愚者






太陽が真上に昇った、暑いくらいの昼下がり。
珍しく予定の空いた午後。
まぶしい太陽とそよぐ風に誘われるようにアティは、無意識のうちに甲板へと足を運んでいた。
自室の窓から差し込む光とはまた違い、甲板に出たとたん全身に浴びた太陽の光は暖かい。
風の音に呼応するように聞こえる波音が、なんとも耳に優しい。


穏やかな風、暖かな光。
ともすればそのまま眠りに落ちてしまうそうな静かなその空間に、どこからか楽しそうな声が聞こえてきた。
どこから聞こえる声なのか確かめるように、手すりに掴まって全身を乗り出す。
はしゃぐ声の先に見えるものは、小さな点が5つ。
目を細めて、凝らしてみると、それは5つの人影らしかった。
それはとてもとても見覚えのある、かけがえのない・・・・・。




「釣りに行くってでかけた割には、ただの水遊びになっちゃってるみたいね、あの子達」

「っ!スカーレル!?」



後ろからひょこっと顔を出したスカーレルの登場は完全に不意打ちだったのか、
びくりと体を震わせて、アティが慌てて後ろを振り返った。
振り向くとそこには、やはりというかなんというか、悪戯が成功したような表情をしたスカーレル。



「あははー。まさかそんなに驚くなんてねえ」

「ひどいですよ、スカーレル・・・」

「ごめんなさい、先生。あんまりぼーっとしてたからつい、ね」



そう言って、悪びれた様子もなく片目をつぶってウインクする。
そんなスカーレルの様子はなんとも憎めなくて、怒る気もうせてしまう。
かと言ってそのまま流してしまうのはなんだか悔しい気がして、わざと不満げに一睨みした。
そんなことをしたところで、相手にはまるで効かないことは百も承知で。



「さっきウィルが釣竿を借りたいって言ってきてね。それで貸してあげたんだけど・・・。
それを聞いたソノラが、一緒に行く、って言い出して」



むくれたようににらむアティにはまるで気付かないようにして、スカーレルが浜辺を見ながらそう言った。
アティもそれに倣うようにして浜辺に目をやる。
5つの人影のうち、2つは確かにウィルとソノラだ。
聞こえてくるはしゃいだ声も、聞きなれた明るいソノラの声。



「そういえば、前にスバルくんたちが釣りをしてみたいって言ってました」



波に合わせてきらきらと反射する光に目を細めながらそう言う。
残り3つの人影は、スバルとパナシェとテコなのだろう。
前の青空教室のとき、確かに彼らは釣りをしてみたいと言っていた。それを、今日実行したのだ。
ウィルに、釣竿を貸してくれと頼んで。



「きっと、上手に釣れなくて飽きちゃったんですね」

「あはは〜、そうかもねー。根気なさそうだもの、あの子達」

「それは仕方ないですよ。
あの子達にしてみれば、魚がかかるのを待ってじっとしてるより、ああやって遊んでるほうがずっと楽しいはずですから」



スバルもパナシェも、そしてソノラも。
魚を待ってじっとしているより、波にはしゃいで動き回っているほうがずっと性に合っている。
釣りは、魚がかかれば面白いが、それまでの時間が辛いもの。
そんな風な根気を持っているのは、いつも釣りに付き合ってくれるウィルくらいなものだろう。



「だからってあれはやりすぎよ。帰ってくる頃には全身ずぶ濡れでしょうね」

「かもしれませんね」

「それにしても意外よねー。ソノラはともかく、ウィルまであんな風に水遊びなんて。なんか珍しいもの見ちゃったわ」

「そう・・・です、ね」



楽しそうなスカーレルの言葉を聞きながら、
遠くから響くはしゃぎ声を背景にぼんやりとその光景を眺めた。
聞こえてくるのはソノラの明るい声。それに答えるようにしてはしゃぐスバルやパナシェやテコの声。
そして、水をかけられたことになにやら文句を言っているらしいウィルの声。
跳ね上がる水音。水音。笑い声。
はねた水がキラキラ光る。負けないくらい綺麗に、笑顔が光る。

それはきっと、私が大好きな、私が愛した人たちの、幸せの風景。



「みんな、楽しそうですね」

「そうね」

「風邪引かないといいんですけど」

「そうね」

「楽しそうですよね」

「先生は行かなくていいの?」

「・・・・・どうして、ですか?」

「・・・・・いつもの先生だったら、真っ先に走っていって参加してそうだなって。ちょっと思っただけよ」



暗に何かを匂わせるような、悲しい、寂しい表情をしてスカーレルが言った。
見てるだけで、私も楽しいですよ。そう、笑顔で答えた。
私の笑顔を見たスカーレルが、そう、とだけ言って目を伏せた。
この人はいつもこうやって、騙されたフリしかしてくれない。



「私はね。スカーレル」



手を添えていただけだった手すりを、力を入れてぎゅっと掴んだ。
視線はずっと浜辺を見据えたまま。



「私の好きな人たちが、幸せだったらそれでいいんです」



私の好きな人たちが、私を好きな人たちが。
私の愛した人たちが、私を愛した人たちが。

幸せであればそれでよかった。


泣いているより笑ってほしかった。
怒っているより笑ってほしかった。
争うよりは抱き合いたくて、責め合うよりは寄り添いたかった。


今も昔もずっとそう。
好きな人の幸せが、私の幸せだった。


もしそこに。



「そのとき。私の好きな人たちが幸せだって思うその瞬間に、同じ場所に私が・・・・・いなくても」



それだけで幸せだった。
私の好きな人たちが幸せであるそのときに。隣にいるのが、私じゃなくても。



「でも・・・・・なんででしょうね」



幸せなはずなのに。
あんな風に、楽しそうに。はしゃぐ姿を見て、幸せそうな姿を見て。幸せな、はずなのに。

どうしてこんなに、胸が痛むのだろう。



「今はなんだかすごく・・・・・・悔しいんです。すごく」



釣りをする私の横で、魚がかかるのをじっと待ってるあの子。
青空教室で、一人黙々と勉強に取り組んで、時折他の子たちの面倒を見ているあの子。
個人授業のときも、どんな話もしっかり聞いて、順調に実力を伸ばしていくあの子。
時折見せる笑顔が可愛くて、歳相応の表情を見せてくれることが嬉しかった。

でも今わかった。それは、あの子のほんの一部にしかすぎないのだと。



「ウィル君が、あんな風に。同年代の子と一緒に遊んでるのは、すごく嬉しいことなのに」



嬉しい、はずなのに。
そこに今自分がいないことが、こんなにも苦しい。



「変ですよね、こんなの。今まではこんなことって、なかったのに」



同意を求めるように、精一杯の笑顔を浮かべてスカーレルの方を見た。
悲しい笑顔を浮かべたスカーレルが、こちらを見ていた。



「ねえ、先生。それは、今の貴方が、てこと?それとも・・・・今までの貴方がってこと、なのかしら」



確かめるような静かな口調に、無性に泣きたくなる衝動に駆られた。
聞こえないフリをして、視線をはずして海を見た。
未だ聞こえるはしゃぎ声を聞きながら、泣き笑いみたいな表情を浮かべていた。
寂しいなんて、悔しいなんて、悲しいなんて。そんなこと、あり得ないんだと。
そう、自分に言い聞かせながら。




ずっと、昔からそうだった。
例えばそのとき隣にいるのが、私じゃなくても。幸せであればそれでよかった。
おかしいのは今の私?それとも、今までの、私?


私の好きな人たちが、幸せであればそれでよかった。
それだけで、良かった。



FIN.
―――――
彼女の幸せの中に、「彼女の」幸せはないような気がした。
ある意味欲張りな、欲を知らない人なのです。
もっともっと欲張りでいいんですよ。醜くてもいいんです。
あがいてあがいて、愚か者と呼ばれるくらい、「欲しい」と叫んで欲しいのです。

この場合の「悔しい」は、別に恋愛感情じゃなくてもいいかと。
先生として、ウィルが普段見せてくれない表情を他の人間の前で見せていることが悔しい。
もちろん、やきもち系の感情でも全然いいんですが。いいのかよ。
別に私ウィル×ソノラ推奨とかじゃないですからね。
むしろこの二人は対立希望です。先生をめぐっての熱い戦い。そんな馬鹿な。

(2004.4.5)

ぶらうざばっく