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道可道、非常道 名可名、非常名 無名天地之始 有名万物之母 故常無欲以観其妙 常有欲以観其徼 此両者同出而異名 同謂之玄 玄之又玄衆妙之門 |
道の道とすべきは、常の道にあらず。 名の名とすべきは、常の名にあらず 無は天地の始に名づけ 有は万物の母に名づく 故に常に無は以ってその妙を観(シメ)さんと欲し、 常に有は以ってその徼(キョウ)を観(シメ)さんと欲す この両者は同出にして、名を異にする 同じく之を玄と謂う 玄の又玄、衆妙の門なり |
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<解釈>道の道とすべきは、永遠に変わらないという様な、又、これが道だと 言うようなものではない。 この様に、名というものも、永遠不変と言える様なものではない。 渾沌として何も無かった天地の始めを「無」と名づけ、 万物を生じる生みの働きをする母を「有」と名づけた。 故に常に無は、形の無い事を以って天地の働きの深遠微妙をしめそうとし、 常に有は、形を顕わしてその生滅流転をしめそうとする。 この両者は、同じなのだが、現象として変化する為に名前を異にする。、 同様に、これを微妙で奥深いものとして玄と言う。 微妙にして測り難いこの根源的な大元は、すべてを生じる門である。 <雑感>無から有を生じると言うと、線的な動きを想像するかも知れないが、決して そうではなく、無と有は円環を為していて始めも終わりも無いものである。 同じものが、その状態の変化によって、名前や形を変えて存在する。 生と言い、死と言うのも、それらは、一時の状態の変化に過ぎない。 「般若心経」の「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」ということ と同じことをここで老子は述べているのである。 −1999年〜2000年 記− |
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