「あら、久し振り」



 とある穏やかな日曜日の午後。
 待ち合わせに使っていたクラシカルな雰囲気の喫茶店で、仙道がぼうっとテーブルの上に肩肘をつきながらバックに 流れるジャズのコード進行を頭の中で描いていると背後からイキナリ軽快な声がかかった。
 日差しも穏やかなら曲も単調さを帯び、ほとんど寝ぼけ眼なまま視線を上げると飛び込んで来たのは、目にも鮮やか なパステルグリーンのワンピースをスルリとまとった美女の姿。腰に手を当てニコリと典雅な笑みを浮かべている。
 その落ち着き払った態度からどう見繕ってもOLか人妻だ。どこでお知り合いになりましたっけ、 と一度目を瞬くと仙道は口を、あ、の形のまま潰れたような声を出した。
「あ、じゃないわよ。昔のオンナのことなんか、いちいち覚えてられっかって?」
「忘れるもんか。酷ぇ言い草だな。すげぇ大人っぽくなって美貌に凄みが増してたからびっくりしただけじゃん」
「相変わらず口先だけで生きてるのね。どうしたの、ひとり? あ、彼女待ちか」
「ま、彼女じゃねーけど」
「あたしもひと待ちなの。ここいい?」
「いーよ。けど一年ぶりくらいかな? 女のひとってちょっと会わないうちにすげぇのな」
「そんなに子供っぽかった、あたし?」
「これは失礼。ショウコさんはオレに勿体ないくらい色っぽかったデス。その色香に酔いました」
「やーねー。それ最初だけだったじゃん。で、結局いい年したオンナが五つも年下の高校生に振り回されちゃってさ、 カッコ悪いったらなかったよ」
「振られたの、オレなんだけど」
「振ったんじゃなくて諦めたの」
「なんだそれ。あんとき、オレ、すげぇ落ち込んだのに」
「あり得ない。一時間くらい?」
「ん。次に好きなひとが出来るまで」
「速攻ね。それ」
「容赦ねーな、ったく。けど雰囲気変わったな。落ち着いてるのに蕩けそう。幸せでございますって顔に書いてある」
「ありがと。ま、確かにオンナは好かれてなんぼよ。彰クンと別れて実感させてもらったわ」
「うわぁ。目茶苦茶傷つくお言葉」
「あんた、あたしと付き合ってたときになん人と二股三股かけてた? もう時効だから言ってみ」
「オレ。こう見えても一途なんだぜ。んなことしてねーって」
「どの口が一途って言うかな。あたしの目は節穴じゃない」
「信用ねーな。ショウコさんが惚れたオレってそんな男だったのかよ」
「あたしの親友とデートしながら、そんな顔してノラリクラリ逃げるひとをね、信用できますか」
「そんなこともあったっけ?」
「どうせ来る者は拒まずで、強引に誘われるままにホイホイ付いてったんでしょ。あのとき彰クンは無実だとか 言い張ったけど、シタよね?」
「シテないって」
「シタって聞きました、本人から」
「ウソ! オンナ同士の横のつながりって訳分かんねー。言うか、ふつう」
「自慢したかったんじゃない? 据え膳逃す彰クンじゃないし」
「出されたものは美味しく頂かなくちゃな。けど一回きりだよ。オレ軽いの好きじゃないから」
「頂いてからそういうこと言うもんね、あんたは。いまでこそ笑って言えるけどね、彰クンのそういう調子の いいとこ、あたしもその中のひとりなのかなって突きつけられるのよ。知ってた?」
「そーゆーつもりはなかったんだけどな」
「いまさら遅い」
 彼女は運ばれてきたガム抜きのアイスティーを直接グラスから口に含んだ。



「バスケ頑張ってるの」
「うん、楽しんでるよ」
「練習以外は、でしょ」
「お見通しだな。んなに練習サボってたかな」
「日曜なんかさ、あたしのベッドから離れなかったじゃない。いまになったら、あたしの胸が恋しかったのか、練習に 行きたくないから擦り寄ってたのか、分からないわね」
「あ〜、ショウコさんの小ぶりな胸が懐かしい」
「煩いわよ。悪かったわね、貧乳で!」
「量より質ってね。要は感度だろ」
「ったく、白昼堂々とよく言うわ。で、やっぱりいまの彼女も貧乳?」
「えっ。ま、そう言えるかも」
「やあね〜、男の拘りって。結構しつこいから」
「デカさは求めないの。乳離れしてる男だったんだ、オレは」
「そういうことにしときましょ。あの頃のさ、彰クンの顔の好みって節操ないくらいに多種多彩だったじゃない。けど、 体脂肪率低そうなのは一貫してたよね。いま付き合ってる子ってどんなタイプ? やっぱりスレンダー?」
「言葉では言い表せない。一言で言い表したらきっとびっくりする」
「なにそれ? メ○モルフォーゼを着込んだようなロリータ娘じゃないでしょうね!」
「その境地にだけは足を踏み入れたことないな、未だかつて」
「これ以上守備範囲を広げるのは止めなさい。で、どうなの?」
「いくらオレでもショウコさんの前でベラベラ惚気られねーよ」
「ヤダ。口を開いたら惚気しか出てこないから言わないって? あたしに気を使ってくれてんの? どうもホントに ありがと」
「そう言うんじゃないんだけど、ショウコさんさぁ。すげぇつかぬことをお伺いしていいかな?」
「なによ、改まって」
「ん。なんていうか。ほら初めてって痛いだけじゃん」
「イキナリなんの話をし出すんだ、この男は?」
「他に聞けるひといねーし」
「それでも久し振りに会った昔のオンナとする会話? さっきの気遣いは何処へ行ったの」
「そーだね」
「デカイ図体して萎れてんじゃないわよ。で、なに? 痛いがどうしたって?」
「ん。最初は痛いけど、何回くらいこなしたらヨクなるもんなんかなって思って」
 彼女は口の中で弄んでいた氷をガチっと噛み砕いた。



「ちょっと待ってよ、あんたまさか生娘に手を出したんじゃないでしょうね!」
「生娘って言い方生々しいよ、ショウコさん。悪代官になった気分」
「彰クンの場合、代官っていうより部屋住みの冷や飯食いって感じだけど、信じらんないわ。お手軽お姉さんで 散々遊んでテク磨いて本命はバージン? あたしたちはあんたの踏み台扱いな訳?」
「そこまで自分を卑下することないじゃん」
「卑下してんじゃないわよ。怒ってんの!」
「別に選りすぐった訳じゃないよ。偶々そーなっただけで」
「いるのよね、こういうタイプ。散々あちこちで食い散らかして、結婚する相手はバージンとかぬかす男。 ご多分に漏れずあんたもそうだったんだ。ちょっと幻滅」
「ショウコさん、話、飛躍し過ぎ。結婚なんか考えてねーよ、この年で」
「そか。あんたが高校生だってこと忘れてたわ。けど、ざまあみろね。折角培ったテクもバージンの前では 宝の持ち腐れ。痛い思いしかさせてないってことか」
「そ。厭がられてさ。なかなか進まなかったり。お互いに満足出来なかったり」
「彰クンって物量も長さも相当なものだったからな」
「白昼堂々ってだれの科白だ?」
「ヤケクソよ。やってらんないわ」
「あんなの相性じゃん。合わねーのかな、オレたち」
「彼女、いくつよ」
「彼女っつうか、なんつーか。十五。いっこ下」
「それ、犯罪じゃない」
「そうは言うけど、ショウコさん。付き合ってたとき、オレ中三から高一だぜ。あんなことやそんなことしてた あんたは犯罪じゃないのかな」
「それも忘れてたわ。見えなかったし。でも彰クン、あたしが初めてじゃなかったよ。正直言って慣れてたよ、中坊 の分際で」
「あれ?」
「あれじゃない」
「で、ショウコさんの赤裸々な体験的にはどうなの?」
「いつ頃からってヤツ?」
「そう」
「覚えてない。そういうの個人差あるでしょ。一概に言えないけど、十五でイキナリ喘がれちゃ、お姉さんたち立つ瀬ないわ。 けど、そんなことでほんとに焦ってるの? 彰クンが?」
「ん。どうせするならとことん楽しみたいって思うけど。それだけじゃない気もするし」
「ウソみたい。いまさら純愛手にしたいわけ?」
「らしくなかったっけ? ま、ふたつの感情の間で揺れ動いてるオレも悪くないでしょ」
「それも惚気か。結局」
「あはは、ま、感度は悪くないと思うんだけどな」
「言うことエロ親父化してる。でもそれってさ、ほとんど体内回帰じゃない。手垢のついてない初心な反応も嬉しいん でしょ。オレの手で開拓、みたいな。言っちゃあ悪いけど、爆乳信仰と大して変わらないわよ」
「初心な反応って言うより、エッチすることがそんなに大切じゃないって思ってる感じかな。他にもっと大切な ことがあって、それ以外はおまけみたいなもん。オレはそいつの中では結構いいポジションにいるとは思うんだけど、 オレとのエッチはそこには含まれてない。だから痛いの厭だのってごねるんだ、アイツ」
「へー、なんかカッコいい子ね。バスケしてる子?」
「うん」
「要するにその子の反応に自信が持てない訳か」
「ほんとに好きなら多少は痛いの我慢できるよな」
「そうね。それよりも繋がりが欲しいって思うからね」
「そこなんだよな」
「それ以前は? 前戯の段階もダメ?」
「ううん。それは全然オッケ。ひとりでさっさとイって、寝る態勢に入りやがる」
 彼女は目尻に涙を浮かべてケタケタと笑い出した。
「その子いい! 目茶苦茶いいわ。もっとヤレって感じね。散々振り回してヤレ!」
「笑い事じゃないよ。寸止めってどれだけ大変かなんて分からないだろ。平気なんだぜ、アイツ」
「すごいな。焦らしてるんじゃないんだ」
「んな器用な真似はできないな。スで嫌がってる」
「喧嘩にならないの?」
「なるよ。殴るわ蹴るわの大乱闘。オレもアイツも生傷絶えねー」
「ヤらせろ。させないって? 体育会系同士って壮絶ね。けど、なんか羨ましい」
「どこが?」
「そんなしち面倒くさい相手、あたしの知ってる彰くんならさっさと諦めて次、探してるでしょ。執着すること 覚えたんだ」
「執着っつうのかな、これ? 意地になってるだけって気もする。近頃よく分かんねーよ」
「いいな、そういうの。彰くんに必要だったのはあんたに合わせてなんでも叶えてくれる相手じゃなくて、 自分を貫きとおせる子だったのかもね。寄り添われるのって、案外好きじゃなかったでしょ」
「かなー? 確かに自分の予定がなにもない子って好きじゃない。友達との予定断ってまでもオレに合わせられると、 それだけでダメだ。ショウコさんはそうじゃなかっただろ。レポートの期限が迫ってるからとかで、断られたり したけど、オレ、全然平気だった」
「全然平気とか言われちゃうと、これまた、複雑だわね。けど、恋愛至上主義じゃない子って、同性として共感大よ。 それにあんた、欲しいって思って手に入れられなかったものってないでしょうしね」
「かもしんない。いままでは。けど、ショウコさん。オレ、この夏すげぇもんを手に入れ損なった。本気出しても 届かなかった。サウナ風呂みてーな体育館で鳥肌たった。これ以上ねーっつうくらい完璧に負けた。チームも負けて 個人技でも敵わなかった。泣かなかったけど、得意のつくり哂いも浮かばなかったんだ。悔しいって初めて思ったかも 知れない。勝ちたかったし勝てると思った。一瞬怒りで頭が沸騰しそうになったよ。んなことチームの ヤツらに言えないけど」
「言えばいいじゃん。チームメイトでしょ。素直に負けて悔しいって」
「そーなんだけどね。一瞬で過ぎっていったよ」
「あらあら。長続きしないこと。らしいけど」
「情けねーヤツって思う?」
「うん。なんかきょう、とてつもなく熟睡出来そう」
 散々人生を舐めきった十六歳がはにかんだように小さく笑った。焦燥感は否めないけれど、とてもいい 表情だと思うのは、大人のエゴだろうか。



 グラスの中の氷が解けかけてカランと音をたてて崩れた。それが日に映えてキレイな光の屈折を見せている穏やかなヒトコマ だった。
「だからかな。いい男になったよ、彰クン。前から色気と男っぷりはよかったけど、なんだろ。ひけらかすみたいなとこ あったじゃない。いまはさり気に隠してる」
「そーかなー」
「彰クンみたいに見目がいいとね、どうしたって目に入っちゃうけど、万人に向けてあんた自身を発信しなくていいと 思った? ほんのちょっとのコンプレックスや負目がね、奥行きとか魅力とかにつながるから」
「それはよく分かんないな」
「けど手こずるのも楽しんでるんでしょ。よかったじゃない。バスケも恋愛も思い通りにならなくて」
「だからってこの性格がそうそう変わるもんじゃないし」
「それでこそ仙道彰よ。あたし今度あんたの試合見に行こうかしら。天才が真剣にバスケしてるとこ見てみたい。ちょっとは 真剣にするんでしょ」
「オレなりにね。そー言えば付き合ってたとき、一度も見に来なかったよな」
「興味なかったから。彰クンが懸命じゃないバスケに惹かれるものなんてなにもなかった」
「そっか。待ってるよ」
 ふんわりと笑うと彼女はウインドウの向こうに視線を送って、軽く手を上げた。待ち人が現れたようだ。
「じゃ、あたし行くわ。試合会場で会えるかもね。ご馳走さま」
「いいえ、どういたしまして。その節はどうぞ彼氏連れでおいで下さい」
 彼女は立ち上がると綺麗に背筋を伸ばして出口へと向って行った。カランと閑古鳥が鳴いて立ち去る彼女と入れ替わる ように背の高い少年が入ってきた。ちょうどレジの近くの通路ですれ違い、目が肥えている筈の彼女ですら振り返って しまうような冴えた美貌の少年だった。
(へぇー、キレイな子。彰クンとおんなじくらいの身長かしら)
 つい肩越しに振り返り、少年が向った先、さっきまで自分たちが語り合っていたテーブルへと視線が移行した。元カレの 唇がなにかの形を取る。言葉は聞き取れなかったけれど、穏やかそうな表情が周囲の風景と溶け込み、見ているだけで 鼻の奥がツンと来るような刹那さを覚えた。
 なぜそう感じたのかは分からない。
(なんだ、彼女じゃなかったんだ)
 そう思って意識の次元を引き戻した。
 そうでなければいま目にした彼らの姿が、ひっそりと窪みをつくったパズルの一片を当てはめたような自然さを持って 感じた所以が分からない。いくらタラシの二つ名を持っていようと友達と待ち合わせだってするだろう。
 改めてそう言い聞かせたような自分を不審に思い、それでもあの強かな高校生の分厚いツラの下から滲み出る なにかを隠そうともしない姿を見て取り、前を突き進んでいる彼にとって自分は、すっかり過去の郷愁になってしまった んだと小さな笑みを零した。
 あめ色をした重厚な扉に手をかける。そこには彼女のいまが待っている。
 さよならは前にも言ったけど、なぜかそれをもう一度口にした彼女だった。




end






目茶苦茶突発的に思いつきました。パラレルでは仙道くんなかなか 出てこないから書きたい書きたい病です。
ギャグにしようと思ったんだけど、ならなかった(シクシク)