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一休諸国物語 | 一休関東咄 | 一休咄 |
[巻一] 第四 一休、若年にて・・ [巻三] 第十四 ある人に異見し給う事 |
[下巻] 第五 今出川口にて乞食に・・ 第七 堺の浦にて遊女と |
◆一休咄 序 ※参考:狂雲集(一部抜粋) [巻之一] 一 ・・一休和尚、いとけなき時 三 ・・・一休という名の事 四 ・・・初めて一休にあう事 [巻之三] 十 一休乞食となり [巻之四] 十一 一休、狗子仏性の話の事 十二 風雨の日、新右衛門見舞に |
■ 【一休】いっきゅう 室町中期(一三九四〜一四八一)の臨済宗の僧。名は宗純(そうじゅん)。号は狂雲。 大徳寺の住持。 奇行も多く、後小松皇胤説、二度の自殺未遂など、謎の部分も多い。 詩に巧みで書画をよくし、諸国を漫遊。 一休諸国咄などに作られて伝説化され、 小説、戯曲に描かれる。 詩集「狂雲集」。 説教集として「自戒集」、「骸骨」、「仏鬼軍」等がある。 ■【酬恩庵】 しゅうおんあん 京都府綴喜郡田辺町にある臨済宗大徳寺派の寺。正応年間大応国師が創建した妙勝寺 に始まり、康正二年大徳寺の一休宗純が再興して現名称となる。一休入寂の所。薪寺。 ■【薪一休寺】 たきぎいっきゅうじ 京都府綴喜(つづき)郡田辺町にある臨済宗大徳寺派の寺、 酬恩庵(しゅうおんあん)の別名。 ■ 【臨済宗】りんざいしゅう 禅宗の一派。 唐の臨済に始まり、後鳥羽天皇の文治三年僧栄西が入宋し、建久二年帰朝して広めたもの。 建仁寺派・建長寺派・円覚寺派・東福寺派・南禅寺派・天竜寺派・大徳寺派・妙心寺派・永源寺派 などがある。 ■ 【大徳寺】だいとくじ 京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山。山号は竜宝山。 鎌倉末期、妙超(大灯国師)が創建。 花園天皇、後醍醐天皇の帰依(きえ)をうけ、元弘三年五山の第一に列せられた。 享徳二年の火災と応仁の乱により諸堂の大半を焼失したが、のち、一休宗純が堺の 豪商の援助をうけて再興。現在の伽藍は江戸初期のもので禅宗建築の代表。 |