present
近頃とみに性急さが増したと思うのはこんなときだ。
待てない。気が急く。躍起になる。公園でマッチアップしているときは、とことん自制が利いてるし、オレもバスケモード
全開だからその反動なんだと思う。だから、ふたりきりになってしまえば、年上の余裕なんか、洗濯バサミで止め忘れたタオル
みたいに、ひと風の元に飛んでってしまうんだ。
自分んちの扉を開けて流川を引き寄せ抱きしめる。汗くさいとか、ここが玄関だとか、関係なかった。「やめろっ」
なんて諌めも悪いけど耳にも入らない。ガゴンと肘が靴箱に当たり涙が出そうになる。それでもオレは留まれない。
むしゃぶりつくような口づけを一旦中止して譲歩するのも、ベッドへ移動するくらいの時間だけだ。
「待てっつってんだろっ」
こっちだって待てないっつってる。
流川はいつも気にするけど、シャワーを浴びてないなんてどーでもいい瑣末事。涙を流してるのは眦だけじゃなかったもんで、
ことは窮する、ことは急を要するってヤツ。
流川の抵抗も相当だけど、ほんとにスる気がないならコイツは殴ってでも止める。近頃そう納得してる。手だの足だのが
出ないってことはコイツもその気なんだろう。ま、両足両手を渾身の力で押さえつけといて、抵抗を完全に封じ込めといて
そう言うのもなんだけど、と、タカを括ってたら、ガツンと目の前で火花が散った。
頭がクラクラする。この眩暈は脳震盪? 四肢は動かせないはず。ってことは頭突き? するか、頭突き。信じらんねー。
ったく、この手の早さと凶暴さだけはマジでカンベンして欲しい。おでこを押さえたとたんに、玄関マットの上に押し倒して
いた流川がガバっとはね起きた。
「ひでぇな、おまえは。一瞬、気ぃ失いそうになったぞっ」
「何度も離せつった」
「なんで離さなきゃなんねーの?」
「だから、待てって」
相手の怒りはご尤もで、でも流川の怒りはこんなところでおっ始めようとしたオレの節操のなさじゃなかったみたいだ。
ヤメろと言ってヤメなかったことに対してで。
その証拠に、玄関マットの上で胡坐をかいた流川は、ガサゴソと自分のスポーツバッグの中を引っ掻き回している。
めちゃくちゃ唐突でコイツらしくって、だからオレは、おでこのタンコブを撫でながらその手の動きを目で追った。
眉根を寄せてなぜか真剣で、ついでに言うなら熱が上がって潤んだ瞳と、組んず解れつの駆け引きと攻防の名残で
Tシャツの襟から肩先なんか覗かせて、それでも、バッグの中をぐちゃぐちゃにしていた流川が取り出してきたものは――
大阪のとあるテーマパークのキャラクターグッズ。やけに耳障りな声で鳴く、あのキツツキの、孫の手だった。
それを目に前に突き出されたオレは玄関先で正座なんかしている。
そういや、流川の学校の修学旅行は関西方面二泊三日だった。一日は古都めぐりでもう一日はテーマパークで遊んで。
帰ってきたのは昨日だったか、一昨日だったか。
そっか、これはお土産なのねと納得した。たぶん、意外と律儀ものの流川はオレに会ったらまずソレを渡そうと考えてたん
だろ。公園ではそんな気は一切回らなかった。なにせ、流川の一番大切な時間だし他のものが入る余地はない。で、急に思い
出して、オレんちへ着いたら渡そうって手順を、オレがぶっ飛ばしてしまいそうになったから、こうなったというわけで。
だからって、なにも頭突きしてまでその段取りを遂行しなくてもいいだろう。
終わってからでもいいじゃん。
オレはおでこをナデナデするしかない。
「オレにくれんの?」
「やる」
「ありがと。もしかして、もしかして、おまえからのプレゼントって始めてカモv」
「だから、なに?」
「そう、睨むなって。修学旅行に行ってたんだろ。楽しかったか」
「ふつう」
「おまえらしい答え。で、なにコレ?」
「見て分かんねーのかよ」
どこからどう見ても孫の手だ。そしてちなみにウッ○ペッカーが手を広げた部分が持ち手だったりするファンキーな
シロモノだった。
「そりゃ、一目瞭然だけど。これをどうしろと?」
「背中。かきゃいいじゃん。痒いときに」
ホレっと流川はソレを差し出す。えっと、とオレは頭に手をやった。孫の手、必要みたいなことを言ったことが
あったっけ? 背中が痒い。流川、かいて、って頼んだ記憶がないんだけど、ヤツはオレの土産にはこれがいいと
思ったわけだ。
ちょっと謎。
「嬉しいけどさ、おまえがいるんからおまえがかいてくれよ」
「なんでオレが」
これ、使え、これ、とほとんど押しつけだ。オレはニヤリと哂い、正座を解いて胡坐をかいたその中心に、孫の手の先っぽを
宛がった。
「そっか。流川の手だと思って、いろんなとこかいて良いわけだ?」
「ヤメロっ。このド変態!」
「そういう使い方じゃねーの?」
「んなわけねーだろ!」
絶対にコレで殴られると思ったオレは、流川のスイングよりも早く、その手首をつかんで事なきを得た。
つかんでそのまま押し倒す。完全に虚をつかれた流川は、目を剥いて器用に背中で短い廊下を進んで逃げ出した。リビング
との境目の段差に目がいって、オレは流川の躰を引き起こす。そのまま進むと余りにも背中がカワイソウだったし、
なんつったってベッドの方が断然ラクだからだ。だったら最初からそうすりゃいいのに、わざわざこんな手順を踏んで、
殴られて。なんか、余裕のない自分に酔ってるきらいがあるってのは、考えすぎかな。
ベッドの上で一糸纏わぬ姿になって、クチュリクチュリと口づけを落とす。先ほどの激情はどこへ行っちゃったのか。
その柔らかさに流川が心地よいふうを見せた。最近は叩きつけるみたいに絡み合いって始まることが多いから、ちょっと新鮮
だったりする。流川の頬を両手で挟んで、ただ口づけだけに没頭するなんて、近頃じゃ珍しいかもしれない。
とにかく最初のころは、なぜ、の連続だったから。オレもコイツも。なぜ、なぜと繰り返して、それでも躰は先に暴走して、
コイツが欲しくて、互いの総てが知りたくて。それが一年経ったいま、少し様変わりしてきたのかもしれない。
流川の目を見る。その漆黒の中にオレが映っている。その事実が誇らしい。
「一日目、京都だっけ? 奈良だっけ?」
こんなときにこんな問いかけ、可笑しいかもしれないけど、これも前戯ってヤツだ。まどろんでしまいそうな穏やかな時間
を持て余し、けど、それもいいかな、と思って唇に乗せた。
「?」
「修学旅行の話」
「あぁ、京都?」
「それも覚えてないのかよ。んで、どこ行ったんだ?」
「寺と壷」
「ツボ? ツボ。壷、ね。まさか骨董市じゃないよな」
「ナントカ館。京都ナントカカントカ館」
「分かった。分かった」
たぶん正式名称は全然違うんだろう。猫に小判。流川に、美術工芸品の時代を越えて語りかける美の息吹だ。
「どこ見ても同じ」
「そうでもないと思うけど。じゃ、まだ次の日の、ユ二○ーサルの方が楽しかったろ? アトラクション。なにが気に入った?」
「……なんか、水ん中に落ちるヤツ」
「ウォータースラーダー? 思いっきり、水、かかるヤツ?」
「そう。恐竜の口が、開いてて、喰われそうになんだけど、落っこちた」
「へぇ。ジュラシッ○・パークだな、そりゃ」
「んな、名前だった」
「ああいうのってさ、よく、写真取らねー? 落っこちるときの顔が見ものだからさ、降りたあたりに販売してあったりしたろ?」
「あった、な」
「買ってねーの?」
「ねー」
「ちぇっ。なんで買わねーんだよ。おまえのビックリしてる顔が拝めるかと思ったのに」
「……」
「他に一緒に乗ったやつとかいないのか?」
流川は言い澱んで首を捻じ曲げた。その頬と耳朶と、甘噛みしながらオレは囁く。愛だの恋だのじゃないところがオレたち
らしいって言うか、なんて言うか。でもこんな色気のない会話だって、十分睦言だったりするんだ。
「どあほーと、」
「どあほーって桜木だよな。へぇ〜、一緒だったんだ? 一緒に乗ったんだ? おまえらが?」
「同じ班だし」
「クラスも?」
「そー」
「……知らなかったかも」
「言ってねーもん。知るわけないじゃん」
「わぁ、胸中複雑」
「なんで?」
「いや、なんでもねー。で、他には?」
「クラス、違うけど、桑田とか。石井とか」
「そのクワタくんとかイシイくんとか桜木は、写真買ってないのか?」
「知らねーよ」
「聞いてみなさい。買ってんなら貸してもらいなさい。んで、オレに見せるように」
「なに言ってんだ、あんた」
「おまえが、いっつもいっつも仏頂面下げてるから悪いんだろがっ」
びっくり眼、もしくは怖がってる(そんなわけないかも)流川楓なんて、他では到底拝めそうにないから、ついつい
執拗になってしまう。手に吸いつくくらいにプニプニしている流川の頬を引っ張って、口づけて、また引っ張って、
情欲の手を離そうとしているオレに、流川は不思議そうな顔をした。
「しねーのか?」と流川の瞳が露骨に問うている。こんな状態で抱き合ってシないわけがない。オレの下半身は相当
張詰めてるし流川のだって熱を持ちつつあった。我慢する必要なんかどこにもないのに、なぜかいまはこのスタンスが楽しい。
こんな間近で語りかけると、普段は邪魔くさがって満足に返らない流川の答えが、吐息と肌と体温によって手に取る
ようだから、なおさらだ。
聞けないことまで聞けちまう。
答えたくなくても答えてしまう。
なぁ、とオレは流川の頬を両手ではさんだまま、その耳朶に語りかけた。
「土産ってさ、他にだれのを買ったわけ?」
「……」
ほらな。スっと流川の頬が紅潮するのが分かる。両手から伝わってくる熱がオレの脳を沸騰させて、ついでにお花なんか
咲かせてるんだから、流川にすればいい迷惑だろう。
「だれ?」
「……おふくろ」
「意外といい息子してんだな。なに買ってってあげたんだ?」
「小遣い、もらったときに、絶対、買ってこいって、煩かった、から、セサミのスプーンとかフォークとか」
と、一瞬テレた様相を見せ、すぐになんか文句あるかと凄んでも、スタジオ内のショップで、しかもセサミのコーナー
で、きっと眉根を寄せて目的のカトラリーを探してるコイツを想像して、またお花畑は満開だ。それを見守る周囲の喧騒と
驚愕も相当なもんだったろう。
オレもそのギャラリーのひとりになりたかったよ。
「で、他には?」
しつこいなぁって。我ながら呆れちまう。当然流川は首を捩って答えを厭った。語られない事実に納得すべきか、
分かっていても答えを引きずり出すべきか。それはそんときのコッチの機嫌によって変わってくるんだけど、機嫌がいいから、
なぁなぁと重ねて口づけて、頬に軽いジャブを食らってしまった。
「サンキュ」
と、殴られたのにそんな科白。流川は唖然としてたけど、とりあえず収束宣言。オレのために、オレだけのために、なんて
言葉にしたら、「別に」と返された。
「おふくろのん、買った、その横にあったから」
だ、そうだ。それでもいいよ。ソレを手にしたとき、確実にオレを思ったたんだろうから。で、最初の疑問にいきつく
わけだ。
「じゃあさ、なんでコレだったわけ? おふくろさんに買った土産の隣に、他にもキャラクターはいっぱいあったろ?」
「トサカ」
「えっ?」
あんたに似てたと、流川はオレの自慢の前髪に手を伸ばし、クシャリと一部をかき混ぜた。混ぜてひとふさだけ
強引に寝かせる。ほら、やっぱり似てると、笑んだ形の流川の唇に、オレは吸い寄せられるように口付けた。
キツツキに、似ててもいいや。
鋼鉄で出来てんじゃないかってくらいに変わらない流川の表情筋が、ちょこっと動いただけ、かもしれない。
けど、こんなヤツを知ったんだから。
こんな顔を拝めたんだから。
旅行の土産なんか、貰って嬉しいもんなんか、ほとんどなかったけど。
けっこうなプレゼントだ。
end
|