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 天地不仁、
 以万物為芻狗。

 聖人不仁、
 以百姓為芻狗。

 天地之間、
 其猶タク籥乎。

 虚而不屈、
 動而愈出。

 多言数窮。

 不如守中。


 天地は不仁、
 万物を以って芻狗となす。

 聖人は不仁、
 百姓を以って芻狗となす。

 天地の間は、
 それタク籥の如きか。

 虚にして屈せず、
 動きていよいよ出ず。

 多言はしばしば窮す。

 中を守るに如かず。


<語句解説>


 「芻狗」・・スウク。
       ワラを束ねて作った犬。

 「タク籥」・・タクヤク。
        フイゴ。


<解釈>


  天地は仁ならず。万物をワライヌと為して、そこに愛憎などはない。
 聖人も不仁であり、人々をワライヌの様に見て、えこ贔屓をする事は
 ない。
 
 天地の間は、尚、ふいごの様なものであろうか。
 
 中空で、中味がない。
 しかし、それ故にこそ、そこに動きがあり、万物を生じ、
 様々な変化を起こす。
 
 この様な、自然の働きを無視して、作為技巧に走り、多くを語る事は、
 しばしば 我が身を窮地に導く事になる。 
 何事も「中」、即ち、程々を守るのが一番良い。 

<雑感>


  天地には、人間の様な様々な感情はない。したがって善も悪も総てを
 平等に扱う。 聖人も又然り、と老子は説く。
 老子の道徳経には、しばしば孔子の仁徳を重んじる思想 に対する批判
 の為か、やや極端な表現が見られるように思われる。
 この部分の「不仁」という表現に関しても、そのような思想に対する批
 判的な意味合いが強かったのではないだろうか。

 この「中」の意味は異なった解釈がなされている場合もある。
 それは、例えば「中庸」においては、喜怒哀楽 が現れる以前、これを
 「中」と呼ばれる、という様な説明があるからであるが、老子の説く
 「多言はしばしば窮す。中を守るに如かず」の「中」もその様な、何事か
 を為す以前の状態にとどまる事をもって「中」と解釈する事も可能である
 が、老子全編に流れている思想から捉えるならば、この章の「中」の意味
 は、すべて物事は、作為技巧を弄する事無く、「無為自然」(何も為さな
 い事ではない)の境地に随って、極端に偏らない生き方の勧めと取る方が
 自然なように思われる。

  普通、人間の内面の想い(我欲など)は、語れば語るほど、誤魔化し様
 もなく、表面に現れて来るものである。
 「荘子」の中にでて来る話だが、人には八つの欠点と四つの憂いがあるという。
 八つの欠点とは、
 1・・自分のしなくてよい事までしてしまう事。
 2・・相手の聞きたくない話しをくどくどと話す事。
 3・・相手の顔色をうかがって、相手の機嫌を取る様な話しをする事。
 4・・無責任なその場限りの話しをする事。
 5・・好んで人の悪口ばかり言う事。
 6・・人と交わらず、人から離れる事。
 7・・自分の機嫌を取るものを誉めて自分の側に置き、自分を批判するもの
    を遠ざける事。
 8・・物事の善悪の判断をする事無く、両方に調子良く振る舞う事。

 四つの憂いとは、
 1・・好ミテ大事ヲ経シ、変更シテ常ヲ易(カ)エテ、以ッテ功名ヲカケント
    ス、云々・・。(名誉や巧妙を求めるために、大きな事をしたがる事。)
 2・・知ヲ専ラニシテ事ヲホシイママニシ、人ヲ侵シテ自ら用ウル。コレヲ
    貪トイウ。
   (自分の考えを少しも疑う事無く、自分の意見を押し通そうとする事。)
 3・・過チヲ見テ更(アラタ)メズ、諫(イサミ)ヲ聞キテイヨイヨ甚シ、云々。
   (自分の過ちが分かっていても改めるどころか、注意されるとますます
     頑固になり、どこまでも意地を張り通そうとする事。)
 4・・人、己ト同ジケレバ可トシ、己ニ同ジカラザレバ、善トイエドモ善ト
    セザル、云々・・。
   (自分と同意見のみ尊重し、異なる意見には聞く耳を持たない事。)

 八つの欠点は、人間であれば、多かれ少なかれ誰にでも当て嵌る事だろう。
 出来るだけ無くしたいものである。
 四つの憂いは、極力注意した方が良い。他者から相手にされなくなる可能性
 が大だからである。
 この様な憂いを抱えた人と、より良い人生を共にする事が出来るだろうか。
 まさに「中を守るに如かず」である。

                        −1999年〜2000年 記−


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