世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
「なんだ、それ?」
春風が巻き上げた塵を避けるため、流川がその長い睫毛を瞬かせる。
丁度舞い散る桜の花びらのリズムの如く、それはちろちろと仙道の視界で小刻みに揺れた。
「知らねーの?在原業平。歌人だ」
「知ってる」
憮然と答える流川に自然と仙道の笑みが洩れる。
「アリワラの方じゃねー。サクラがなんとか、って奴」
仙道が目を丸くした。
「業平を知ってて、この歌を聞いたことがねーなんて、サギだな」
そして喉の奥でククッと笑う。流川が一番気に入らない、仙道の笑い方。
少し高みから自分を見下ろす位置にいる時に仙道が仕出かす嫌な笑い方だ。
気分を損ねたらしい恋人の気配を察してすぐに仙道は謝った。
「悪かったな」
そう言って業と顔を流川の目の前に近づける。
普段は気付かないけれども仙道の睫毛は意外と長い。こんなにも顔を近づけられた者だけが気付くことのできる特権の
ようなもの。
肉付きの薄い唇が僅かにその端を上げ、軽く流川を見下ろしている目許は穏やかに笑っている。
挑発的ではない、だけど仙道が醸し出す紳士的なオスの匂いに無意識ながらも流川は身体を強張らせた。
「ふん」
そう言って横を向くのがせめてもの流川の抵抗だ。それを知っているから仙道は今度はコソリと微笑う。
目の前の桜の樹は漆黒の夜空を背景に雅に、そして妖しく、その圧倒的な美しさをひけらかしている。
今、目の前に両の手を広げるようにずっしりとそびえている大木は、あたかも二人に覆い被さろうとするかのように
重々しく繁る。
枝をも持て余すくらいのたわわな花たちは、大樹が呼吸する振動でさえも刺激になるのか、絶え間なく花びらを降ら
せていた。
「業平が詠んだ歌だよ、それ」
ずいぶんと間が開き流川が一瞬何のことが戸惑う頃になって、漸く仙道が答えた。
「確かこの世の中に桜の木がなければ、もっと心穏やかに春を過ごすことができるのに、って意味だったかな?」
ふうん、と返事にもならない答えを返してから流川は仙道に尋ねた。
「何で?」
隣りに座る仙道は流川の方に上半身だけ捻りながら、何が?と聞きたげに小首を傾げる。
二人の間の宙を何枚もの桜の花びらが流れていく。
きっとその所為なのだろう。そんな些細な仕種すら幻想的に思えてしまう。
そのまま二人見詰め合って時を過ごした。互いに見惚れている事実にも気付かずに。
そのうちに流川が思い出したように尋ねた。
「何で桜がなきゃ、心穏やかなんだ?」
流川らしい疑問だと仙道は思う。
その刹那刹那を走り抜けるように過ごしている流川では見過ごしがちな「あはれ」の情とでも言うのだろうか。
きっとその気持ちはとてもセンチメンタルな部分に巣食うものだと仙道は思っている。
「折角綺麗に咲いてるのにさ、散っちゃうなんてなんか寂しいだろ?」
そう言って仙道はその桜を見上げる。雪かと見紛う桜の花びらが止む事も忘れて降り続けている。その無心の有り様に
瞬時に仙道は心を奪われ、花びらを見続けたまま他人事のように呟いた。
「春になる度に永遠ってものは在り得ねーって思い知らされるってことだ」
そう言ってはみたところで、流川には理解してもらえるとは到底思ってはいない。
案の定「くだんねー」とあっさり吐き捨てられた。
そう言った流川の黒髪には何枚かの桜の花びらが纏わりついていて、散ったはずなのに、生まれたばかりのように
瑞々しく映えている。
唇を近づけたい衝動を仙道はやっとの想いで耐えていた。
「別に桜が散ったからって、俺は何も思わねーけど・・・・」
言いながら流川は目の前に舞い散る花びらを掌で受けた。それをじっと見つめてから「案外白れーんだな・・・・」
と独り言を言って、ふっと吹き飛ばす。
目の前の現実をまるで夢のようだと仙道は陶然と眺めていた。
桜の散る頃は、花びらの所為で何もかもがぼんやりと霞んで見えて、夢の中の情景のようだ。
頭の中も霞んで、いつもとは違った自分が頭を擡げる。
今日みたいに二人してこの地方では有名な桜の大木を見ながら、こんな夜更けに公園に座り込んでいるのも何かの
まやかしかもしれない。
それが証拠に、将に花見時期の春の夜に、この有名な桜の木の周りには誰も集まってはいない。
だからもしかしたら、隣りに座る恋人も手を伸ばしたらその手があっさりと宙を潜り、忽ちその愛しい姿を眩まして
しまうかもしれない。
そんなはずはない、と己の酔狂に呆れながら仙道は流川の方に手を伸ばす。
すぐにその掌を弾き返す鍛えられた流川の皮膚の触感が、薄手になった衣服を通して伝わって仙道は思わず苦笑した。
いきなり肩を捕まれて、流川が訝しげに、だけどゆっくりと仙道の方に視線を移す。
上弦の月の儚い光を受けて、花びらの一枚一枚がその光を反射するかのようにぼうっと光る。
そのお陰で灯すらない夜の公園は薄っすらと明るくて、そんな暗がりでも近くに座る仙道の表情ははっきりと判った。
「なんだ?」
そう尋ねた流川だって、もはや仙道が自分に触れた理由なんてどうでもいい。
既に心は恋人に馳せ飛んで、一刻も早くその唇に触れたくて流川は自分から仙道に顔を近づけていった。
暗がりに光る桜の花びら。消え入りそうな朧月。間近で仙道を映し出す煽情的な流川の瞳。
全てがあやふやで幻想的で、絵空事のように思えてしまう。
この一瞬が消えてしまうことが怖くて仙道は我を忘れて流川に唇を重ねた。
焦がれるような口付けは待ち遠し過ぎて、触れた瞬間に互いの想いは弾け飛ぶ。
会ったその時からこうして触れていたかった。それを伝えるように互いの舌は熱く絡む。
呼吸さえもどかしくて、時折喘ぐように漏れる相手の吐息をも一緒に飲み込んで。
何度も角度を変えて、タイミングの合わない焦った不器用な口付けを繰り返す。
恋しい。
その気持ちだけが先走って情けないくらいに不恰好な口付けだ。
だけど、今のこの「好き」という強い想いだけが、この世に存在するたった一つの紛れもない事実なのだと。
それを確かめ合うように、縺れ合い絡み合い、もはや格好が悪いだとか余裕をかますだとか、そんな気持ちのゆとり
もなくなって、どちらが上になるともなく、二人芝の上に倒れ込む。
舌が発する濡れた音が喘ぐ息に混じる。
相手の頭を抱えて噛み付くような、挑みかかるような。
獣めいた口付けに我を忘れた。
どれだけそんな風に転がりあっていただろう。
既にジーンズの中で窮屈になった自身が理性の限界を訴え始めた頃、下半身に伸ばした仙道の手をムキになって
捕まえて、流川が「止めろ」と凄んでみせた。
「何で?」
今度は仙道が先の流川と同じ質問を繰り返す。
「流川だって、そろそろ限界だろ?」
そう言って仙道は「俺も」と流川の耳元で小さく囁いた。
その熱い吐息を耳元にかけられて流川はブルリと身を竦める。たったそれだけの吐息なのに背筋を貫く程に感じて
しまう。
「あ」と思わず漏れた声に、勝ち誇って尚も仙道はその甘い耳朶を柔らかく噛んだ。
そしてそのまま流川の首筋の弾力を味わうかのように唇を下ろしていく。
されるまま。天に広がる大木の花々を見上げながら流川が抑揚のない声で尋ねた。
「こんなとこでヤんのかよ?」
今さら何を?と答える気もなくさらに仙道は流川のズボンのファスナーを下ろす。
「桜の下でサカってるなんて日本人の風上にもおけねー」
流川にしては上等の冗談だと思いつつ仙道は「お互い様」と呟くと、スルリと布の間から流川の股間を直に触れた。
・・・・・・・・・・っ・・・・・・・・・・
息を詰め思わず身体を撓らせる意地っ張りな恋人を上からしっかりと押さえ込み、仙道がゆっくりとそれに手を添える。
掌を当てがって己の長い指先を纏いつかせれば、その脈々とした鼓動が熱く指先から伝わって触れた方の鼓動も連動
して早くなる。
もっと欲しくなる。
触れるだけでは物足りない。
自分の感覚の全てでこの人を感じたい。
これほど懸命に相手の存在を確かめ合っている自分達は、本能的に知っている。
永遠なんてありはしないことを。
だからこそ目の前を惜しげもなく舞い散る花びらの全てが、あまりにも刹那的過ぎて物悲しいのだ。
美しいはずの桜の大樹が満開になればなるほど狂気じみて見えるのは、死に急ぐ者のようだから。
ずっとこのままいられるはずがないと知っているから、狂ったようにただ恋人を求めて。
後ですっかり消えてしまわぬよう。記憶さえも薄れてしまわぬよう。
刻印の如く相手の身体に己の存在を無意識に刻み込んでいく。
流川の張り詰めたペニスがはっきりと脈動を浮き立たせ、仙道がその筋に沿って舌を這わせる。
互いに愛撫を施したそれが物欲しげに夜目にも濡れている。
半身を剥き出しにして、肉棒をぶつけ合いながら縺れ合う様は狂気にも近いけれど。
この世に何か久しかるべき――
自分達の今がすっかり時間に飲み込まれてしまうことを恐れながらも、成す術もなく時に取り残されているのは
詮方もないこと。
永遠なんてありはしない。
それを知っているからこそ、二度とは来ないこの一瞬が愛しい。
狂おしく求め、確かめ合いたい。
泡沫のこの世の出来事は全て、春の夜の夢の如く儚いものだと知っているから。
end
「春夜夢」の柊さまから、腰砕けになりそうな仙流を
頂戴しましたvv どーです。この幻想的で色っぽくて刹那いお話。スゴイなんてもんじゃないです。もう圧巻です。
そのひとことに尽きるでしょっ! 幸せだぁぁぁ〜。 きじまがムリヤリ押し付けたのがアレで、
なのにこ〜んなしっぽりとしたお話を頂いちゃって、もう、ね、ゴリ流を十話くらい書いて、柊さまに貰っていただいても、
まだレートが合わないですよっ!! ほんとにほんとにありがとうございましたっ(土下座)
|
|