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太上 下知有之

其次 親而誉之

其次 怖之

其次 侮之

信不足焉
有不信焉

悠兮其貴言

功成事遂

百姓皆謂我自然


 
太上は 下これ有るを知る

 其の次は 親しみて之を誉む

 其の次は 之を怖る

 其の次は 之を侮る

 信足らざれば
 不信有り

 悠として其れ言を貴ぶ

 功成り事遂げて

 百姓皆「我自ら然り」と謂う


<語句解説>

「太」タイ、タ、ハナハだ、フトい。
  はなはだ、はなはだしい、はなはだ大きい、通る。
  故に「太上」は、はなはだ上の、最高の、尤もすぐれた、等となる

「悠」ユウ、トオい、ハルか。
  ゆったりと、はるか、うれえる、おもいなやむ。


<解釈>


 最高の君主、人民はただ君主がいるという事を知っているだけである。

 その次は、人民はその君主に親しみそして君主を誉める。

 その次は、人民はその君主を怖れる。

 その次は、人民はその君主を侮る。

 君主が信じるに足らなければ、当然、人民は君主を信頼できない。

 最高の君主は、ゆったりとして、軽々しく言葉を用いたりせず、
 言葉を貴ぶ。
 そのようにして物事を成し遂げる。
 成し遂げられた時には、百姓達は皆、自然にそうなったのだと言う。

<雑感>

 
 上記が、最高の施政者とはいかなる人を指すのか、という事に関しての
 老子の考えである。これが現代にも通用するかどうかは分からないが、
 少なくとも、何らかの最高の地位にいるものが、事細かく口出ししたり、
 朝令暮改の様な、軽率な言動の君主であっては困る。
 又、民衆を怖れさせるヒトラーの様なやり方、つまり、権力で民衆を脅
 し、規則で民衆を束縛するような存在でも、民衆が困る事は明白である。

 老子の説く、理想的施政者とは、言い替えれば、当時の民衆サイドから
 見た、理想的施政者の姿と言えるかも知れない。当時は、権力、力によ
 る支配であった故に、一部の支配層を除いた人民にとっては、抑圧され
 拘束された生き方を強いられていた故に生じた、老子の理想の君主像で
 あったとも言えるだろうか。

 尤も施政者の存在を感じさせない様な施政者が尤も良いというのは、
 人間が何らかの束縛を受けていない状態が、最も自然に人間らしく生き
 る事が可能であるからだろう。身体の健康においても、身体のどこかが
 不具合であれば、人は常にそこが気がかりで、決して快適良好な日々を
 過ごす事が出来ないのと同じである。
 無為自然な生き方とは、それは、不安や心配、怖れなどのない、何かに
 心を留めないで済む大いなる心身の自由の中にあって、始めて可能な事
 だと言えるのかも知れない。

 

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