Jesus!
〜あのバカに知らしめる方法を教えてくれ







 次の土曜日、陵南のメンバーたちは海南大附属高校と練習試合を行うために辻堂へと出向いた。 新しく主将になった仙道と神はにっこり笑って握手を交わし、互いの健闘を誓い合う。
 身を引いて一歩下がったとは言え、圧倒的な存在感を示す海南大附属の元主将を背後に控えた神に、 仙道は情けなそうな表情を見せて眉を下げた。
「なんであのひと引退させなかったんだ? やりにくいだろ」
「海南大に推薦が決まってるからね。暇なんじゃない?」
 だれが暇だ、と当の本人は神の後ろで仁王立ちになっていた。自称一年エースの清田が、 牧さんから盗めるもんはまだまだありますからね、と助け舟を出す。
「大学部はいま以上に厳しいでしょ。さっさと参加してチームに馴染めばいいのに。全国二位じゃ納得出来ない ってんだから強欲なひとだ」
「またそんな心にもない気弱なこと言うだろ。嘘っぽいよ、仙道」
 別れ際、肩越しで言い放つ神に仙道は人好きのする顔を綻ばせた。
「いつまでも三年生が幅を効かせてるとさ、後進が育たねー。冬はそれでこなせても、来年は 陵南の天下だ」
「それでこそ仙道」
 にっこり試合前の火花を散らしあって両チームはアップに向った。
 やはり魚住池上の抜けた穴は大きく、ティップオフやゴール下はどうしても遅れを取ってしまう。牧の障害物 を粉砕するようなペネトレイトには、仙道のボックスワンで対処するしかない。ゾーンの要は越野と 植草のガードコンビ。神のスリーポイントを牽制しつつ、清田も抑える。魚住のいない分、海南も全国の メンバーからは武藤が抜けているとは言え、ディフェンス面はかなり厳しかった。
 だが仙道自身が牧と同格以下では、インハイ県予選の二の舞でしかない。
 牧を越えなければ。
 一瞬一瞬のプレイだけでなく試合全体をつうじて。
 そうでなければ総ての意味がなくなる。
 仙道のディフェンスはより一層深く、低くなった。



「牧さん、オレね、あんまし物事に執着したことないんですよ。ブルズ全盛期のビデオ見て、 ジョーダンにひたすら憧れてプレイ真似てみたけど、彼みたいなケイジャーになりたいかって言ったら そうでもなかったりする。中学のときに勝てないヤツがいたけど、今度会ったら勝つだろうみたいな印象 しかなかったし。高校に入ってすぐに海南の牧ってブアツイ壁が立ち塞がって、去年も今年も 県ベスト4で終わってしまって、そのひとのプレイに圧巻されて絶対一本決めてやるって思ったけど、 どーしてもぶっ倒すとか、寝ても醒めても牧さんとかの執着はなかった」
 インハイ予選を彷彿させるかのような緊迫した攻防が続き、僅差で海南の勝利で練習試合が終了した。 牧を呼び止める形で総括を語り合ったあと、仙道は唐突に切り出した。
 なあ仙道、と牧は浅黒い端正な顔を歪ませて笑った。
「ここはバスケの神さまと同列に語ってくれてありがとうと言うべき場面なのだろうか?」
「試合が終わったらその場限りで、あんたなんか大したことないって言ってるようなもんですから、止め といた方がいいです。オレなら言いません」
 ゴンと牧の拳骨が仙道の後頭部に入った。
「ってぇ」
「おまえに体育会系のなんたるかをいちから教えにゃならんのか? それが先輩に対する態度か」
「牧さん自信そんなもの拘ってないくせに。貪欲で公平で崇高なる神奈川の帝王でしょ」
「それにしてもだ、人に話を聞いてもらうときはな、嘘でももう少し持ち上げることが人間関係を潤滑にするコツだ。 親に習わなかったのか」
「高校からこっち、一人暮らししてるもんで」
 シレっとうそぶく仙道に、いまさら親の不在を言い訳にするなと、牧は容赦なかった。
「で、試合が終われば、バスケのことやライバルのことなんか綺麗さっぱり忘れ去ってしまうおまえ がどうしたって?」
「バスケだけが人生じゃないですから。他に楽しみたいこといっぱいあるし、いましか出来ないことだって ある。さすがに試合ではしないけど、好きな子と会えるんなら練習くらいいつでも休んじゃう」
「天才仙道に憧れてバスケを始める少年少女には聞かせたくない話だな」
「そんなもんでしょ、ふつう」
「まあ、おまえに関してはアリかな。緩急つけないとボルテージが上がらないタイプだ」
「そう。強くなりたい。上手くなりたい。勝ちたい。もっと、もっとって願うけど――例えば牧さん。 アメリカへ行ってプロになりたいと思いますか?」
「おまえの話の組み立ては本当に頭が痛くなるな。ああ、昔は思った。だがおまえが聞いてるのは、いま、か」
「そう、ある程度分別もついたいまです。夢を口にする言葉の裏で、どれほどの苦労が待ち構えている かとか、現実は厳しいとか、努力だけで叶うものではないとか、そんなものほんの一握りだとか、 そういった一般的な常識を知ってしまったいま、易々と口には出来ないものがある」
「流川か」
「そうです」
 と仙道は断言した。



 勝つことに、強くなることにあれほど貪欲なプレーヤーを初めて知った。いっそ見事なくらい不必要なもの は容赦なく切捨て、失うものなどなにもない強さが彼にはある。その目的のためなら他校生だろうが、県外 だろうが飛び越えて吸収しに出向くだろう。
 なにも枷がない羽を持った男だった。
 向う先はその羽が知っていた。
 流川にとって一生に一度しかない高校生活の中で、友人たちとの触れ合いや人を好きになる痛みや、屈折して 縮こまった手足を、体裁や柵に捉えられて足掻くこの時期独特の苦しみなんか存在しない。360度、24時間 バスケで占められている。
 ああ、本当にこんなヤツが存在するんだと思い、見てる分には羨ましいけど関わりあうのはキツイなと感じながらも、 全然タイプの違う自分に対して一直線に放熱し続けるほの白い融点の低い炎に触れて火傷した。
 流川の放つ膂力は彼の言葉数と比例して雄弁さの欠片もなく、けれども彼に倒さなければならない相手と認知 されて始めて仙道は己の立っている場所を知った。
 そのポジションの心地よさも。
 そしてそれが流川限定である事実も。
 気づいて知る。
 この先待っているものは恐らくエゴの応酬だ。
 袖を掴むと腕を取りたくなる。バスケの女神に魂を捧げてしまっている崇高なものを、己の位置まで 引き摺り下ろしたくなる。ちょっとやそっとでは動じない能面を壊してやりたいというどす黒い衝動。 むしり取ってしまいたくなる流川の羽。それを手許に置いて仕舞っておきたい。
 そして、それと逆に恐らく自分でも気づかなかったプレイへの貪欲さや 夢への執念を流川の熱によって呼び覚まされる予感も確かにあった。
 どちらがどちらかを喰らうのではなく、絡み合ったまま昇り詰めることも出来るかもしれないという 妄想は穿ち過ぎだろうか。
「することなすこと負けず嫌いの子供のままなんですよね。それもとびっきりのバスケセンスを持った 野生の仔ライオンだ。ちょっと強い者を見つけると途端に牙を剥いて襲い掛かる。相手が帝王だって 胸を借りるなんて殊勝さは欠片もない。まさに踏み台扱いですよ。まったくお構いなしだ」
 牧はふうんとなにか納得したような声を出した。
「流川がオレに勝負を挑んできた話を知っているのか?」
「ええ、聞きました」
「それで、なににも執着しない神奈川の天才プレーヤーは、珍しく独占欲丸出しでオレに絡みに来たという 訳か」
「あ、それもなんか否定出来ないな」
 悪びれなく仙道は笑った。けど、振られちゃったし、と呟いた言葉が牧にどう伝わったか分からない。 神奈川の帝王は闊達に笑ったあと、
「『あんたは仙道に勝ったと信じてるのか』だとよ」
 と教えてきた。
「へえ」
「あの傲岸不遜で唯我独尊で無愛想なスーパールーキーは、開口一番、そう聞いてきた」
「牧さん」
「だから、無論だと答えた。オレ自信も海南自体も、なにひとつ陵南の仙道に負の要素は持っていないと 答えてやったら、いきなりボールを渡された。抜いてみろってなもんだ。横で清田が騒ごうが まったく意に解さず、オレの目の前で腰を落としやがった。あれで世間につうじるのか? ったく、流川と いいおまえといい、他校生とはいえどういった教育をされているんだ?」
 苦虫を踏み潰したような表情を見せた牧と、そしてきっといまと同じような顔をさせられた情景が簡単に想像 できて笑えた。まったく、相手が呆気に取られようと戸惑おうとお構いなしにあの子供は、敵と目したら瞬時 に地を蹴り、放られたボールと同じく空を舞う。
 さらなる高みへ。
 どこまでも宙をかいている。
 それが夢への軌跡を描いているなんて考えもしないだろう。他人にはそう見えるだけで、流川にとっては 一瞬一瞬の戦いに全神経を賭けているだけだ。
 その情景が目に焼きついてしまって離れない。
 だから、と言ったあと仙道はふわりとした笑みを見せた。
「帝王だろうと、他校生だろうと、先輩だろうと、ヤツにとっちゃ、みーんな踏み台扱いなんですよ」



 牧を引き止めて話し込んでいるうちに、陵南のメンバーとは別行動になってしまっている。せっかく こちらまで出てきたんだからという言い訳もあった。
 尤も言い訳を用意しなくてもきっと会いに行っただろう。
 仕掛けたのは仙道自身。その結果を流川からのアクションを待っていては、限りある貴重な日々が無為に 過ぎ去ってしまうだけだ。去る者は追わない。けれど去ってもいない。そんな答え聞いていない。そして それほど気が長い方でもなかった。
 あれから何週間会ってないか数えることもなかったが、久し振りでいいじゃないかと納得して、 仙道は湘北へと足を向けた。
 不遜にもクツクツと笑みが零れる。
 懐が深くとてつもなくデカイ踏み台だけれど、オレを倒すために牧さんに挑みに行ったかと思うと、 その行動の余りの稚さが手に取るように分かって、高笑いさえ起こってくる。出会い頭一体どんな顔を するのかと想像するだけで、ニヤケ面と称されている容貌がさらに二割増しほどヤニ下がった。
 少し気を引き締めながら我がもの顔で湘北敷地内に足を踏み入れると、ちょうど下校途中の宮城たち 二年生軍団とかち合った。
「よう。久し振り」
「仙道……てめーなにしてんだ。こんなとこで?」
「ん、ま、ちょっと。流川まだいる?」
「流川だぁ? 何の用だよ」
 当然のように目を丸めてくる宮城に、仙道は人当たりのいいお兄さん丸出しの笑顔で相手の追及を 煙に巻こうとしている。宮城も警戒しつつも、どこまで突っ込んでいいのか探りかねているような顔をしていた。
「海南まで来たついでに陣中見舞い。あいつ居残りしてんなら、相手してもいーか?」
 下手に出る作戦を取る。陵南の仙道が腰を折れば宮城だって無下に断れないだろうと判断した。
「てめーが相手だと流川が必要以上に熱くなるからな。あんまし感心できねえよ」
 と、宮城はくるっと瞳を泳がせながら譲歩の姿勢を見せてきた。探しているのは流川の保護者みたいな 立場にある敏腕マネージャー嬢か。相当尻に敷かれているな、宮城リョータ。仙道の笑みが深くなる。
 まあ実際、生意気な後輩を思い遣っている彼女に、理路整然とまくし立てられるのは仙道をしても苦手かも しれない。敵情視察だと思われても仕方がないし、また彼女が見せる慈しみに対向できるほどの強さを、 何も持っていないと自覚しているからだろう。
 今後の展開がどう転ぼうが、それはサイコロの目に任せるとして、いまは穏やかにこの第一関門をやり過ごそう。 仙道は約束するよと微笑んだ。
「オレが欲しいのは万全の態勢で挑んでくる流川だ。十月の国体じゃチームメイトだし。アイツの状態視察 なら、そんときにイヤでもできるって。いまは純粋にマンツーしてーだけ」
「純粋だと?」
 なにを敏感に察したのか宮城はスカした言葉を吐いて顎を上げた。ソレを斜めに受けて宮城が嫌がるのを 承知で見下ろすと、湘北の新主将はケッと舌打して仙道の脇を掠めて通っていった。勝手にしろという 意思表示なのだろう。
「サンキュ。あんまし無理すんなって流川に言っとくから」
 それを受けて宮城は、校門へと消えてゆきながら、
「なんでもかんでも、てめーの思うとおりになるかよ」
 と、釘を刺すことも忘れなかった。



「ったく、深窓のお姫さまの牙城は壕が何層も巡ってていけねーや」
 これで外壕は埋めたことになるのだろうか。けれどこのまま本丸に突入しようとしても、忍び返しとかが確実に 行く手を阻みそうで笑えてきた。会うだけで相当の覚悟が必要になる。両手を広げて待ってくれる可愛げも なく、きっと心底凍りつきそうな一瞥を喰らうだけだ。
 ムシされる方が傷つくだろうけどな。
 それでもおまえの相手はオレなんだと仙道は体育館の扉に手をかけた。
 薄暗かった廊下から光放つ館内に一歩踏み出す。明るさはその照明だけではなく、艶やかな光彩を放つ しなやかでフープに取り付かれた猛禽類が、長いハングタイムを経て、地上に降り立った。
 ダン――という無粋な着地音にも鳥肌が立つ。
 いまは怪我でリタイア中の桜木が見せる圧倒的な運動量に支えられたプレイのひとつひとつは、破壊的で 直線的で相手を爆砕させる。海南の牧をして無理な勝負を仕掛ける気にさせる所以だが、まったく色の違う この男のそれは、容貌に比例していっそノーブルだ。
 観客をそしてライバルたちを惹きつけて止まない、桁外れたテクニックに支えられた勝利への執念。 けれども、ルーキーにしてチームを牽引する爆発力は、だれのためでもなく己の拘り故だったりする。
 ただ、だれにも負けたくない。強くなりたいという渇望は、きっと初めてボールに触れたときから 変わらなく根底に根付いているのだろう。
 子供のころから成長しないのではなく、変わらず持ち続けられる流川の根幹。
 なのにどこか不安定で。
 バランスが悪くて目が放せない。
 リングをくぐってコロコロと転がったオレンジ色のボールが仙道の足元で止まった。それを拾い、振り返った 流川の視線と交錯する。
「仙道――」
 ひとり居残り練習に励む男は、意外でもないといった顔をしていた。
 待っていたという感じでもない。やっと来たかという希望もない。ただそこに――ここが湘北の体育館だろうと、 この場に仙道がいて当たり前のコート内だったからだ。
「二学期は合宿やら国体やらで大変なんだから、あんまし無理しねーで帰れって宮城も言ってたぞ」
 仙道は腕の中のボールを一度愛おしそうに抱きしめ、そしてそれを流川に放って投げた。何気に受け取るにも 勇気がいる。そんな慈しみに似た軌道だった。
「あんた、わざわざ、そんなことを言いに来たのかよ。暇なヤツ」
「まさか。流川が来てくれないもんだから、痺れを切らして押しかけたってわけ。おまえとマンツー出来ないと、 禁断症状でるみたいだ、オレ。ったく、んな性悪オンナみてーな焦らす手管をどこで覚えたんだ」
「頭、沸いてんのか」
「グラグラ煮え立ってるぜ。おまえも知ってんだろうけどな。牧さんとこへ行ったって知ったら平常で いられねー。パスの方向を間違えるな、流川。おめーの相手はオレだろうが」
 仙道の思いの丈を詰め込んだみたいなボールをパスされて、それをどこへ返せばいいのかまだ迷う。両腕 で受け取ったそれをどうすればいいのか。自然、持つ指に力が入った。
「――あんたより、海南の牧サンの方がつえー」
「うん。きょうの練習試合も負けちゃったしな。そりゃ、事実だ。けど、流川。陵南よりも海南の方が強いの 間違いだろ」
「一生言ってろ」
 ボールを抱えたままクルリと後ろを見せた流川に、仙道は畳み掛けるように続けた。
「こっち向けよ。んで、パスし返せ」
「分かんねー。あんたの趣味に付き合ってらんねーよ」
 仙道がなにを言わんとしているかくらい察しがつく。このボールの行く先は視線が滲むほど朧気だった。 分からない。まだ分からない。彼の思いよりのなによりも、自分の居場所が不確か過ぎた。それを言葉に する術を流川は知らなかった。
「マンツーするのかしねーのか、どっちなんだ」
 また答えをはぐらかすつもりかと言いながらも仙道は、小面憎いほど穏やかに笑った。それを斜めから 受け止めながら、流川は喉がヒリつくほど乾ききっている事実に気づく。
 こんなにも。
 欲しているのは喉の渇きを癒すなにかではない。
 それは分かりきっている。
 けれど形に出来ない。
 徐に放られ、フワリとした軌道を描いたオレンジ色のボールは流川の手を離れ、きれいに仙道の胸の納まった。 彼は少し首を傾げてそれを抱く。言葉のない唐突さを投げやりと感じるか、面映さを含んだ感情の揺れと 受け取るかは己次第ということにしておこう。
 仙道は諦観したように小さく嘆息をついた。
「一足飛びにどーなるもんでもないし」
「?」
「オレだって、すぐに牧さんの頭上を越えられるって思ってねーさ。けど――」
 そう言って仙道は腰を落としながらダムダムとドリブルを繰り返す。
「けど、今度会ったときにはもう少し距離を詰めてやる」
 緩やかだったリズムが段々とスピードと熱を帯びてゆき、
「距離を詰めるよ、流川」
 言い捨てて仙道はゴールポスト近くで大きくボールだけをバウンドさせた。流川の脇を音もなくすり抜けた 男は、そのままタイミングを計って大きく地を蹴り、豪快にボールをねじ込んだ。
 遅れてダンと着地する仙道の背中。それは必要以上の雄弁さをそぎ落とした男のものだった。
 流川は瞳を瞬く。
 もの言わぬ背を流川はただじっと見つめていた。




end






流川、仙道に勝つためにはなりふり構わないんですよ。 近けりゃ、沢北んとこにだって顔を出すでしょう。
牧さんはやはりいつまでも別格でいて欲しいな。 仙道は越えたと思ってないだろうし、流川にとっては『日本一』に一番近い場所にいる人だろうし。