仙道はいつも以上に執拗だった。コートでのマンツーではない。ベッドの上での話しだ。焦点をぼやかせて
そのタイミングをずらそうとする。震える下肢をいつまでも放っておいて胸の飾りばかりを攻め立てる。やっと
与えられた刺激に解放を待ち望んで躰はのたうつのに、仙道は敢えてつなぎ止めようとした。
「な、んでっ」
「もう、ちょっとな」
おまえのそんな顔が見ていたいからと息は上がりながらも余裕の様相だ。
さし回す腰の動きはポイントをついてすぐにすり抜けてゆく。逃げたものを追って自分の下肢が絡みつく。かみ殺す
喘ぎの中にどうしても悔しさが混じってしまった。背中から真横から正面から。その都度、象の違う何かが中心に
疼き、うち腿は容赦なく痙攣する。
「ぅ、ん――」
「イイ声」
その笑顔に抗えば抗うほど流川の気力と体力はむしり取られ、これって後の体力を残さないための作戦だったのか、
と気づいたときは、まさに意識は失墜寸前だった。抱きしめたままで眠りたいとか言ってたソレ。ハラ立つことに、有無
を言わさずに叶えてしまいそうだ。
こんなところでも体力の差を思い知らされる。流川にすれば仙道がイったのかさえ、もう分からなかった。
だから。
「流川」
そう呼ばれて振り返って、それがいつの間にか陽もとっぷりと暮れなずんだ校門前で、自分は湘北のジャージ姿。
仙道も見慣れた「BC RYONAN」だ。だから、いままでコイツがこんなふうに湘北に姿を現したことなんかあったっけ、
くらいの違和感だった。
「部活が早く終わったから迎えに来てやった」
おまえ、着替えてないから早いな。まだだれも出て来てない。そう言って近づいてきた男を間近で捉えて、
その目線の違いにいいようのない不快感が募った。変わらなかったはずだ。ほんの二、三センチ違うだけで。なのに、
いま、なぜ、自分はこんな角度でこの男を見上げている。
「なんでっ」
と、口をついたその声色に流川は首を捻った。いまだれが喋った? だれの声だと思うより先に、仙道が
動いて流川の手から通学用のチャリンコを奪った。
「なんでって、きょうは部活後に練習する予定だったろ。赤木さんより多い、週二回。オレもそれが限度だからな。
おまえだってやる気マンマンのカッコじゃん」
仙道は流川の自転車に我がもの顔で跨ると、親指を立てて後ろへ乗れと促した。なにか言おうにも喉が引きつったまま。
スタンド部分に足を引っ掛けて立ち乗りすると、危ないから座りなさいと大人な返事。聞き分けよくも忠告に従った
のは、その方がラクかと思ったからだ。
「飛ばすぞ。しがみついとけ」
「んな無様なカッコ、できっか」
男の躰に腕を回してニケツはないだろう。なら、落っこちてもしんねーぞ、と言う前にただのチャリがエンジン積んでる
みたいに急発進。反動で煽られそうになった躰を持ち直して、どうにかこうにか、仙道の背にすがりついた。
「てめー、わざとやったろっ」
「危ねーって言ったじゃん」
もう声は気にならなかった。それよりもいつも見慣れた触れ慣れた背中が大きすぎる。いや、その背に回した自分の
腕が細すぎる。フレームむき出しの荷台に座って、そんなにケツが痛くないのはなぜだ。仙道の躰から片手だけ外し、
広げた指が少しまあるく、かなり小さい。肩も腰も、自分のものとは思えないほど。
なんか変。
おい、仙道と声を出す間もなく、流川の愛車は発進したときと同じように急停車した。今度は鼻先を強か打って、
涙目になって、なにを聞こうかもすっかり吹っ飛んだ流川だった。
そこは湘北近くにある、古びたゴールネットがあるだけの公園。陵南エリアにあるコートの方が設備がいいもの
だから、流川的にはあっちがお気に入りだけど、時間がないときは文句も言ってられない。
荷台から降りると仙道は自転車をフェンスの近くに止めた。そしてそのままフェンスをくぐろうとした流川の躰に、
伸ばされた長い腕が絡んできた。抱き込まれて背中にフェンスの感触。素早い動きだったにしては、乱暴さの欠片もない。
本当に躰ごとすっぽりと覆われていたのだ。
いくら夜だからといって、ひと目のある場所でのこんな位置と行為を流川は嫌う。道徳的見地からではなく、
ただイヤだから。他に理由はない。それは仙道もよく知っているはずだった。
「てめー、なにみっともねーことしてんだっ」
「いいじゃん別に。恥かしがらなくっても。ここでエッチしようってんじゃないんだし」
言うにことかいてそうきた。両のかいなと意外に厚い胸板に囲まれた躰は、もがこうともビクともしない。
たりめーだ。どあほう、と、なおも罵ろうとすると、さらに仙道の顔が近づいてきた。おまえ、ほんとに口、悪すぎ。
そんな囁きを耳朶の辺りで聞いて、いままでならあり得なかったことに、片手を離した仙道が流川の顎をひょいと上げて
きた。
与えられたのは羽根が触れたような優しい口づけ。たぶん、こんな感触、一番最初のときにも覚えがない。
相当間抜けな顔をしていたのだろう。仙道は流川の唇の上で、ごめん、と小さく謝った。
びっくりしたのは、忘れていたその角度とその穏やかさだ。場所柄はともかく、謝られる筋合いのものではない。
ただどう返していいか口籠もって、こそばゆいくらいの仙道の笑みが目の前にあって、オタオタしている間に、
今度はもう少し深く口付けられた。
クチュっと音をたて、その度に鼓動が重なる。斜めから上唇。はさんで舌先で輪郭をなぞられ、またしっとりと
合わさって。もう何千回、何万回キスしたか分からない相手なのに、仙道のそれは流川以上だった。
次第に息が上がる。呼気をついた合間を縫って舌先が侵入する。普段なら自分から絡めるそれが、なぜか怯えて奥へ
逃げた。そんな気はこれっぽっちもなかったのに間違いなく仙道を煽り、躰を抱く腕の力が増してさらに口腔深い
ところで追いつかれてしまった。
「は、ぁっ」
「流川」
口腔を基点に躰じゅうが仙道でいっぱいになる。目尻から滲むものが、もの慣れない躰を現していた。けれど、グイと
下半身を押し当てられ、その間にブチ当たる感触のなさに流川は目を瞬いた。いや、あるにはあるが、主張しているのは
仙道のソレだけだ。
ない。
なんで。
その代わりに仙道の胸板で押しつぶされたような小さな痛みはなんだ。
ざわっと下半身から怖気が走った。
なんで。
変な夢を見たがったのは仙道の方で、オレにはなんの関係もない。あれはあの男のヨコシマな欲望が見せたもので、
オレにそんな趣味はない。なのに、なんで。
ブチ切れかけてふと思い至った。
ヨコシマはヨコシマなりに、ジョシコウセイになった流川を見たかったわけじゃないと言ってなかったか。流川は
流川。楓ちゃんは楓ちゃん。夢の中で出会った彼女の周囲がそのまま変化して、仙道の預かり知らないところで
だれかのものになってもいいじゃないか。
それすら厭だとごねた強欲もの。
「流川、好きだよ」
我欲に忠実な男が簡単にそう言った。それはそれは、聞いたこともない声音で。
「好き?」
「うん。おまえは? おまえはオレのことどう思ってる?」
「せ、仙道」
「うん?」
オレはこんなオンナじゃない。こんなオンナになって聞きたくもない。
「てめー、あっちにもこっちにもいい顔しやがって。フラフラすんのもいい加減にしろっ」
ブチ切れて目が醒めた。
叫んだのは仙道の胸の辺りだったようだ。「どした?」と、頭上から眠そうな仙道の声がかかった。寝ぼけて
怒鳴ったんだろうか、最後の科白。だとしたら、相当こっ恥かしい。
「なんだ、怖い夢でも見たのか?」
そりゃ怖いさ。よりによって自分のモノがなくなった夢なんだから。けれど気づかれなかったようでひと安心。
「ちゃんとキレイにしてやったのに、汗かいてる」
そう言って仙道は流川の前髪をすいた。その指先の動きにまどろみが深くなる。
たぶん聞かなくても仙道は不発に終わっているはずだ。妙に穏やかだから、そんな気がした。
心理学者さまの見解がどうかは知らないけれど、妙な騒動はこれで終わりにしてもらいたい。安心しろ、仙道。
おまえと楓ちゃんはイイ感じにデキ上がりそうだ。そのあとのことは知ったこっちゃないが、オレが別人ってことは
楓ちゃんとキスした仙道もそうってことだ。
あのバカが一生懸命語ったものだから、どこかその断片を引きずっていただけのこと。仙道も最後の一手とばかりに
流川を抱きこんで叶わなかったのだから、次を考えるほど暇じゃないだろう。
だから、もう。
「寝る」
「うん」
目を閉じて自ら身を寄せ、寝苦しくない絶好のポジションを取った流川はトクトクと響く心音を聞きながら
深い眠いに陥っていった。
end
早速書いてしまいました。でもやっぱり二匹目のドジョウは簡単にはいかないものです。エラい苦労しました。
前が怒涛だっただけにね。 女体化だったのに、ただ、仙ちゃんは流川フェチだというお話になっちゃいました。
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