a holy terror 出逢って初めてのクリスマス なにひとつ相容れることのないふたりは、だからなのか当然のように惹かれあい、けれど、想いの丈を計る手段を 知らない それでも確実に胸の中でポツリと芽生えたもの 名前をつけてしまうには 自覚するには 見つけてしまうには あまりにも小さくて あまりにもふたりの間に横たわる隔たりが大きすぎて 過ぎてゆく時間の流れが違いすぎて 戸惑ってしまう 例年よりも温かかった十一月も過ぎ、それなりの寒波が見舞った年の暮れ。W大教育学部に籍を置く仙道彰の、母校での 教育実習が終了し、学生に戻って早くも二カ月がたっていた。仮にもイチオウ教育学部。卒論を抱える四年生。しかし そんな事情も、伝統ある体育会系男子バスケットボール部員であれば、まったくと言っていいほど忖度されない。 関東大学リーグが終われば休む間もなくインカレが始まり、また全日本主要メンバーである仙道にとって この二カ月の目まぐるしさは半端じゃなかった。 全日本の遠征からそのままインカレの会場入り。移動、合宿、試合、移動が続くと、いったいいま、自分がどこのチーム でプレイしているのか分からなくなる。そんな殺人的スケジュールも、後から思えば学生ゆえの気軽さがあった。 例えば。 気の合う仲間がいる。試合を離れれば呑み友達となるライバルがいる。心置きなくバスケに打ち込める。そして、 どんなに忙しくても、バスケバスケの毎日にだって、それなりに部内のお付合いだってあった。ゼミのお誘いだってそう。 体育会系灰色のキャンパスライフにもそれなりの彩りだってある。いや、灰色だからこそ積極的につくらなければならない。 特にこの時期になると合コンの回数がふえて、お声がかかるのは仕方がないというもの。 だれもが躍起になるし、どんな朴念仁だってひとりの聖夜は淋しかろう。 そうは言ってもこれはあくまで一般論で。 「○○女子大、英文科、ね」 頭を下げるバスケ部副主将の目の前で、この時期独特の世間のしがらみと狂騒から切り離された男――仙道彰は、 さも興味がなさそうに呟いた。 毎日どこかしらで開かれていると言っても過言じゃないその手の集まり。今回のお相手は校門前で外車ショーが拝める とウワサされているお嬢さま大学だ。反骨と大昔からのバンカラ気質が残るウチとじゃどこか相容れないと思うのは気の せいか。校内で見つけるのは諦めたのか、と聞くと、昨今のお嬢さまはスポーツマンがお気に入りなんだと、目の前の 彼は胸を張った。 「クリスマスはゴージャス路線でいくことにした」 どこか誇らしげな副主将を前に、仙道は学食のAランチのカツを取る箸を止めた。バスケ部同年のこの友人も、 この時期に夢を馳せている。 「んな、女王さま。散財させられるだけだろうに。止めといた方が身のためなんじゃ……」 「そうと分かっていても、年に一度くれーは下僕に成り下がりたいって思うのが哀しい男の性ってヤツで。今回、必死で 渡りをつけたんだ。そんでもって、ツレのひとりがさ、仙道が来るからって言っちまって。女の子たち、すげぇ乗り気 なんだよ。有名人がひとりいるとラクだねぇ」 「ちぇっ。オレは客寄せパンダ?」 「当然だろっ」 「本人目の前にして、言い切っちゃう?」 「おまえみたいにモテるヤツの苦労なんざ、オレたちには分かんねーけどさ。それなりにイイ思いしてんなら、仲間にも 還元するのが筋ってもんで」 「イイ思いなんかしてねーって」 「それに関しちゃ、聞く耳持たない。頼む。一時間だけでいいっ。忙しいからって途中で帰ってもいい。って言うか 帰ってくれ。けど、参加だけ頼む。今週の金曜、七時。駅前の○○っつう、居酒屋だ。クリスマスまで一週間だ。 ウチのヤロウどもも背水の陣ってヤツで。その思いをくみ取ってやってくれっ」 「強引だねぇ」 その涙ぐましくも勝手な言い分に、ひとしきり笑ったあと、仙道は言い切った。 「無理」 「なに、即答? デートかよ」 「ま、な」 あまりにもはっきりとした仙道のもの言いに彼は目を瞬いた。凡その男が羨むであろう要素を幾つも幾つも幾つも兼ね備え ――イチイチ上げるだけで気鬱になる――それだけでなく人当たりがよくて気さくという、犯罪に近いような男だ。 その威光を借りる程度になんの良心の呵責もなかったし、いままでも同じ手口で何度か誘った。しかしこれほどきっぱりと 拒絶を口にしたのは初めてではないだろうか。 「おまえ、いま、特定の彼女、いなかったはずじゃ? って、やっぱ、てめーだけ、いい思いしてんじゃねーかっ。 オレらにも愛を別けてやろーっつう、殊勝な気持、ねーのかよっ。彼女とはクリスマスに会えっ。その前に、頼む。 一時間だけっ」 悪いけどさ、と仙道は前のめりになって、真向かいに座る友人に向けて口の端を上げた。そんな何気ない動作 だけで、ひとを圧倒するものがあるのだからイヤになる。 「すげぇわがままで、すげぇヤキモチ妬きなんだ、アイツ。それに、久し振りだから。会うの。約束したし、遅れでもしたら、 次、会ってくれねぇ」 「おまえ、が?」 驚いて彼は少し顎を引いた。 「そ。振り回されて、虐げられて。オレも大変な恋してんのよ。分かって」 と、大学バスケ界のスーパースター、仙道彰はわざとらしく自分の胸に右手をあてて、うっすらと笑った。 気弱な男の素振りの効果は絶大だったようで、彼はなにやら達観と満足を足した複雑な表情で、がんばれ、 と言い残し、あっさりと引き下がってくれた。悪いね、と思いつつも、まぁ、いい訳が丸々ウソじゃない部分が 笑える。 事実なんだから。 彼は仙道の日常が華やか過ぎて、おそらくとっかえひっかえで、一途なんて言葉、辞書にはないと決め付けていた ようだが、確かに去年のいまごろはだれとどうしていたっけ、と考えなければならない ほど記憶が定かじゃない。たぶんそのころ付き合っていた彼女と、学生には分不相応なフレンチレストランへ連れて 行かれた。そして取ってつけたようなお決まりのコース。予約を入れたのは仙道だが、それらの店とホテルを 探し出してくれたのは彼女だ。仙道くんは忙しいだろうから、と気を使ってくれた。 その彼女の顔が前後でだぶってしまって思い出せないんだから、クリスマスなんていったいだれのためにある、と 聞きたくなる。 不遜なのは分かっているから口には出して言わないが、これって羨ましがられる部類の話なんだろうか。 自分にとっては欲しくもない二十代前半の思い出。なぜみんなそれほど躍起になって特別視するのか分からない。 それは楽しいだろう。美味しいものを食べて綺麗に着飾った彼女を連れて、それなりに酔ったりもした。 けれど本当の楽しみ方が分からなかったから。 だから、何年ぶりだろう。「クリスマスプレゼント、なにがいい?」なんて、本気で聞いたのは。尤もその問いに 「は?」、とひとを小ばかにした声で返したのは、十四も年下の、正真正銘お子ちゃまでワガママで手のかかる、 だがいまの仙道が会えるその瞬間を待ちわびているただひとりの少年だ。 友人の誘いを蹴ってつくった金曜日の逢瀬。約束より少し早く着いたといっても夕方に近い時間帯だ。吐く息も凍り そうな実家近くの公園で、仙道は出逢い頭にそう告げた。受けた流川は、意味が分からないとでも言いたげに瞳を絞って いる。 オヤが心配するから、いまどきの小学校三年生はちゃんと携帯も持っている。だから連絡もスムーズで、 三時ごろに着くとメールがあったから、流川は既にアップ済みで、やる気マンマンで待っていた。冬休みに向けて学校の授業は すでに短縮。家にいても時計の針の動きが気になるだけだから、宿題を終えボールを抱えて飛び出した、 なんて仙道が知らなくてもいいことだ。 前に会えたのは十一月の第四日曜日。インカレの最終日。前日の準決勝で仙道の学校が敗れたため急遽休みになった らしい。洗いざらしのジーンズに革のジャケット。片手をポケットに突っ込んで、久し振り、とのん気な声で。それから 小一時間。挑んで突っかかって、軌道修正をたくさんされて。そのひとつひとつを鮮明に思い出せる。それくらいに希少 だったということだ。 仙道が流川の小学校の教生でなくなってから会えたのはこれで三回目。待って待って、やっときょうが来て、なのに その瞬間、流川が会いたかった男はバスケとは、勝負とはなんの関係もないことを口にした。 「クリスマスプレゼントだよ。なんか、欲しいもん、ない?」 「いーよ。べつに」 「まぁそう言うな。Tシャツとかタオルはありきたりだし。ボールは持ってるだろ。バッシュでも見に行く?」 「まだつぶれてねーもん」 「おまえらの年齢って、すぐに足がでかくなるからな。こればかりは贅沢とか言ってないで、小さくなったらすぐに 買い換えなきゃだめだぞ」 「ちゃんと、合ってる」 「そお? じゃ、ひとつ大きいサイズ、買っとけばいい」 「んなたけーもん、もらったら、オヤにシカラレる」 「わぁ、躾けられてんな、流川」 「とーぜんだろ」 流川は少しイライラしだした。自分はボールを胸元に引き寄せたまま、チェストパスの体勢を取っているのに、 それを渡したい男はコートも脱がないで困った顔をしている。そんなことはどうでもいいからと、一歩下がってパスを 送った。たぶん、一カ月前よりも強くなったそのスピード。気づかないのか、男は両手で受けたそれを手許でクルッと 回転させている。 「じゃ、なんか旨いもん食いに行こうか? ちゃんと親御さんに了解をもらうから、遠出してもいいし」 「そんなん、どーでもいい。マンツーしねぇのかよ」 そう言って唇を尖らせると、仙道はストバスコートの脇にあるベンチに放り投げてあった流川のジャケットを 取りに戻った。流川の前に戻るとそれをふわりと肩からかける。風邪、引いちまう、とは、コートがあるのに、ボールも あるのに、相手もいるのに、動こうとしないものが口にする言葉だ。 「悪いな、あした朝いちから遠征だから時間がなくてさ。すぐに帰らなきゃならない」 「だったら――」 「うん。顔見て言っとこうと思って。これからのことも」 「……」 「来年、オレ卒業なんだ。バスケの強い企業に就職するわけ。入社は四月からなんだけど 、年が明けたらクラブの練習に合流させてもらえる。寮から寮へだけど引越しもあって。卒業までの単位がギリだから、 授業も出なきゃなんない。いままでみたいに、しょっちゅう、会えなくなると 思うんだ。プレゼント。ちょっとした罪滅ぼしの意味もあって。だから、気にする必要はないんだよ」 キギョウだのタンイだのリョウだのと、流川の世界とはかけ離れた言葉に圧されてなにも言えなかった。けれど理解 できた事実はたったひとつだ。 「黙ってて驚かせようとも思ったんだけど、どうせなら欲しいもんの方がいいだろ。おまえ、気に入らなかったら、 んなもん、いらねーとか言いそうだし。そーなると、オレ。めげちゃう」 シオらしく眉毛なんか下げやがって。 まるでコッチが悪いみたいに。 けど、分かった。 やっぱ、コイツ、ウソつきだ。 「いらねー」 強い口調で手を弾いて拒絶すると、仙道にかけられた、袖をとおしていなかったジャケットが背後に滑り落ちた。仙道の 視線がジャケットに移り、睨み上げる流川に戻り、浮いてしまった両手同様、困惑しきっている。 「流川?」 「いらねーっつってるっ」 「遠慮する必要、ないって」 「エンリョじゃねー。てめーからなんか、ぜってー、なんも、いらねー」 叫んで、そのまま背を向けた。 背後で自分の名を呼ぶ仙道の声がする。それを振り切るみたいに駆け出した。 いらない。いらない。ほんとうになにもいらない。 あの男はなにも分かっていない。どうして、いまみたいに月いちあるかないかが、しょっちゅうなのか 流川には全然理解できなかった。そんな程度がしょっちゅうで、さらに仙道に言わせると、もっともっと会えなくなると いう。 その代償がクリスマスプレゼントだなんて、だれが欲しいもんか。 欲しいものはもっと他にある。 なぜ分からない。 ずっとそばにいる、なんて大嘘ついて、いた試しなんかない。ずっとは毎日という意味だと流川は思っていた。 キョウセイでなくなっても、毎日相手をしてもらえるんだと勘違いしていた。以前そう詰ったらあの男、スケジュール帳に 授業と練習と試合と遠征の予定を書き込んで、こんな状態だから流川に会えるのはこの日だけなんだよ、と、情けなそうな 顔で覗き込んできた。 そのさまがちょっと可哀相で、そうかと納得してしまったのが間違いのもと。そんなに忙しいんなら来るなと、 もう来るなと言ってしまえばよかった。待つだけだからイヤなんだ。一方通行でその日しか 楽しみがないみたいで。きょうみたいに望みどおりに運ばないと、こんなにもイラつく。でも言えなかった。流川の 世界は狭くて、どこを見回しても仙道以上のケイジャーは見つからない。 あいつしか。 見えないのに。 いま以上に会えなくなって、なにを目指してゆけばいい。あいつ以上のものがいないのに、いないから次に会った ときに目を見開かせたくて、すごいなと頭をかき乱して欲しくて、フープを見上げ続けた自分はどうすればいい。 月いちがもっと少なくなって。会えなくて。 会えなくて。 そのとき思考が一周したかのように、流川は思い至った。そうか。時間がなくて、あしたから遠征で、そんなこと電話で 済むのに、それだけを言いに仙道はやってきたのだ。 気づいたとたん、公園から通りへと出る境界辺りで後ろから腕を掴まれた。 「流川っ」 言いざま引き戻され、目の前の歩道を走る自転車のブレーキが軋む音が耳を裂く。「危ないだろうっ」と自転車の男に 怒鳴られる前に流川は、自分が置き去りにしたジャケットごと仙道の長い腕に抱きこまれていた。 「おまえ、逃げ足、早やすぎなんだよっ」 頭の上から叱られて、仙道の声に包まれる。脈打つ仙道の鼓動はちょうど流川の額の辺りにあった。ここまでの追いかけっこ だけが原因じゃない高まりに、抱かれたまま呼吸が整うのを待った。覆いかぶさる仙道は腕の力を緩めようとはしない。 がんじがらめで身動きすら出来ず、逃げを許さない強さに流川は食ってかかるしかなかった。 「放せよっ」 「なに怒ってんだ。急に飛び出して。車にでも引かれたらどうーするんだ、このバカっ」 「るせーっ。てめーの方がクソバカやろうだっ」 「なんだって?} 「なにがプレゼントだ。なにがウマイもんだ。そんなん、いつ欲しいつった。なに見てたんだ。てめーの目は どこにくっ付いてやがるっ」 「バッシュ、気に入らない?」 「てめーのくれたバッシュがバスケの相手、してくれんのかよっ」 「そうだね。相手出来ない。出来ないから、その代わりにって思ったんだけど、やっぱだめか?」 「ダメに決まってんだろ。このウソつきっ」 「そう。大人は平気でウソをつくよ。おまえとのひとつひとつの約束よりも、漠然としたものを守ろうとするから。 もっと機会をつくってやりたいけど、これ以上は無理なんだ。でもずっとそばにいるって言った。これだけはウソじゃない」 「それも、いそがしいから、だめだとか言うんだ。きっと」 「言わないよ」 「言うっ」 身を捩って仙道の胸に手をついて突っぱねた。けれど彼の両手はまだ流川の肩にある。この距離をこれ以上広げない ように願う力が流川をその場に縫いとめる。 「言わない。でも怒っていいよ。おまえの願いを全部叶えてやれそうにないから」 ――それでも。 「オレに背を向けちゃダメだ。おまえはずっとオレに向ってこなくちゃ」 のんびりとした口調を裏切る執拗な視線を受け止めて、流川はまっすぐ仙道を見つめた。そこにはいつものニコヤカな 笑みがなかった。なに凄んでやがるとまず思う。そこに、ワガママ言ったから怒らせた、なんて考えは存在しない。 「いつもいねーくせに、エラそうに言うな」 そう言い放ち流川は肩に置かれた手を外して、代わりにその右腕を抱きしめギュっとしがみ付いた。所有の証明だ。 驚いたふうの仙道の、空いた手が髪を撫でてくる。アレ、っと思う。重い嘆息とともに仙道の気が緩まったのが分かった からだ。うん。この手、次も使えるかも。 「次はいつ来るんだよ?」 そう尋ねたときにはもう離れていた。いつまでも引っ付いていられない。なんでと仙道は聞く。聞かれても答え られない。引っ付いた意味も離れたタイミングも。 「二十五日。待ってな。でももう公園で待ち合わせは止めよう。寒いからな。迎えにいく。家で待ってろ」 「練習、出来ねーじゃん」 「大丈夫。市立の体育館のコート開放を使おう。ふたりっきりじゃないけどね」 浮いた仙道の手が流川の背中に回った。送ってくから帰ろうと促されて大人しく従ったのは、来週会えるから。 見てもらえるから。インのコートでコイツと。だったらなんで最初っからそう言わないのかと思う。 カタチ? いったいなんの? 目を合わせると、きょとんと見返してくる。訳が分からない。けれどそんな分からない男を心待ちにしているのだ、 流川は。
end
写真素材
夏色観覧車さま
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