CHANGE IN THE WORLD




〜4







「四乃森」



 止めろと叫んだもののその後映像はコマ送りされ、ふたりの後姿は駐車場へと消えていった。恵の指示で画面は 送られ、しばらくひとの流れを見送ると、先ほど見た二人連れのうちのひとり――厳密に言えば自室でこのあと殺害 されることになる男が帰って来た瞬間だった。
「十一時五十分」
 恵がまた時刻を読み上げた。斉藤は後ろを振り返ることなく声を上げる。
「これは一体どういうことだ」
「それを推理して頂くために斉藤警部補においでいただいたんじゃない」
「連行の間違いだろ」
 恵は解析担当者に、あとはあたしがやるわと言ってその労をねぎらった。挨拶をすませ彼が退出していくと、三人は 溜め込んだ息を一斉に吐き出した。
 恵はふたりが出てゆく場面、つまり十一時十五分まで映像を戻している。見覚えのあるその後姿を指差して斉藤が ハラの底から声を出した。
「これは、やっぱり、そうか。だれが見てもあの男にしか見えないか?」
「彼をよく知るひとは間違いないって即断するんじゃないの? だからあんたを呼んだのに」
「よく知っているわけじゃない」
「あ、知りたいと願ってるの間違いか」
「高荷。しつこいぞ」
 からかわれているだけではない斉藤の苛立ちが胸に小気味よく、恵は大仰に肩をすくめた。ニコチンで埋まった頭 の中は言葉に言い表せない想いが交錯しているとみた。『心配』と顔に大書するには理性と年齢が邪魔をするのだろう。 こんな斉藤を拝んだ日にゃ、くすぐらないでいられるわけがないじゃないか。
「あんたの曇った目で見なくても、嫌味なくらいに立ち姿も美しいからその筋の経験者だって分かるか。でも、ま、 やっぱ海外を経験したショウモデルは、防犯カメラにも反応するのかしらね。いちいちポーズが止め絵じゃない」
 妙な感心の仕方をして一時停止された画面を三人が睨む。ふたりは並んでいるのではなく、蒼紫が少し前を歩いて いた。その後ろ姿を促すように被害者の男は蒼紫の背に手を添えているのだ。状況から判断すると、
「被害者が四乃森をどこかへ誘った。この少し前に部屋でパズルを組み立てていたアイツの元に被害者が訪れる。 なにか相談。あるいは脅迫。あるいはひとの言動や振る舞いに無関心なアイツが重い腰を上げるわけがあった はずなんだ」
「あんたの、あの男に対する認識はその一点に絞られるわけか」
「深夜のドライブに誘って乗ってくるような、ひと付き合いのいいタイプとも思えんしな」
「そして三十五分後に被害者はひとりで帰って来た」
 安慈が呪いのような言葉を投げかける。まるで猟師が投網を海に放り投げるかのようだ。さぁ、なにが網の目を 通り抜けてなにが引っかかる?
「なにがあったかはこの際置いておいて、この時間で往復できる距離に四乃森を連れて行ったと見ていいな。 実質二十五分くらの距離か」
「出掛けるときよりも帰って来たときはなにか慌てていないか?」
 安慈の着眼点だ。確かに被害者は小走りぎみで、画像の悪さとモノクロなのが災いして表情は読めないが、安慈を して『苛立って』と評して間違いないだろう。
「ふうん。行きはウキウキ、帰りはイライラか。連れ出した四乃森蒼紫をどこかに置き去りにするのが不本意だって とこかしら。デートに誘ったのはいいけど、だれかに呼び出されちゃった。急用があるから自宅へ戻れと指示された。 すぐに戻る。少し待っていてくれないか。それはどこか分からないけれど、誘い出した男が、まさか殺されてる とも思わないあの常識欠如気味の男は、いまでもその場で彼の帰りを待っているってのはどう?」
「想像力が逞しくて涙がでてくる」
「大筋から離れてないような気がする。でも、ほんと歩く誘蛾灯みたいな男。次から次へとモテてて、文字どおり 身が持たないってとこね」
「蛾、ときたか」
「蝶だの薔薇だのって表現よりずっとマシでしょ?」
 尤もな言い分だと思う自分は、相当恵慣れしていると思う斉藤だった。



 午前零時を少し回った。昨日の事件からちょうどまる一日。蒼紫らしき人物が被害者に連れ出されて一日ともいう。 視聴覚室にコーヒーの香りが漂ってきたと思ったら、やはり安慈が気を回して煎れてきてくれたようだ。缶コーヒーの 自販機もあるにはあるが、安慈はいつも第三強行犯係室のサイフォン担当だ。これに関してだけマメで生真面目な男なのだ。
 強面だが。
「あー、生き返る」
 恵が盛大にノビをしているところへ斉藤が近隣の地図を持って戻ってきた。被害者のマンションにコンパスの芯を 当て、片道十分の範囲を円で描く。車の流れは深夜でスムーズだろうが信号での停止もある。実際にはもっと範囲は 狭まるかもしれない。
「ひとつづつ片付けてゆくことにしよう」
 斉藤はシャツの袖をめくった。
「この範囲になにがあるかと問われてすぐに思いつくのは」
「被害者が経営していた宝飾店」
「正解」
「そんなに近いの?」
「ああ。二階が事務所。他の階にはテナントが疎らに入っていた」
「そこに四乃森蒼紫を誘ったっていうの? この範囲にはラブホもふつうのビジネスホテルも山のようにあるわよ」
「互いが独身だ。たとえふたりが恋人関係にあったとしても、豪勢な自宅があるのにそういう場所に連れてゆく意味 がない。それに逢瀬だけが理由なら、いくら浮世ばなれしている男でも、待ちぼうけを食ったのなら帰ってくるだろう」
「続けて」
「きょう聞いた話を総合すると、被害者は小学生並みの純愛に酔っていたきらいがある。尤もその相手が四乃森であるか どうかは分からないが、ナルシスト街道まっしぐらの男が、他の男と浮気に走るのもどうかと思う。そして、その四乃森 だが、あのなににも執着を示さない男が唯一揺れ動かされるものがある。今夜の外出の訳はその辺にあるんじゃないか」
「なるほど」
 安慈も思い至ったようだ。斉藤は頷いて続けた。
「行きつけのバーの女経営者は、被害者が口にした、『宝物が手に入る宝物』をやっと手に入れたという意味の言葉を 聞いている。そしてペアの片割れをまだ渡せていないとも。つまり、四乃森を手に入れる『宝』とは、四乃森画伯の絵 なんじゃないか」
 あっと恵の息を呑む音がした。
 夏の初めに起こった事件で、愛人だった男が、失ってしまった画伯の絵を何点か買い戻していた。しかしまだある。 見つけたと言われると出かけてゆくかもしれない。つくりかけのジグソーパズルに拘って、斉藤は最初からこの動機を 知りたがったのだ。
 被害者は蒼紫を連れ出し嬉々として出かけてゆく。そこに連絡が入る。呼び戻される。そして戻ってこない。蒼紫は 亡き父の絵と対面出来るという約束を信じてまだ待っているのかと思い、恵は身を震わせた。幼子でもあるまいし、 冗談でもなくいい年した男が、それこそ空腹や怒りを凌駕してその場に蹲る姿が容易に想像できたからだ。
「早速手配しよう」
 斉藤は立ち上がり、流しっぱなしになっていたモニターにふと目を止めた。なぜか異質なものを感じ取って 引き寄せられたのだ。回転する時刻は十一時二十五分。ふたりが出かけて十分後。駐車場から帽子を目深にかぶった 作業服姿の人物が、手に荷物を持ってエレベーターホールに入ってくる。問題はその荷物の大きさだった。
 抱えたそれはちょうどカメラから顔を隠し。
 弾かれたように斉藤はモニターの前に戻った。
「おい、こいつ、なんでこんな夜更けに宅配便の荷物を抱えているんだ」



 恵と安慈もモニターに張り付いた。件の人物は顔も性別も分からないままエレベーターに消えていった。時計の カウントは進む。十分、二十分。何人かが通り過ぎたあと十一時五十分。先ほど穴が開くほど見た、被害者が帰宅 する場面になる。そしてその五分後。隣人の評論家の先生が帰って来た。供述どうりだ。しかし、あの宅配便業者は 姿を現さない。
 映像を早送りにした。時間も時間だから通過する者も少ない。
 そして十二時二十五分。来たときと同じように大きなダンボールを持った人物がエレベーターから降りてきた。 一時間経っている。
 三人は同時にゴクリと喉を鳴らした。
 高荷。と斉藤は静寂を破った。
「もう少し解像度を上げろ。この人物の体型を割り出せ」
 そう言い捨てて斉藤は上着を片手に出て行った。
「あらあら。東洋の神秘が心配で心配で仕方がないって感じね」
 恵が肩を竦める。パソコンは宅配業者の行きと帰り、二枚の映像を並べた状態でストップしている。大きいダンボールを 軽々と抱えているにしては作業服で隠された線が細い。ダンボールを持つ指も、そして帽子と首に巻かれたタオルに よって隠されたうなじも。
 安慈は被害者が部屋を荒らした物色の跡と、そして小指を切り取った果物ナイフがシンクに戻されていた奇異さを ずっと抱いていたのだ。
 汚れたものはシンクに戻せ。
 女の発想ではないか。
「高荷」
 安慈はモニターを指差した。
「朝いちで副社長を参考人招致させろ。もういちどじっくりと話を聞くのだ。その際はおまえが担当しろ。斉藤 よりは適任だ」
「警部補は現在色ボケ真っ最中だから?」
「それもある。しかしあの副社長とおまえを全面対決させてみたい」
「なにそれ?」
 我ながらいい考えだと、傍目にも分かるほど安慈はご満悦だった。



 真白い月がその存在を煌々と誇示している中、斉藤は被害者の自社ビルを見上げていた。
 以前、聴取のためにここを訪れたときは真昼間だったため、空きテナントに灯りが入っているかどうかまで気にとめ なかったのだ。
 令状を取って強制捜査に踏み切らなかったわけは、あすの朝まで待てないというのが最大の理由。監禁されている 可能性も低いと睨んだ。マンションからここまでの往復で、時間的にみれば被害者には、取って返したぐらいの余裕しか 残されていなかったろう。蒼紫は犯人以外で最後に接触した人物という立場でしかなく、おおごとにはしたくない。
 そしてもうひとつ、色恋に長けた男がひたすら蒼紫の反応に過敏になっていた。 臆病なものほど行動を起こすと無茶をしやすいというレベルではない。相手を尊重できるだけの度量を持った 男だったと思う。そう判断したからだ。
 見上げた先、予想どおり三階部分の一室から照明が漏れている。斉藤は逸る気を抑え階段を上がった。
 件の部屋のドアノブを握る。なんの抵抗もなくそれは回った。曇ガラスの入ったそれを開け放てば、事務所というより 倉庫といった雰囲気の部屋には幾つもの書架とダンボールの山。そしてブラインドのはまった窓近くには、お世辞にも 上等とは呼べない応接セットが置かれていた。
 斉藤がたてた物音を聞きつけ、応接セットからのそりと躰が持ち上がった。どうやら長々と寝そべっていたであろう 男は、そこに予想と反した刑事の姿を認めて、何度も目を瞬いた。
 久し振りだとも無事でよかったとも、おまえの行方を気にかけていたとも、言葉にはならなかった。蒼紫の不精と馬鹿 がつくほどの律儀さが災いして、もう少し捜査が難航すればまたしても容疑者リストに名前が上がりそうになったのだと、 事実を突きつけてやりたいが、いまはただ、貴重な表情を拝めて総てを霧散させている斉藤がいる。
「おまえ、自分がなにをしているか、自覚はあるか?」
 取っ掛かりをそう投げかけて蒼紫に近づく。テーブルの上には何冊かの単行本。そしてコンビニの袋の存在から、 暇つぶしといちおう食事は取っていたのだと安心したが、その中身のほとんどがエビアンなのには、正直眉が寄った。
「ひとを待っているだけだ」
「ひとではなかろう。画伯の絵か? そう言われたのか?」
 なぜ知っていると眉をひそめた紫暗の瞳は語っていた。近づく斉藤に合わせて蒼紫は完全に上体を起こしていた。
「おまえこそどうしてここに?」
 そりゃ、この状況では不可解だろうが、お互いさまだと言ってやりたい。なぜ真っ先にここに駆けつけたか、 聞きたいのはこちらの方だ。
「迎えに来てやった」
 意に反してまろび出た言葉は投げやりながらも艶を帯び、発した斉藤をして戸惑わせる。さらに重ねて、真っ直ぐに 伸びた指は、ソファに腰掛けた蒼紫の腕を引いていた。なぜだ、と掠れる声の先にあるものは、己の二の腕に食い込む指 だったりする。
「なぜだと? それはオレが刑事でおまえが迷子だからだ」
「迷子だと」
「宝飾店のオーナーをしているあの男がなにを約束したか想像はつくが、なぜいつまでもここにいる。遅れているどころ の話ではないだろう。なぜ律儀に待っている。メシはどうした? こんなところでまる一日も。オレが来な ければいつまで篭城する気だったんだ。あの男はおまえの隣人だろうが。家で待てばいいじゃないか。そんな幼稚園児 にかますような説教をさせるな、阿呆が」
 喋っているうちに怒りがフツフツと沸いてきた。畳み掛けられた言葉を総て理解出来ないであろう蒼紫は、眉根を 寄せただけで胡乱な瞳を返してくる。怒りはまだ治まらないが詳しい説明はあとだ。さっさとこんな場所から連れ出さな ければ。斉藤は半ば強引に蒼紫の腕を引いて立たせた。
「ハラが減ったんじゃないのか」
「少し」
「こんな夜中に開いている店がおまえの口に合うかどうか分からんが、とにかく来い」
「なぜだ」
「なぜだと? オレが腹ペコだからに決まってるだろう」
 だれのためにも、早く。あの男の強い思念と魂魄とがトグロを巻いた部屋から、一刻も早く立ち去ろう。蒼紫の腕を 引いたまま踵を返した斉藤の目に、扉のない書架に掛けられた一枚の絵が目に入った。額縁サイズの小さな油絵。 眠る幼子を膝に抱いた婦人の絵だった。



 なるほど、これがそうかと思った。
 現代のエゴンシーレと賞賛された画家の、評価されなかった――ただ温かみだけが感じられる平凡な絵だ。
 だが、作者と対象と所有者のはっきりとしたこの絵を、その所有者が戻ってこなくても、飽くことなく抱かれ続けていたいと 願った男の幼さを、斉藤は哂えない。お世辞にも巡り合わせがよかったとは言えない蒼紫の半生の、それでも彩りに 満ち溢れていたひとときがそこには存在していた。
 よく見つけ出してくれたものだと思う。
 もの言わぬ、存在の衝撃に斉藤は立ち尽くした。
「被害者はひとりの身内もないままに亡くなった。財産はともかく遺品は競売に掛けられる可能性がある。おまえ、あの 男から指輪を受け取ったか?」
 蒼紫はその答えを顎で指し示した。その先、絵の隣にはベルベットの小さなケースが並べられる ように置いてあった。
「おまえ、アレは被害者から貰ったものだろう。それは返さなくてもいいんだぞ」
「身につけるものをタダで貰う謂れはない。帰ってくれば返すつもりだった。あの男はどこに行ったんだ?」
「死んだ」
「なに?」
「マンションの部屋へ戻ってすぐのことだ。だから帰りたくても帰れなかった。このふたつは被害者の遺品みたいな ものだ。この絵もおまえの興味をひく口実だったというじゃないか。貰ってやれ、目を瞑っていてやる」
 国庫へ消えてゆくよりはよほど供養になる。刑事だって木石で出来ていない。ひと伝えで聞いた、あの男の蒼紫への 恋情が耳朶に絡みつくように残っているものだから、相手に花を持たせてやろうと思ったのだが、やはり彼の辞書に 融通の二文字はなかった。
「だったらなおさら受け取るわけにはいかない。ちょうどいいから置いてゆく。この絵も正規のルートで手に入れる」
 切欠はそう言って伏せた瞼にかかった長い前髪だったかもしれない。カチッと進んだ長針の音だったかもしれない。 探る答えは到達点を求めてさすらう指が知っているかもしれない。
 ただ。
 願って。
 蒼紫の虚をつくような早さで斉藤が動いた。
 背を捉え、肩を抱き、斉藤は蒼紫を書架の横の壁に縫い付けた。ガンと派手な音を立てた振動で書架がたわみ、蒼紫 の躰が軋みを上げる。しかめた頬に手を添え、すぐに入るきつい眼差しをスルリと避け、抗議の声が上がる前に斉藤は、 蒼紫の唇に吸い寄せられた。
 フロアの灯りを落とせば、ブラインドから入る車のヘッドライトの光が斜めに差し込め、蒼紫の表情を片側だけ照らす。 身を捩って斉藤の呪縛から逃れようとするさまは称えようもなく艶めいていた。不安定さがもたらす保護欲。ストイックさ と清冽さが織り成す征服欲。そして絡めれば返ると分かる反応を感じとってしまえば、さらにその先を望んでしまう かもしれない。
 次第に粘着質な物音を立てだした口付けに酔いながら、オレも蛾の一種かと、斉藤は思った。
「貴様! なにをする!」
「オレとしても確かめなきゃならん」
 なににつき動かされてここにいるのか。その答えを知って、だから、
「おまえも確かめろ」
 さらに深く口付けて、斉藤は蒼紫の抗議を呑み干していった。



 翌朝、重要参考人として招致された副社長と高荷恵は、机をはさんだ取調室で対峙した。記録係りも女性の巡査。 開口一番、女同士でハラを割ってと恵が微笑めば、副社長も『女の敵はいつの世も女』と艶然と返す。早くも慇懃 無礼な火花を飛ばしあっていた。
「本命に渡ったとされていたリングを押収したわ」
「そう」
「キーワードだとか言ってたけどね。相手のイニシャルが刻まれていただけだった。だから犯人が持ち去ったそれには、 被害者のイニシャルかしら。よくそんなバタ臭い真似を思いつくもんだと思ったわ」
「でもあれは彼がデザインした中で一番優れていたのよ」
「それを一点ものにしようっていうんだから、男って救いようのないロマンチストね。量産すればいい仕事になったん じゃない?」
「わたしはそう進言したわ。それってわたしと彼が経営を巡って意見が合わなかったとでも言いたいの?」
「そんなつもりは毛頭」
 これでは自白を誘導しようとしたと取られかねない調書が出来上がる。それでも構うもんかと恵は思った。 指紋は一切でていない。副社長に不利な点は不明確なアリバイと、防犯ビデオに写っていた不審人物の姿形が酷似して いる点だけだ。犯人しか知りえなかったような供述を引き出して、牙城を崩すしかなかった。
「お互い地位も立場も違うから、あなたの気持が理解できるなんて子供じみたことは言わないけど、世の中、 割りあわないことが多すぎるって同調できるわけよ」
「なにを仰ってるのかしら」
「若いだけの小娘とか老獪な熟女だったらまだ許せる。けど、本命を男に取られるくらいムカツクことってない。でしょ?」
「馬鹿げたことを言う刑事さんね。仕事がらみの次は痴情のもつれ? 侮辱するにもほどがあるわ」
「あなた、以前ウチの男どもに、女にはさっさと次の恋を見つけるだけの柔軟性はある、って言ったらしいけど、 新しい恋は見つかったの?」
「そんな質問に答える義務があるのかしら」
「そうね。あなたの言うとおりだと思ったけど、キチンとケリがつかないと、なかなかそういう心境にはなれないでしょ。 そうありたいと願っても、なぜあたしじゃないのかってそればかりを反芻したりする。なぜその相手なのかって。 だから女が恨むのは自分を省みない男じゃなくて、その相手だってりするわけ」
「それではわたしが犯人ではないと言っているようなものだわ」
「そう。だからその対象が自分の手の届くすぐ側に居たなんて分かったら、目茶苦茶ムカツイたと思うわけよ」
「なんですって?」
「オーナーの本命。あの晩、彼に誘われて自社ビルの空きテナントに来ていたらしいわよ。つまり、事務所のワンフロア 上に。そこで一昼夜待っていたっていうんだから、頭がイタイにもほどがあるけど、同じ葬り去るなら好きな男よりその 本命でしょ。まさかそんなところにいるとはだれも思わないわ。運のいいヤツ」
「――」
 副社長は声にならない悲鳴を上げた。蘇ったのは被害者との最後の会話か。ひび割れた仮面の下から滲み出る妬心を 抑えることが出来ないような、そんな表情の移り変わりを見せた。
「そんな、ところに――隠していたの」
「隠してわけじゃないわ。ただの偶然」
「たかだかショウモデルの分際で、デザインを任せられる力がどこにあるって言うの! 彼の才能を支えられるのはわた ししかいないじゃないっ」
「同感だわ。モデルはモデルの仕事だけやってろっつうのよ。ただ見栄えのいいだけの男に、女が汗水たらして築き上げた 地位を奪う資格なんてないのよ」
 高荷恵は痛まし気に顔を上げる。副社長は喉から絞るような嗚咽を漏らした。
 そんな中、マジックミラーを隔てた隣の控え室に分かるように恵が舌を出し、それを受けて安慈がしてやったりと ほくそ笑み、斉藤が苦虫を踏み潰したような顔で煙草をもみ消したのはいうまでもない。



 そして事件は容疑者の自白という形で収束を見た。





end











最終更新日平成3年6月20日。(どへ〜)
はじめた連載は終了させなきゃ。そんな当たり前のことに 気づかせて下さったみなさま。ほんとにありがとうございます。どうにかこうにか、斉藤の恋は二年越しで成就し ました。(土下座)
一話から加筆修正しまくって、お話の筋に大きな変更はなかったんですけど、当初考えてた結末はこんなじゃ なかったことだけは間違いないです(苦笑)ぢつはね、オリエント急行殺人事件みたいなのを考えてたの。全然 違ってるし(殴)
でも、まあ久し振りに斉藤と恵ちゃんの掛け合いが書けて楽しかったです。うん。