高師浜(大阪府高石市)

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ  祐子内親王家紀伊(百人一首) 

音に聞く高師の浜も埋め立てられてコンビナートに変わっています。
埋め立てられる前は松林が広がり、風光明美な環境から、大阪からの行楽地になっていたそうです。
今でも浜寺公園や高石神社あたりに一部、松林が残されています。 




高石大橋から浜寺水道を望む

臨海道路の高石大橋あたりの海を見学。
「あだなみ」とは、『たいした風もないのに立つ波。変わりやすい人の心、軽々しい行為など』(goo辞書)のことで、この日は春の強い低気圧の影響でとても強い風が吹いており、「あだなみ」ではなかった。 




高石神社に行きました。
境内の奥に祐子内親王家紀伊の歌碑がありました。
(この石は和歌山県北部産の緑色片岩(深成岩)だと見当をつけました。)

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高石神社にある歌碑


古いのか、何が書かれているのか判然としません。
ようやく、「祐子」の文字が判別でき、歌碑であることがわかりました。





高石神社の松林(旧26号線沿い)

大伴の高師の浜の松が根を枕きて寝る夜は家し偲はゆ  万葉集 
高師の浜の松の根を枕にして寝たら家のことをしみじみ思ったよ 



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町を歩いてみました

 
南海高師浜線         住所標識



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高師の浜の松林の一部は浜寺公園として整備され現在に残っています。

音に聞く高師浜のはま松も世のあだ波はのがれざりけり  内務卿大久保利通 

           大久保利通の 「惜松碑」(浜寺公園)

明治6年に時の内務卿 大久保利通が伐採される浜寺の松を惜しみ一首の和歌を詠み、これが切っ掛けとなって、浜寺の松は伐採を免れました。



現在、その松は子供の遊び場になっています。
  

子供の頃って、こんな遊びは本当に楽しかったですね。

 




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 ふるさとの和泉の山をきわやかに浮けし海より朝風ぞ吹く 与謝野晶子



浜寺公園には与謝野晶子の歌碑もあります。