第六話
    拝啓 なおみさん
    なおみさんへ

        整形外科病棟の主任だったなおみさんは、
        仕事ができる評判のナースでしたね。
        仕事ができて、しかも美人であるなおみさんを、
        新米ナースのわたしは心から尊敬していました。
        ある夜勤のときの会話を覚えていますか?なおみさん

        なおみ:「小原君、305号室の
        中田(仮名)さんが部屋にいるか確認してきて」
        私:「え?いないんですか?」
        なおみ:「あの患者は、時々いなくなるねん。
        無断外泊するし、、夜になるとどっかにでかけて、
        一時間くらいすると、こそこそ帰ってくる」
        「ドクターの言う事も、ナースの言う事も聞かれへん、
        どうしようもない患者やから
        現場をとっちめて、強制退院させるいうて婦長が躍起になってるで。」
        私:「はあ・・・」
        305号室の中田さんは、バイクで通勤途中車に衝突、
        むち打ちで、この病院に入って来た患者でした。
        当時27歳。むち打ちのため、
        首に大きなネックバンドを巻いて
        直立不動の格好で、病室の廊下を歩いていていました。
        ちなみに、わたしは20歳のうら若きナースでした。


        なおみ:「先週、オペ室から中田さんが逃げ出した事件は
        聞いてるやろ、わらうで、ほんま」
        私:「ああ。。あの前代未聞の事件ですね。
                 首の痛みを取るための硬膜外麻酔法の処置を恐れて
        逃げ出したあの事件ですね」
        なおみ:「そう・・・・前代未聞の事件やわ。男の癖にっ
        ほんまだらしのない話や」

        首の痛みを頻繁に訴える中田さんに、主治医は
        硬膜外麻酔の指示を出したが、
        その処置に恐怖を覚えた中田さんは、
        手術室から逃げ出したのでした。
        まさに前代未聞の事件でした。

        硬膜外麻酔法:硬膜外腔に局所麻酔薬を注入し、知覚・運動・
        自律神経をブロックする方法
        この麻酔法は、手術だけでなく、疼痛除去にも
        好んで用いられる

        なおみ:「あの患者な、部屋のロッカーに缶ビールを隠して
        病室で飲んでるしっ!!
        はあ〜〜もう信じられへんっ!」
        まちこ:「ええ、それも・・聞きました。」
        なおみ:「ああいう患者は、患者の資格なしねっ(言い切り)
        即刻退院させるべきやわっ」
        まちこ:「それは、そうですが、、
        いやに中田さんにきついんですね、主任」
        なおみ:「わたし、ああいう人間が、世界一嫌いっつ
        人間的に、受け付けへんっていうか。
        とにかく嫌いっ!!」
        まちこ:「世界・・一ですか?」
        なおみ:「そうっ、 世界一っ」

        いつも冷静ななおみさんは、そう言い放ちました。
        なおみさんの口にかかると、
        中田さんは、踏んだり蹴ったりでした。

        まじめで仕事熱心ななおみさんは、
        この不良患者が大嫌いでした。
        いや、それ以前に、生理的に、、
        なにかこう受け付けないものを感じていたのでしょうか

        ナースが、患者のことを
        選り好みしている訳ではないのですが、
        確かに、入院中基本的な規則さえ守れない
        とんでもない患者は時々見受けられました。
        ことに中田さん、病院の隣の看護婦寮を、夜になると
        うろついているという噂で
        詰め所内は持ちきりだったこともあり、
        要注意の患者のひとりでした。
        あれは、変態だというナースまでいたくらいで、
        考えると気の毒な話です。

        仕事が大好きなわたしは、
        ナースの仕事に満足していましたし、
        とても充実した毎日でした。
        ナースが、わたしの天職だと信じて
        この仕事に就いたのですが、
        わたしはそれから半年後に、
        あっさり退職してしまいました。

        なおみさん、
        あの頃のわたしとの会話、覚えていますか?

        無断外泊、、許して下さい。
        夜、こっそり抜け出していたこと許して下さい
        病院の裏の公園で待ち合わせして、
        中田さんとラブラブしていたのは、このわたしです。
        未成年ではありませんでしたから、
        不純異性交友ではありませんでしたしね。
        中田さんは、ノーマルな好青年でした。
        わたしに会うため、中田さんは
        看護婦寮でよく、うろうろしていました。
        そういえば・・・朝帰りのわたしが、
        セリカの車の中で、
        彼と長いでぃーぷキッスをしているところを
        オペ室のおしゃべりナースに見られてしまい、
        相手は誰なのかと、
        みんなに散々問い詰められた事ありますが、
        彼の顔が見えずに、助かりました。
        あれは、中田さんでした。

        退院してから、大好きななおみさんに、
        彼のこと紹介したかったけど、
        世界一嫌いだ!と言い放った中田さんのことを
        とても紹介する勇気、ありませんでした・・
        そしてその後まもなく、中田さんと結婚したわたし

      結婚退職するとき、、、、
      相手が中田さんだと分かったとき、婦長は泣きましたね。
      友人の川口さんにいたっては、
      「早まらないでほしい」と
      わたしに、真剣に説得をしました。
      わたしは、、、恐くてなおみさんの心中を聞けないまま、
      病院を辞めていきました。
      今では、年賀状で安否を
      お互い確認するだけになってしまいましたが、
      なおみさん、中田のことに、
      一度も触れる事ないですね。

      なおみさんは葉書で、あまり年を取らないうちに
      会いたいって書いてありましたが、
      あの頃の懐かしい話を、
      わたしもしてみたくなりました。
      会って、中田は普通の人だということを
      話してみたいです。
      彼の名誉のためにも


      入院中の生活態度の乱れから、ナースに総すかんを食らった
      中田ですが、ごく普通の青年だったんですけどね。(笑)
      結婚16年です。
      中田はとても元気です。

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