部活が昼からで天気のいい日はストバスコートのある公園に限る。歩いていて、あるいは走っていて、なにが楽しいって
いまからフープと向かい合えるこの瞬間かもしれない。
きょうは腰の低いディフェンスを抜くレッグスルーの練習でもするか。それとも仙道ばりのバックロールか。
そこに相手がいるには越したことはないけれど、ひとり練のときはだれかを想定するしかない。
利き手から左手。体の前と背後を交差させて、いつも牧を沢北をそして仙道が目の前にいるつもりで対峙する。
接近戦で一番強いのは牧。その威圧感から前のめりのはずの躰が何度も押し返されそうになった。ドライブの鋭さなら
沢北の右に出る者はいない。そしてその身長から一番長いのが仙道の手。長いだけでなくどこから忍び寄るのか
分からない動きを見せる仙道の手。
手にしたボールを奪おうとする仙道の手。
流川は一歩踏み出して立ち止まった。
他校のメンバーに説教したつもりはない。吐き出してスッキリしたのは流川の方だ。多くを望んでいたのも
流川の方だった。自分を取り巻くバスケ環境の中で、仙道が頭ひとつ飛びぬけて、気づいたときには内面まで踏み込まれて
身近にあり過ぎて、共に前を向いていられると勝手に解釈した上での固執だ。
バスケと同等の執着を与えてくれた者なんかいままでひとりとしていなかったから。
名前のつけようのない新たに覚えたそれと、子供の頃から手に馴染んだオレンジ色のボールと。
喩えるなら二度とバスケが出来なくなるかも知れないと言われたら、きっと、逆らってあがなって足掻くのと同じ
ように仙道の家に居続けたのだと思う。だからどれほど呆れられようが親に叱られようが、斟酌しなかった。
斟酌なんかしようがない。自分自身のことなのだから。
だから先ほどの陵南のメンバーたちの八つ当たりは、流川にとっての確認作業のようなものだったかも知れない。
オレはここにいる。ここにいるから早く気づけ。
バスケをする自分とバスケ自体とバスケをする仙道と。流川楓という車輪を形成する三つのスポーク。どれかひとつが
欠けても、真っ直ぐに果てしなく轍を刻むことは出来ない。
残酷だろうが何度でも言ってやる。
必要なのも執着するのも囚われたのも馴染んだのも、そして好きなのも、バスケをするアイツ。
勝手にバスケを切り離すなんて許さない。見ようとしないのも、忘れるのも、傷ついたフリも絶対許さない。
陽の光が弾く公園で、ハロゲンライトが覆う体育館で、リングを前にしてなにを惑う。ひと一倍冷静なくせに、
頭の中にも余力を残しているからそんな埒もない考えに取りつかれるんだ。次に会ったら縄をつけてでもコートに
引っ張ってゆく。そこでマンツーさせてやる。確実に埋めた差を知らしめしてやる。それでもまだ御託を並べようもんなら
その場でさっさと捨ててやる。
そんな今更ながらの決意で顔を上げた先、シンシンと底冷えのする公園のベンチに浅く腰掛け、長い体を前のめり
にさせ、リングと正対している男の背中を見つけた。一歩踏み出そうと気後れしたような、手を伸ばしたくて拒絶されるのを
畏れたようなその背中を見て、吐き出したはずのイラだちが再燃してきた。
ジリと流川は背負っていた黄色いボールを取り出した。
それは一直線に唸るような軌道で、バコっとヤツの後頭部に綺麗にヒットする。こんなところで、いや、ここで
なにを躊躇ってるんだと、怒りが爆発した。
「いで!」
「いつまで黄昏てんだ、このどあほう!」
「無茶するな。脳震盪、起こしたらどうするんだ」
わざわざ後ろを振り返らなくても、その暴挙を起こした犯人はだれだか分かる。飛んできたものがオレンジ色のボールだから
なおさらだ。仙道は片手で頭を抑えながら空いた手でおいでおいでと手招きしながら少し横にずれた。
だがそこで、はいそうですかとヤツの横に収まるほど穏やかにできていはいない。テンテンと転がるボールを
掴んでスタスタと近づき、それを突き出し仙道の前に立つ。ちらりと顔を上げた仙道の視線と久し振りにぶつかった。
朝早くからコートを眺めながら、どのくらいの時間を過ごしたのか分からないが、思惟の読み取れないニヤケ面は
相変わらず健在だ。仙道はやけに清々しい顔でおはようと言った。けれど流川の返せる言葉はたったひとつだ。
「んなとこに座ってないでアップしろ」
「せっかちだな、流川は。エッチするときもそれくらい積極的に求めてくれたら嬉しいのに」
「顔面にぶつけられてーのか、てめーは」
「暴力反対。平和的に解決しましょ」
仙道は諸手を上げて降参したあと流川から視線を外しリングの方へと移した。それに倣って同じように追う。
――あそこに。
「いままで何回くらいシュートを決めてきたのかな、オレ」
ホウと真白い息を吐き出しながら仙道は呟いた。
そんなこと知るかと言ってやりたい。老後にでも考えろ、このバカ。
「何十万本も何百万本も、でも、これから絶対ふえない」
「辞めたらふえないね。けど、決めたから、ふえたからどうなんだって思ったわけよ。あの試合が終わったあとで。
バスケしてなにがしたいんだろ。なんでここにいんだろ。なんで越野たちは悔しいんだろ。久し振りの捻挫も信じられねー
くらいに痛かった。こんな足で走ってなんで負けてんだろ」
「……」
「アキレス断絶したわけでも骨折したわけでも靭帯損傷したわけでもない。ただの捻挫だ。バスケして何度も経験した
痛みだ。けどあの決勝のコートで足首の疼きが頭ん中まで浸透してきて、これでもうバスケしなくてもいいのかなって
思った。オレがゲームをつくってオレが決めて。オレが劣ってオレが牧さんに負けて。痛いから。いまのオレには
そんなバスケだから、もう、しなくてもいいなって」
実際、この男には枷が多すぎる。
「いままでバスケの女神さまの寵愛だけでやってきたみたいなとこあったから、これは見放されるな、って思ったら完全に
やる気が失せた」
「それ、変だ」
枷が多すぎるのは分かった。けれど流川は即断する。言ってること、変だ。
分かっているのか、それに対して仙道はニコリと笑みを返した。
「そう、変だね。どこにいるのか分からないような神さまに縋るような真似をした覚えはない。思い切り勝負に拘ってる
くせに、負けた反動でヤケになるくらい勝ちたかったくせに、その表現方法
が分からなかったみたいなんだ、オレ。練習は好きじゃない。根性論なんか願い下げだ。オレの集中力なんか、おまえの
体力よりも一試合もたないかもしれない。それでも練習は好きじゃない。けど、いまのままのオレじゃ、牧さんには
勝てない。でも練習は好きじゃない」
「あんた――」
流川の耳には、まるで好きじゃないと言い聞かせているようにしか聞こえなかった。
勝ちたい。勝つための練習は積んできた。嫌いなりにゾーンの強化もマンツーマンの精度も、そして得点力不足という
欠点も、ディフェンス力を高めて総合的な底上げに重点を置いた。陵南には神や三井のようなスリーポインターはいない。
いなくても勝てるチームだった。
それが陵南のチームカラーだと胸を張って言える。それはいまでも変わらない。
それでも勝てないとき、これ以上なにをすればよかったんだろう。らしくもなく、練習の鬼になって、
がむしゃらに引っ張ってゆけばよかったのか。流川のように黙々と自分のレベルアップを目指していればよかった
のか。違うだろうと思ったら、信じられないくらいにいつまでも足首が疼いたのだ。
部活が終わったあとも居残り練習するほど好きじゃないからだめなのか。バスケ一辺倒の生活じゃないからだめなのか。
がむしゃらじゃないからだめなのか。いい加減だからだめなのか。将来アメリカへ飛んでプロになりたいと切望して
いなからだめなのか。楽しいと思える範囲での努力しかしないのがだめなのか。
そう思えない者は勝つ資格がないのか。越えられないのか。
――おまえは幸せだよ。
流川に対する苛立ちはたぶんそんなとこにある。夏までは赤木が、いまは宮城が。そして来年からは桜木が
湘北を背負って立つ。こいつはその中で自分のプレイに専念できるのだから。たぶん本当の意味での主将の煩わしさとは
一生無縁で過ごすんだろう。一生練習の鬼でいられるのだろう。だれに憚ることなく。
「楽しいバスケと勝つバスケ。オレの中で上手く折り合いをつけてたと思ってたんだけど、な」
「それでもあんた、バスケ辞められないって、なんとなく、思ってた」
そんな仙道の思案を置き去りに、やけに確信めいて流川は呟く。それには目を見張るしかなかった。
「なんで? やさぐれんのもいい加減に飽きるだろうって?」
「チガウ。辞めようって思ってんなら、いつまでも足首、保護したりしない、ふつう」
ああ、と仙道はスニーカーの下でいまでもサポーターで保護している利き足を少し持ち上げた。
そうか。
激痛のあとの鈍痛は冷やすと拙いし、負担がかからないようにテーピング式サポーターで固定していた。練習を
始めるときのように無意識で保護していた。アスリートにとって足首は命だから。
そう、現役選手にとっては当然の処置だ。
――おまえはすごいよ。
流川の即物的な視点。
ただ、瞑目してそう思う。
「立ち止まんな、バカ仙道。よそ見すんな。煮詰まんな。もたついてられるような余裕、てめーに与えた
覚えないぞ」
そのあと、そう言って仁王立ちしていた流川の罵声があまりにも心地よかったから。
「うん」
と、答えるしかない。
それは確かに。
どこにも余裕は貰っていない。
たぶん、いま仙道が語った言葉の意味をひとつも理解していない男は、その背を蹴り倒す勢いで睨みつけている。
けれど仙道がここに居て漫然とコートを眺めていた意味だけは感じ取ったのだろう。
自己中毒を起こして周囲を慌てさせて、勝手に自己完結してるなんて、我ながら情けないなと思う。考える暇が
あるのなら身体を動かせと周囲は言うけれど、練習嫌いながらも気のない状態でコートに立つことは出来なかったのだ。
――ただひとつの残された矜持。
「おまえとは違ってオレからバスケを取ってもいろんなもんが残るから。結構可笑し楽しく暮らしてゆけると
思ったんだけどな」
「んなもん、ただの残りカスだろが」
「おまえにエンジョイライフを講釈する気はないよ。おまえが手にした数少ないもんは、いろんな楽しさを知った
オレのそれよりも尊いんだろうけど、改めようとはやっぱ思えないんだ」
「結局振り出しかよ」
「十七年馴染んだ性格なんか、そうそう変えられるもんか。だからだぜ、流川。オレの集大成。いい仕事したろ、この
あいだ」
瞬時に垂れ目がエロ目に変化する。すっかり起死回生。呆れるくらいに捲土重来。チームメイトに迷惑をかけまくったこと
なんか忘れ去って、目の前にいる流川は栄養ドリンクかご馳走か。ツツと顔を寄せてくる男から離れて、絶対コイツの
思い通りにコトを運んでたまるかと、流川は小さく拳を握りこんだ。
「てめーが調子乗っていいのはコートの中だけだ」
「ベッドの上でのオレは必要ないって? そんなことねーよな、流川。イイ顔してたもんな」
あ、ソレ知ってんの、オレだけかと、もともと締りのない顔がこれ以上ないくらいにヤニ下がっている。
この手の戯言にいちいち反応してもコイツを喜ばせるだけだと、きっちり
学習済みだ。一番のクスリは無視するに限る。尤も、その意図を知ってる相手もそれくらいで堪えているはずもな
かった。
「つかぬことをお伺いしますが流川くん。オレがバスケ辞めたら別れるつもりだった?」
「離れる」
「どう違うんだ」
「元々引っ付いちゃいねーだろうが。ちょっと近づいただけだ」
「だから離れるって? なんて刹那的な科白だろうね」
負けて負けて負けて。
個人の卓越した能力だけではどうすることも出来ないチーム競技で勝てなくて、根本まで立ち戻ってしまった自分
とは対照的に光を失わなかった男に、抱いた想いはただの嫉妬だ。その自覚があった。ただ、自分の中にそんなドス黒い
ものが存在していたんだと知って、転がって、止まらなかったのだ。
「だからっておまえを傷つけていいって方はないけど、な」
「傷つけたってナンダ?」
「え、だって、おまえ、あんとき、同じようにへこたれてるはずなのに、シレってした顔して現われるもんだから、
あんまりなにも変わんねー顔してたから、つい、抱かれに――とか言っちゃったじゃないか」
ポリポリと人差し指で頬をかくしかない。そんな仙道に流川は眉をしかめただけだった。
そしてのたまう。
「ああ、そんなことも、あったな」
「ちょっと待てよ。覚えてねーのか?」
「なんで?」
――なんでって。
仙道は危うくその場にへたり込みそうになった。男が男と躰を重ね合い、その欲望を内に含む理なさを流川に押し付けて
いるのは他ならない自分だ。だから己が放った言葉がどれほど相手の矜持を踏みにじったかなど、言い放つその場
から我が身も抉っていた。
想う相手にそれを口にする己の顔がどれほど歪んでいたか知っていたのに、
「当たってないこともなかったし」
と、流川は小さく重ねる。
「確かに調子に乗ってた。おまえはオレの去就だけが気がかりだって分かってたから、それだけっていうのがむしょう
に虚しくって、オレの想いはそれだけじゃないって、おまえに分かれって――、え?」
たぶん、仙道は三十センチばかり飛び上がっただろう。
怖気にも似た感覚が足元から遅い来る。上げた手は流川の二の腕をがっしりと掴んでいた。
「流川! ウチ行こ!」
「かったりぃ」
「すぐその気にさせてやる。お兄さんのテクに身を任せなさい!」
「超絶どあほう。昼から部活だ」
「終わったら来い。いいな、絶対だぞ!」
ほとんど涙目の懇願だ。なにをそこまで必死になっているのか、流川には己の放った言葉の影響が分からなかったが、
いつも泰全と揺るぎない男の慌てっぷりが心地いい。ざまあみろと唇がかたどっていた。
「親が目茶苦茶怒ってる。青筋立ててた」
「おまえが親御さんの機嫌を見たりするのか。おまえが?」
「あのばばあ。すぐ小遣い差し止めとかするから、始末に終えねー」
「う〜ん。一週間も連泊だったからな。じゃ、オレがおまえんちのお母さんにお許し貰っといてやるよ。心配しなくても
楓くんのことは、食べることもバスケの練習も勉強もその他モロモロも全部オレが面倒見ますからって――アレ?」
「どあほう!」
双方、サァーっと血圧の下がる音を聞く。そんなのまるで――
「プロポーズみたい、だった?」
「そのバカみてーに回る口に、ボール、捻じ込んでやる!」
「わ、た! 待てって! もうさ、いっそのこと同居しない? 毎日おまえの顔を見る生活に慣れちゃったよ。ひとりの
部屋は寒々しいよ、きっと」
「ウソつけ。避けてたくせに」
「目に痛かったからな。あれはあれで。よし。さっそく菓子折りのひとつでも持って挨拶に行こう。まず、ご両親攻略
のポイントは学年末で席次を百番上げて見せましょう。これでどうだ? 泣いて喜ばれるんじゃない? 生活費どころか
持参金くらいポンと用意されるかもな。あら、仙道くん。うちのどーしよーもないバカ息子なんかでいいの?
なにも出来ないのよ。どう育て方を間違ったのか、どこに出しても恥かしい子なんですから。
なに言ってるんですか、お母さん。オレには流川だけなんですから。いまもこんなにオレのことを心配してくれて
いる。多少捻くれてますけどね、とオレはそこでニッコリ笑う」
形態模写までして確信的だ。なんなんだ、この異常なテンションの高さは。呆れるをとおり越して頭が
痛くなってきた。
「どう? 義理の母には絶対ウケいいと思うぞ、オレ」
「だれが義理の母だ」
流川は腕に絡まる仙道の手を払いのけた。いったいこの一週間の騒動はなんだったんだ。放って置いてもこのノー
天気男、勝手に浮上してもと鞘だったんじゃないかと思えると、自分の取った行動がさらにさらに虚しくなる。
「さっさと部活に行け。さっきメンバーが迎えに来てた」
「うん。分かった。待ってるからな、流川」
なにがあっても、絶対しばらくは顔を出してやるもんかと固い決意で流川は仙道に背を向けた。
風が騒いで、なぜかブンブンと仙道が手を振っていると分かる。待ってるからなとか、絶対だからなとか、放って
おいたら拉致るぞとか、愛してるとか。どこに出しても恥かしいのはどっちだと、尖る唇が僅かに綻んだ。
晩冬と呼ぶには柔らかい日差しの降り注ぐ日のことだった。
end
流川がスキながらこんだけ内面書いたのは初めてじゃないやろか。(アレ)
初め濃厚、中イジイジ、で終わりが甘々と。こういうのって起承転結とは申しませんね。
でも結構リキ入れて書けましたv イジイジ話は楽しいな〜(ナゼだろう?)
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