in the zone
scene four








 結局負けず嫌いは伝染する。
 傲岸不遜なルーキートリオから、ほとんど格闘技に近い熾烈なバトルを目の前で繰り広げら てしまっては、比較的常識人である上級生たちの闘志も掻き立てられる。何れも誇り高きケイジャーたちだ。 計らずとも桜木の根拠のない暴言が形になった紅白戦だった。
「推進力とはこういうことを言うのだな」
 監督は腕を組んだままでぽつりと漏らした。
 怪我でブランクがあったことを差し引いたとしても、いま現在の桜木の力は他のメンバーと比べればどう しても見劣りする。彼にあるのはその場その場の瞬発力だけだ。あるいは潜在能力か。あれではどんな名PGも 扱い辛いだろう。聞けばバスケを始めてまだ間もないという初心者。大事な場面で致命的なミスを犯すかも しれない。それでもあの男にはなにかを押し上げる力がある。そうでなければ、インターハイでの山王工業戦 で見せたブザービーダーは決められない。そういうものを持っていると彼は確信していた。
 コート内に熱い吐息が充満し、息苦しいような二日間だった。
 紅白戦終了後に監督から個人への総括が行われ、第一回目の強化合宿は終了した。



「疲れたぁ」
「いい合宿だったな」
「うむ。新たな練習方法も教わったしな」
「てめーらの弱点も垣間見れたしよ」
「おまえの弱点は見えっぱなしだ、三井」
「あんだと。牧!」
 帰り支度を終え総合体育館を後にした途端に、一泊二日の疲れがどっと吹き出す。このメンバーでプレイ できるという高揚感で抑えていたものが、だれもを襲っていた。
 自分だけ体力がない訳じゃない。重い足取りで歩くメンバーたちを見て三井は思った。そして確実に 上がってきている事実も。夏の予選は一試合もたなかった。意識を失ったこともある。もう、二度とあんな 無様な真似をするもんかと、三井はいま出たばかりの体育館を振り返った。
 来週にはもっと上げてやる。
 振り返ったときに一番後ろからついて来ている流川のもの言わぬ視線とぶつかった。そう言えば コイツも体力がないクチだった。
――ま、んなこと自慢にも言い訳にもならねー。
 歩き出す。全員で前を向いて。勝つために。
 それぞれが掲げた握りこぶし。熱く語る前に急に訴えかけた空腹には逆らえなかった。
「ハラ減ったぞ!」
「そうだな。なんか食って行くか」
「オレ中華がいー」
「肉! 肉! 肉! 肉にしましょう! 吐くほど食いてぇ」
「そんなお金。持ってきてるのか? 信長?」
「んじゃ、もんじゃ」
「いきなりリーズナブルだな。それで満腹になる?」
「ん〜、マックは?」
「藤真サマはファーストフードは食わんからな」
「食うよ」
「なぜにそんなに詳しいんだ、牧?」
「フォー」
 と突然呟いたのは福田だった。なんだそれ、と魚住が突っ込む。
「知りませんか。ベトナムの麺料理。あっさりしてても米だからハラにたまる」
「思い切り濃い顔してるヤツがなにがあっさりだ」
「ファミレスにしとくか? この面子じゃ一軒に纏まらないだろう」
 口々に勝手をほざいていた面々を牧が取りまとめた。しゃーねーか、と駅までの道すがらに見つけたそこへ 入ってゆくメンバーたちを、一番後ろに位置していた流川は一言お疲れと声をかけて追い越していった。湘北 のメンバーも引きとめようとはしない。こんな形での寄り道に彼が混じったことなどいままでなかったからだ。
 その頑なな背を見送って仙道は立ち止まった。なにしてんだと、ファミレスの入り口で魚住が振り返る。 付き合いの悪いヤツは放っておけ、と三井が被せてきた。
 けれど。
 いまあの背を見送ってしまったら、なにかを取り落としてしまうような気がした。
 目の前でぴしゃりと締められた扉はこじ開けるしかないような。
 そして、いま逃がしてしまったらそれすら叶わないような気がして。
 仙道はメンバーたちの訝しそうな顔を振り切って、「あー、そーいやー、東京からお袋が出て来てるんすよ」 と、だれも信じない言い訳を告げて流川を追いかけた。
 雑踏の中を泳ぐように進む流川の背中を見つける。後ろからでも分かる、一直線に前しか見ていない迷いのない 姿。そんなのでいいのかというのは仙道の押し付けでしかない。もっと周りを見ろという忠告はお節介でしか ないだろう。
 それでもその腕を取りたいと願って思い切り手を伸ばす。届くまで伸ばす。分かるまで伸ばしてやろうと 思った。
「流川、待てよ」
 後ろ手を取られて流川は振り返った。そこになぜ、いま別れたばかりの顔があるのかと鉄面皮が少しだけ 崩れた。
 おまえがおまえの一直線を貫くなら、それに併せてオレもオレの一直線を見据えてやろう。そう言った ところでつうじないだろうけれど。
 それでももう迷わないだろう。
「なんの用だ。他のヤツらと寄ってかないのか?」
「おまえこそハラ減ってんだろ。ひとりでさっさと帰るなよ」
「大きなお世話だ。あんたにはかんけーねー」
 人ごみの中で上背のある二人が立ち止まれば結構な迷惑になる。仙道の手を振り切ってさっさと 歩き出そうとする流川を抑えきって、二人は雑居ビルの壁にへばりついた。
「オレってなんかいつも流川の背中に向って語りかけてる気がする」
「んなことオレに知ったこっちゃねー」
 背中に向けてではないけれど、視線すら合わせようとしない男のどこを取って自分はこんな微笑を浮かべるの だろう、と仙道は言葉を続けた。
「なあ、そんなに恐ろしいか。桜木の成長が」



 束の間――切れ長の流川の瞳が驚きで丸く膨らむ。そしてそれは瞬時に怒りへと変わっていった。
 ああ、オレって、と仙道は思う。
 コイツのこんな顔を見るのがほんとに好きだな、と。感情の揺れ幅が極端に少ないこの男が、自分にだけ 見せる特権だ。
――特権でもねーか。
 別にいつも流川を驚かそうと思っている訳ではないが、仙道の発するなにかが流川を揺り起こす。そして 揺さぶる。その自覚は思いあがりではないと感じた。
「何語喋ってんだ、てめー」
「オレは恐ろしいよ。間近まで迫ってくるライバルの存在がさ。いまはまだ先を走ってられる。けど いつ追い抜かれるかわかんねー。おまえの存在がオレは恐ろしい。きっと牧さんがオレに感じてくれた だろう感情とおんなじもんをおまえにも持ってる。だから流川。怖いって思って当然なんだ。なにも感じ ない方がおまえの停止を意味するんだぜ」
「なんでオレがあんなどあほうことを!」
「分かっているはずだ。だからこんなにも苛立っている。けど、初心者だったあいつの成長に火をつけて、 あそこまで引っ張り上げたのは事実おまえだ。きっと流川楓がそばにいなけりゃ、あいつはあそこまで 強くならなかった。それはおまえにも言える。おまえはオレをライバル視してくれてる。前だけを見てる。 けどそれじゃ視野狭窄起こして、あんなに遠くにいた桜木が足元まで迫ってくる快感にイラついくだけだろ。ひとに当たって、 おまえのプレイが乱れるだけなんだよ」
 それが凄く厭だからさ、と壁に背を預けたままで仙道は宙を仰いだ。傍らの流川は拳に力を込めていた。
「なんでてめーにんなこと言われなきゃなんねー。なんでてめーに分かんだよ!」
「その答えを聞きたいか、流川。オレに言わせたいか?」
 そう言って仙道が薄っすらと笑うと流川の喉がごくりと鳴った。また逃げ出すのか。煙に巻くのか。聞かなかった フリを続けるのか。放ったパスをおまえも返せと前にも言った。その意を素通りさせるなと。
「あんたは――」
 息を吐き出すついでのように流川は小さな声を出した。上体を少し起こして伏せられた流川の瞳を覗き込む。 それを見逃しては、そして聞き逃してはいけないような気がした。
「あんたはオレが追ってくるのが快感なのかよ」
「ああ。嬉しいよ」
「追い抜かれるかもしんねーのに」
「抜かせやしねーさ。そう簡単にはな」
「ずっと?」



「えっ?」
 そう返されるとは考えもつかなくて、珍しく仙道は狼狽えた。恐らく流川もそんな言葉をかけるつもりなど なかったのだろう。なに言ってんだと頭をかいている。
 パァーと幹線道路を走る車のクラクションが鳴った。ビクリと反応して、まるで呪縛から放たれたように 仙道は大きく息を吐いた。
――参った。
 この先ずっと追いかけっこしてくれるつもりか。
 さすがスーパールーキー。天然で牽引してくれる。
 けれど永遠なんて信じない。簡単に口に出来ない。目の前にあるのはいまだけで、その先を約するものは なにもない。あったとしても積み重ねるだけだ。
 少しずつ。ほんの一歩ずつ。
 仙道は前を見たままで真横にある流川の髪をくしゃりとかき混ぜた。
「流川、時間があったらまた来いよ。マンツーしようぜ」
「時間なんかねー。週末は合宿だし」
「なけりゃ、つくれ」
「なんでオレが」
「おまえが相手してくれないんなら桜木を誘うぞ。マジでアイツの成長が楽しみだし」
 傲然と流川が顔を上げる。
 卑怯だと呼びたければ呼べという気分だった。ダシに使って悪かったとも。けれど止まらない。
「オレとあのどあほうを同列で語んな。ムカツク」
「成長が楽しみってのは同列かもな。おめーもな。早く大人になってもらわねーと流川くん。 子供は守備範囲じゃねーし。突き放されたりヤキモチ焼かれたり、オレの繊細な神経が持たない訳よ」
「ヤキモチってなんだ。繊細って何語だ」
「したろ。桜木に。ものすげー顔してたもん」
 ガバリと壁から背を離し繰り出そうとした握りこぶしを右手で制した。そして空いた左手で徐に流川の頬を 引っ張った。
「ってぇ! なにすんだ、てめー!」
「欲の皮が突っ張ったヤロウだからどんなのかなって思って。けど、おまえの頬っぺたって思ったより プニプニしてんだな。うん、新たな発見だ」
 識別不可能な行動に出た男の手を払って、流川は精一杯凄んだ。
「欲だと!」
「そ、独占欲」
「ど……」
「丸出し。気づいてないなら気づかせてやる。もう容赦しねー」



 言い終えないうちに腕を掴まれ、否応なしに雑居ビルの壁から引き離された。ビル同士の狭い 隙間に連れ込まれたと気づいたのは、雑多な色彩のネオンの光が急に失われたからだ。
 コイツと対峙してディフェンスについているときも、こんなふうに虚をつかれて目の前が反転したような 気分にさせられると思った刹那、流川は背中に打ち付けたような痛みを感じた。
 壁に押し付けられているという認識よりもその痛みの方が先だった。
 相変わらず如才ない。隙もない。先を制して相手の動きを封じる動きは、仙道のバスケそのものだ。
 こいつバカじゃねーのと流川は思う。
 メンバーたちとの集まりを放っておいて、男相手になにやってんだと笑えてくる。
 それでも。
 薄暗い路地の壁に貼り付けられ、両手を封じられ、それでも重なった鼓動がやけに煩かった。ゆったりと 降りてきた唇。一度唇の端を掠め、そこここを流離ったあと、深く合わさってきた。躊躇うような 間が流川の鼓動を一層強くする。精一杯睨み返すけれど、あまりに接近しすぎて全体像が掴めない。
 仙道がどんな顔をしたのか、もう見えなかった。
「キスされるときは目くらい閉じろ。このお子ちゃま」
「男相手に、んな真似する変態のツラを拝んどきたかっただけだ」
 毒づいた言葉はきっと掠れていた。ヘラリと音をたてて仙道が笑った気がした。
「言ってくれる。目なんか開けてらんないようにしてやろか」
 ペロリと上唇をひと舐めされて肌がさんざめく。覆いかぶさる身体を両手で突っぱねてその感覚をやり過ごした。 このまま黙ってしまっては遅い来る波に飲み込まれそうだ。けれど口に出来た言葉は、「ありえねー」だった。
「笑わせんなよ。こないだは、ちょこんと触れただけで総毛立ってた初心者が」
「調子乗んな」
「このまま調子に乗って二時間ご休憩にシケ込みたい気分だけど、自制心総動員させて、国体が終わるまで 待っててやるよ」
 呆気ないほど簡単に仙道は身体を離した。
 えっと息を呑んだ音が耳の奥でかき消える。仙道に届かなかったことだけを願った。
「重っ苦しいとか言ってた癖に。わけ分かんねー」
「重いに決まってんじゃん。我侭で自分勝手で喧嘩っ早くて、バスケ以外はなんも興味ねーからその他は 捨て去るぐらいに潔いー癖に、たまに縋るみたいな目するだろ。 そんなおまえの総てを受け止めるんだ。重くないわけねー。けど厭だなんて一言も 言ってない」
 だろ、と仙道お得意の零れるような笑みが出た。
 居たたまれなくなって視線を逸らせると、ついと差し出された仙道の手が目に入った。
「帰ろうぜ。あしたは学校だし、また合宿だし」
 その手をパシンと払って流川が路地から抜け出すと、また目に耳に痛い喧騒に覆われた。人ごみを掻き分けて 進もうとすると仙道が真横に並んできた。不思議と周囲の雑音が気にならない。
 流川は静かに視線を上げた。
 一直線に伸びた街路樹。ひとも車もネオンの灯りも葉ずれもなにもかも、 必要ないと思えるほど総ての煩わしさから開放される空間に、熱を持ってあり続ける仙道の存在だけが許容 できる。
 仙道しか許容できない。
 仙道しか要らない。
――ずっと。
 その事実がストンと胸に落ちて、それでも流川は真っ直ぐに前を見続けた。




end






あ〜、なんかこの流川うそ臭いな。 こんなことで苛つくようなやわな神経してない筈だ。
リリカルを削ぎ落とすんじゃなかったのかよ、と 自問自答。
でも、この子供っぽさを可愛いと感じてしまうあたしは、そーとー腐れ末期。
さぁ次は どうやって流川を押し倒そう? う〜、シチュが思い浮かびません(合掌)