かに食べに行こう! (1)






 どこか遠くで呼応するような野犬の嘶き。



 小柄な操が蒼紫を守るように両手を広げて立ちふさがる。斉藤は酷薄な笑みを浮かべ後ろ手に煙草を放り投げた。
「現れたな、妖怪」
「人型のイタチに言われたくない」
「蒼紫さまに仇なす魔物は、このあたしが成敗してくれる!」
「時代がかった立ち回りは結構だ。そこをどけ。おまえ如きと遊んでいる暇はない」
「何ですって!」
 操の憤慨など肩ですかして、斉藤は蒼紫に視線を移す。
「この寒いのに外で待っている必要はあるまい。一時でも早くおれに会いたかったのか。可愛いヤツだ。それにしても一匹 お邪魔なのが気に食わんな。さっさと車に乗れ。出発するぞ」
「待て。おれは行くとは言ってない」
「相変わらず往生際が悪いな。どうせなし崩しに連れ去られるんだ。じたばたするのは時間の無駄だとは思わんのか」
――この野郎!
 いい加減学習能力を付けろと哄笑され、紫紺の瞳が昏さを増す。わざと操の手を取り、したり顔で言い放った。
「操、戻るぞ。こんな所にいては冷える。斉藤が一人で旅行へ行くらしい。土産は水揚げしたての蟹を人数分だそうだ。 楽しみに待っていよう」
「やりぃ。儲けましたね、蒼紫さま。蟹鍋食べ放題パーティーしましょうね」
 本当に嬉しそうな操の顔を見て良心が疼いた。しかしそんな逆襲に動じるような男ではない。背を向けた蒼紫の二の腕を 掴み引き寄せた。
「おれはおまえと行きたいんだ、蒼紫」
 いつも耳元でしか囁かれないその呼び方にぞくりと背を駆け上る何かがある。這うように視線を合わせると、そこにはいつもの 不遜な琥珀の瞳が。絡み捕らえられ、購えなくなるのを懸命に堪えた。
「さっきの聞いたでしょ。いい加減に蒼紫さまの手を離せ、この野獣!」
 次第に密接していく二人の間に割って入ろうにも操ではタッパが足りなさ過ぎる。小学校のとき嫌がらずに牛乳飲んでれば よかったと後悔しても今さらだ。とにかくこのまま見せ付けられるのは我慢がならない。ひたすら引き離そうともがいている ところへ、騒ぎを聞きつけた「翁」が降りて来た。第一声がウヒョなのには勘弁して欲しい。



「いいところへ来た。助けてよ。この不埒な刑事が、嫌がる蒼紫さまを拉致ろうとしてんのよ。通報しちゃって」
 「翁」の瞳が斉藤の上でスッと絞られる。それを受けて斉藤が斜めに「翁」を捕らえた。何か獣同士の無言の威嚇にも 似た嘶きすら聞こえてきそうだ。ほんの刹那の恫喝。何を思ってか、「翁」は表情を和らげると操の肩に手を置いた。
「操、今度新しく出来た京風鍋の美味い店に連れて行ってやろう。おまえ、前々から行きたがっていただろう」
「えっ、ホント? でも……」
「さぁ、お近と増も誘って出かけようか。早くせんと混んでくるからの」
「翁! ちょっと!」
 狼狽える操の手を引いてビルの中に入ろうとする。ついでにしっしっとばかりに後ろ手で手を振った。それを見送る形で斉藤は 口の端を上げた。
「粋な計らい感謝する」
 なぜ――と聞きたい。脳内がクエスチョンマークで充満中の蒼紫の手を取り、さぁこれで障害はなくなったとばかりに促す。 ジタバタと「翁」に連行される操に気を取られて、気がついたときには助手席に座らされていた。
「翁! 操!」
 蒼紫の咆哮が聞かれたのは車が発車された後だった。



 ご機嫌にハンドルを握る斉藤の鼻歌が耳障りだ。どこかで聞いたことのあるゆったりとしたメロディー。あまり努めて 音楽に接することがないので題名など判別できない。会話の少ない車内。どこで聞いたのだろうと、窓にもたれ気味で 取りとめもなく考えていた。シートに背を預けすぎていて、姿勢を変えようとずらし、何か違和感を感じた。 掠めていくばかりの何かに苛立ってため息をついた時、斉藤の鼻歌が止まった。
「休憩だ。煙草休憩。何か飲み物でもいるか」
 無言で頭を振る蒼紫に生返事を返して斉藤は車外へ出て行く。十一月も終わりのこの季節。そしてこの時間。嗜好品のためとは いえ、車外は辛いだろう。それも煙の苦手な自分のためだととっくに分かっている。それを申し訳ない態度で接しては、かえって 色をなすかと思って黙っていた。ふと先ほどのメロディーが鮮明に蘇ってきた。初めて斉藤の部屋に招かれた時、リビングのデッキ から流れていたR&B。指先が触れ、耳元で囁かれ、唇が震えた。期せずして向けられた柔らかい視線から逃れようともがいても、 すべてあの男の腕の中だった。
 流されて流されて流されて。
 駆け上る激情とは裏腹に一部冷めたどこかで、掠れた女性シンガーの歌声をずっと聴いていた。
 バカバカしいと。
 気の迷いだと、本意じゃなかったとむきになって斬り捨てるほどのこともない。強くそう願っている自分をあざ笑い、少し 外気に触れようとシートベルトを外した時、先ほどの違和感の正体が判明した。



「何をまた難しい顔で睨んでいる」
 存分に満喫してきたのか、煙草の匂いのきつい斉藤が暖かい緑茶の缶を差し出すが、自然と体が逃げを打つ。後ずさりするにも 狭い車内。後ろ手でドアを開けようとするのを押し留められた。間近に迫った斉藤の体を押しのけ、これ見よがしに助手席の シートを後方にずらす。長身の蒼紫が座るには少し窮屈な位置に合わせられていたそれを、元の位置に戻した。
 斉藤は蒼紫の不機嫌のわけを察したようだった。ふふんと一つ苦笑い。
「なんだ、言い訳も聞いてくれないのか」
「する必要もないだろう。これはあんたの車だ。誰を乗せようがあんたの勝手だろう」
「十分嫉妬深い顔で、そんな言い方しても説得力ないな」
「世の中、思い込みの激しいヤツらばかりだ。常識人が苦労する」
 斉藤の手がすっと蒼紫の頬に添えられた。
「確かに女を乗せた。ここでこうやって押し倒したかも知れん」
 あからさまな挑発と分かっていて反応し、奥歯をかみ締めたと気づいた時には遅かった。斉藤の満足そうな笑みがしゃくに障る。
「恋人がつれなくてな。誘いをかけてもすべて却下される始末だ。多少強引な手でも使わないと会うこともできない。折角苦労して 会えても取り澄ました顔で、味も素っ気もあったもんじゃない。 それだけ無関心に放っておいて、例えおれが据え膳摘んだとしても文句は言えんだろう、ふつう」
「それはそうだな。苦労しても報われないなら、やめたらどうだ。それだけ価値観が違うんだ。一緒にいても疲れるだけだろう。 あんたが執心しているわけは自分の意のままにならないからだ。男の勝手な狩猟本能だな。手に入れば途端に興味をなくす」
 一般論には一般論で返してやった。
「確かにな、狩猟本能掻き立てる相手ではある」
 だがな、と小さく呟きもう片方の手で蒼紫の背を支えた。
「興味をなくすかどうか試してみたらどうだ。おれは長くいたい」



 ――時を同じく。



 何かが震えた。
 斉藤は蒼紫の上唇に小さく口付けを落とし、そのまま頬を通り過ぎて首筋へ移行させていく。くっと喉がなった。 気をよくした斉藤がさらにセーターの裾から直に素肌に触れてきたのを強い力で押しやった。
 少し怪訝な表情の斉藤に、こちらから噛み付くように唇を重ねる。何をしているんだという内なる声を聞きながら。
 突然の猛攻に驚いた斉藤を確認して体を離し、挑発的に言い放った。
「こんな所でさせるか!」
 そのままぷいとそっぽを向いた蒼紫に斉藤の満足そうな笑みが落ちた。
「上等だ。今から覚悟をしておけ」
 思うつぼというかお釈迦の手の上というか。それから一路目的地へと爆走した車内に、蒼紫のため息が充満したのは 言うまでもなかった。




3000hitsを踏んでいただいたようこさまへ捧げます。

存分に木島の頭の上に砂を吐いてください。寒い! と言いながら楽しくって!
リクは刑事斉藤と探偵蒼紫。砂吐き甘々で蒼紫の方がおねだり。温泉ネタで車内でイチャイチャということでした。
すべてクリアする意気込みですが、微妙にかすってるだけですね。
ようこさまごめんなさい。随分色っぽくしたつもりなんですが、この辺りが限界かと。
またのリクエスト(アイデアともいう)をお待ちしています。