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第四話 ファミコンとの遭遇 |
スーパーマリオだよっつ! 恐らく知らない人はいないと思われるゲームソフトに
ファミコンソフトの「スーパーマリオブラザーズ」がある。 たたった たん たん たん どん たったった たったたたっ たたたた ぽよよ〜ん♪♪ お決まりの、スーパーマリオのあのメロディである。 ついついリズムにあわせて腰をくねらせたくなる軽快なこのリズム。 きのこを食べて大きくなるマリオ ぽよよよん♪ 頭で器用にレンガをつぶすマリオ ワシャワシャワシャ!!!! ファイヤーボールでへぼ亀を蹴飛ばす ポッコンポッコン♪ 金貨をとりまくる かっきんこっきんかっきん〜〜〜♪♪ このゲームソフトが売り出されたのが1985年 世間で大ブームとなり、当時テレビなでも盛んに宣伝されていた。 人様のお宅ではファミコンソフトがあるのが普通になっていたこの頃、 我が家では、夫のゲーム類のものは一切置かないという信条に従っていた。 夫の、テレビゲーム類に対する考えは、 その@テレビゲームは目に悪い そのAテレビゲームに夢中になり親子のコミュニケーションが少なくなる そのB電磁波で、脳が冒される Bは、さておき、納得できる理由であるし、 ゲーム類にわたしはとても疎かった私は、 ドラクエのソフトで世の中大騒ぎしているときも、 なんのことだか、さっぱりわからなかった。 子供たちも特に、不便を感じていなかった。 そういう物の存在を、当時4歳と、3歳の息子は知らなかった。 当時小学校1年生だった長男にいたっては 家にそういう類のものがないので、友達のところでやっていたようだ。 本心はほしくてほしくてならなかったのだろう 今我が家には今、 ファミコン、スーパーファミコン、プレステーション、 セガ・サターン、64がある。 我が家は、3人息子。 外で元気に遊びまわるわんぱくたちであるが、ゲーム通でもある。 ゲームを置く事になったきっかけは、次男坊だった。 当時私立の幼稚園に通っていた次男は4歳 かわいい年少さんだ。三男坊は来年には幼稚園にあがる。 子供たちを通じてわたしも友人ができ、時々は家でお茶したりする事も あの日もそうだった。 昼前から、友人宅で談話してお迎えの時間に子供を迎えに行き、 そのまま友人のところに子供を連れて行った。 友人の家にはファミコンが置いてあった。 子供たちはファミコンをやりだす。 次男坊にいたっては、初めてみるものだったファミコン テレビの画面で、親指ほどのマリオが動いている。 そして次男坊は、テレビの画面にくぎ付けになる 初めて見るマリオの動きに魅せられてしまったのだ。 帰る時間になり、子供2人連れて帰ろうとすると、 次男坊はテレビの前で仰向けになり、 手足をばたつかせ、大声で泣き出した。 顔を、タコみたいに真っ赤にして、涙と鼻水でぐしょぐしょ はっきりいって親のわたしが一番驚いた。 手のかかる長男と甘えん坊の三男に挟まれたこの次男は 手のかからない子だった。 口数が少なくなんでもぐっと我慢するこだった。 初めてみる、次男坊のおもちゃに対する ほしい!という意思表示であった。 それからしばらくしてわたしは、 ゲームアレルギーの夫を説得するより先にファミコンソフトを買って来た。 その後子供たちはマリオにどっぷりはまる。 小さなその手で器用にゲームコントローラーを操る様に私は驚いた。 うまいっ!! 母親は、というとへぼくりに当たって、即行死ぬ 条件反射を必要とする、こういうゲームは、 鈍臭いわたし向きではないようだ。 そしてその後わたしは、 こつこつと、地道な作業を要するロールプレイング、 ドラクエにはまる
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