人は哀しみと憎しみを同時に受けたとき、どちらを強く認識するものなのだろうか。 行く末の幸せを強く願うなら断然前者だ。悲観に飲み込まれて深淵の底にまで到達したのなら、 必ず首をもたげてくる。 だけど一度憎しみに囚われてしまったら、自らを断崖へと追い込むことになる。まだ、奈落の底の方が ましなのだろう。 父が息を引き取った。 五年前に母が亡くなり、ほどなく父は年若い後妻を娶った。家族としての体裁を保ったという形だと僕は思っている。 二才年上の姉なんかもっと辛らつだった。一度も母上とは呼ばなかったんだから、徹底している。僕の方はもう少し如才なかったし、 姉より世渡り上手だっただけで、継母からすればどっちも相当やりにくかっただろう。 兄上は、ちょっと違った。 父の死によって諸葛家の決定権は叔父に委ねられた。つまり僕たちの身の振り方だ。継母上は実家のある江東に帰りたがっている。 それに予想通り兄がつき従うことになった。姉上は凄い目で睨んでたっけ。弟の均が継母上についていくと駄々をこねる。それを 遠いからとか言って、却下する兄上ってどうかと思う。どうでもいいけど。 結局僕と姉上と弟は叔父上について荊州に向かうことになった。妥当な選択だね。 荊州の刺史って人が叔父のことを食客扱いしてくれるらしく、僕たちの前途は洋々だったんだ。 そのときまで。 徐州の彭城近くで酷い戦闘があると聞いて、それでも僕たちは急ぎたいのを堪えて、遠回りをした つもりだったんだ。 でも行く先々で逃げ惑う人々に行く手が塞がれる。 「これ以上先に進むのは危険過ぎます。後戻りすることになるけど、道を変えましょう!」 追従の誰かがそう叫んだ。道に詳しいから叔父がつれて来た家人だ。 そのときはまだ僕にはここまで来たのにって気持ちがあったんだ。渋々だったみなの足並みが、駆け出すのに そう時間はかからなかった。 先に地響き。何がやって来たか考えなくても分かる。騎馬軍団だ! 遅れて砂埃。 ――そう思った瞬間に隣で走っていた誰かの首が飛んだ。 衝撃で均の手をつないで走っていた僕も吹き飛ばされた。 奇跡のように騎馬隊が僕らの脇を掠めて通り過ぎていく。何が起こったのかわからず震えている均 を押さえつけたまま、 僕はあたりが静かになるまでじっとそうしていた。 誰かが僕の肩を揺すった。そうされて初めて、ずっとガタガタ震えていたことに気づいた。 殺されると思った。 「もう大丈夫だ」 誰かの優しい声に伏せていた顔を上げた。砂と涙でぐしょぐしょだ。 同じように無事な人が一面の屍の中をのろのろと立ち上がる。姉上の姿が見えた。駆け寄りたいけど、 立ち上がれない。 均の無事も確認した。叔父上の姿が見えない。 「酷いことをする」 僕の傍らでひざをついていたさっきの人がそう呟いた。身なりは粗末だけど端正な顔立ちの武人だった。 「ほんとうに、いったの?」 「ああ」 その人がじっと見詰めている方向へ僕も目をやった。ひぃっという声がくぐもったまま音にならない。 平原のすぐ向こうにある河、泗水。小川じゃない、ちゃんとした川幅もあるそれが、うず高く重なった 屍で堰き止められようと している。ぐうっとせり上がってきた吐き気を僕は抑えられなかった。 「忘れろ、こんな光景。自身が無事なら忘れたほうが幸せだ」 「あなたは忘れられるの!」 吐きすぎて痛む喉が枯れるほど僕は叫んだ。 「死んだのはお前じゃない。痛い思いをしたのもお前じゃない。同化した気になるな」 「忘れるもんか!逃げる人の後ろから刀を振るう武将のいることを、僕は絶対忘れない!」 なぜかその人は哀しそうに僕を見た。そしてぽつりと告げる。 「では覚えておくんだな。曹操孟徳。父親を殺された恨みで無辜の民をこうまで虐殺した 張本人だ」 その人は静かに僕を見つめている。お前に何ができるのかと問うている。 何もできないよ。何も。忘れないって息巻いても、きっと記憶は薄れていくんだ。 この人の言うとおり痛い目をしたのは 僕じゃない。 ――でも。 あがない続けてやろうと思う。僕なりのやり方で。 |
いやあ、便利です。放浪の武将趙雲子竜。どこでも見参できます。 何でもアリです。ふらりと江東へなんか行ったりして(苦笑) |