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■ 別れの言葉 ■









『ここらへんは結構危ないから、お姫さんも注意しいや?』







いつだったかの夜、光徳に言われたその言葉。
そういえば、見張りも、「安全に眠れるように」と置いていると言っていた。そんな言葉を、今更に思い出した。





今更気付いてナンですが。それはつまり要約すると、
見張らないといけないような何かが、
この森の中にいるってことだったんですね・・・・・。
















「大ピンチ・・・・・・ってやつかしら」







暮れかけた空を見ながら、まるで他人事のように呟いた。



先程から、ひっきりなしに聞こえる音は。
自分の息遣いと、風に葉が擦れる音。
どこかで羽ばたく鳥の羽音、そして――――。



そして、遠吠え。







「『結構危ない』とか、抽象的な言葉なんて使ってないで、
素直に『狼が出る』って言ってくれれば良かったのに・・・・・!」





今更何を、と言われそうな文句を、悔しそうに呟いて、
彼女は、自分がもたれかかっている木の幹を、ばんばんと数回叩いた。


今彼女がいるのは、登るには手ごろな高さの枝を持つ、高い木。
そしてその木の幹――根の辺りでたむろうのは、数匹の、狼達。

さすがに木に登る事は出来ないが、
諦める事を知らない狼は、しきりに幹に手をかけ、
少しでも少しでも有希との距離を縮めようと、試行錯誤を繰り返していた。











私なんて食べてもおいしくないから、そろそろ諦めてどっか行って・・・。



通じるはずも無いそんな独り言を呟いて、
どうしようもない今の状況に、深深とため息をつく。

下に降りれば狼の餌食、このまま上にいればいつか飢え死に。
もちろん、狼達とていつかは諦めるだろうけれど、
仲間がいる分見張りの交代がきく狼が、いつ諦めるかは定かではない。
黙って出てきた分、盗賊達が探し出してくれるかもしれないという希望も、信じるに足るほど強い期待は持てない。




そのことを、完全に沈んでしまった夕日に、暗くなった空を見て、改めて思い知って、有希が、再度深深とため息をついた。














夜が明けたら諦めてどこかに行ってくれるのを期待しよう・・・。



とりあえず、今夜はこの場所で野宿をする事を覚悟して、
そして、明日は下に居る狼達が姿を消していることを心から願って。
寝心地のよさそうな・・・居心地のよさそうな枝を探して、更に上へと登ろうと、1本の枝を足を掛ける。















――――みし。





小さく、何かが軋むような音がして、
足を掛けていた枝が――――――折れた。
















うそ。と、小さく声にならない声で呟いて、有希が大きくバランスを崩した。
足場を無くした右足は重力に逆らうことなく落ち、
もちろん体も一緒に引き落とされる。

すんでのところで、どうにか枝を掴み、
今は両腕で――しがみつくようにこらえている。
有希のそんな状況に気付いた狼達は、動きを活発化させ、落ちてくるのを今か今かと待ち侘びているように、一層幹に手を掛けていた。






絶対絶命。
もはや、この言葉がこうも似合う場面が、他にあるだろうか。
腕が疲れて、落ちてしまえば一貫の終わり。
かと言って、このまましがみついておくなど・・・・・・。



一瞬、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
恐る恐ると下に目をやり、狼達を見据える。
1匹、2匹、3匹・・・・・。
皆が皆、視線が有希を捕らえ、ぎらぎらと目を光らせている。
早く落ちろ、と言わんばかりに。







冗談じゃない。

落ちるのはごめんだと、有希は枝にしがみつく力を、更に強くした。
こんなところで死ぬわけにはいかないの。
今ここで死んだら、今までしてきたことが全部無駄じゃないの。
いろんな人にかけたいろんな迷惑。
いろんな人に貰ったいろんな親切。

私はまだ、何も返してない。











こんなとこで死ねるほど、楽な道は歩いてないのよ。
























「っ・・・シゲーーーーー!!!」





















森中に届くように、あらん限りの声を振り絞って、叫ぶ。

例え希望が薄くても、
広い森の中全てに、この声が届くわけがないとわかっていても。
叫ばずにはいられなかった。











































「ヤバイでシゲ。もう日が沈む・・・」


「わかっとる。もっと気合入れて探すんや!」






松明を手に声を張り上げるシゲに、
他の盗賊団のメンバーが声を揃えて返事をした。
西の空は、赤みを帯びた夕焼け空から、段々と藍色へと染まりつつある。

刻はすでに、狼達の活動時間。






「探せゆうても、手がかり1つないねんで。
そんな中で、どうやって探すねん」


「そんなん言うても、探すしかないやろが!」


「怒んなシゲ。イライラしたら、見つかるもんも見つからへん」






今にも殴りかからんと言う口調でナオキに怒鳴りつけたシゲに、
光徳が静かに制止をかける。
その言葉に、まだ何か言いたそうにしていたシゲだったが、
苦々しげに顔を歪めて、ふいと顔を背けた。



タイムリミットは、恐らく直前。
最悪の場合、既に手遅れ。




焦りが焦りを呼び、落ち着きを失わせる。
嫌な場面や、想像が頭の中を過り、シゲが小さく舌打ちした。














どうしてあのとき、1人にしてしまったのか。
どうしてもっと早く気付かなかったのか。




どうして、逃げ出そうとしている心中を、見抜けなかったのか。
考えればすぐわかることなのに。
















俯き歩きながらそんなことを考える。
そして、必ず無事に見つけ出すことを心に決めて。
そしてその暁には―――。













そこまで考えたところで。
ナオキが、何かをシゲに伝えようとしたときに。


ふと、シゲがとある一方を向いて、ぴくりともしなくなった。









「どしてん、シゲ」


「・・・姫さんの声や」





ナオキの呼びかけに、そう、一言答えて。
そして、後ろに控える盗賊団達を向いて、叫ぶ。









「こっちや!急ぐでおまえら!!!」







































乗馬や剣。
いろいろなことを教えてもらって、いろいろなことに挑戦して。
大抵のことはこなして、それなりに体力も運動能力もあるつもりだった。
木登りだって、城の敷地内にある大きな木で、小さい頃はよくやった。


でもさすがに、そろそろ限界。







「っ・・・・・・!!」





しびれはじめた腕に、有希が苦痛の表情を浮かべた。









さすがに・・・もう・・・・・・・・・。





とうに過ぎた限界に手にかける力を抜きかけた瞬間。














突然、辺りから、火の手が上がった。

















「火!?」






初めは右方向。次に左方向。
有希の上る木を中心に、だんだんと燃える範囲を広げる火の手に、
有希が、驚きつつそう叫ぶ。



驚いたのは狼達もそうで、
突然上がった火の手に、どういうことかとしどろもどろしているうちに、
いつのまにか逃げ場所が1箇所――盗賊団のアジトに背に向ける、その場所しかなくなっていた。


やはり動物。
火は恐ろしいものなのか、一匹、また一匹と有希を諦め、逃げ出す。
ついに最後の一匹も姿を消し、闇の彼方へと消えていった。

























「いけるか、姫さん。もう降りて大丈夫やで」





どこからかそんな声がして、それと同時に、
燃え広がる火が、徐々に消えていった。





「あっつー・・・。焼けるかと思うたわ」


「シゲも無茶すんなあ・・・下手したら森全滅したんちゃうか」





あちらこちらから聞き覚えの有る声がして、閉じていた目を、有希が開く。
見えるのは、見覚えの有る顔・顔。








「受けとめたるから手ぇ離し。大丈夫やって」




動物を手なづけるような口調で言うシゲに従って、
恐る恐ると手から力を抜き―――落ちる。
どさ、という音がして、地面に叩きつけられた――かと思ったが、
言った通り、受けとめてくれたらしく、全く痛みはなかった。


降りたって、シゲから離れて、その場に集まる面々の顔を見まわす。
皆、安心したような、安堵したような、そんな表情で有希を見る。
そのことが、あからさまに心配をかけたということが痛いくらいに自覚させて、ひどく、心が痛んだ。






申し訳なくなって、有希がつと下を向く。
すると、ふと視界に入った自分の手のひらが、
赤く紅く、染まっている事に気付いた。


それは確かに血で、しかも自分のものではなくて。
それはつまり、つまり・・・。













「誰か・・・・・・ケガしたの?」





彼女のその言葉に、すぐ隣に居た人間が、
一瞬びくりと体を振るわせたことを、有希は、見落とさなかった。





「・・・・・・・シゲ。腕、見せて」


「な、何やねん姫さん。こっわい顔して」


「見せなさい!」


「何でもあらへん!ちょっと木で切っただけや!」


「よく見たら、服が血で染まってるじゃないのよ!
それのどこが“ちょっと”なの!」



先程までの重い、暗い雰囲気はどこへやら。
いつものペースに戻った彼等のやり取りに、
傍にいた人間達が、一人、また一人と笑い出した。





「そこらへんで止めたりいな、お姫さん。
あんまりやったら、傷開いてまうで」





くすくすと笑いながらそう言う光徳に、
しぶしぶながらも、有希がシゲを掴む手を離した。





「・・・・・そんなに、ひどいの?」


「そうでもないで。ちょっとひっかかれただけや」


「ひっかかれたって・・・・・さっきの狼に!?」


「何でおるって気付かれたんやろなあ・・・・」


「姿が見えへんようになるんを待たんと飛び出すからやろが、あほ」


「うるさいわい」


「痛むの?」





始りかけた、小競り合いと言う名の漫才に制止をかけるように、
有希がシゲにそう問う。
すると、しばらく考えるようにシゲがあらぬ方向へ視線を流し、
そして、言った。





「めっちゃ痛かった」


「・・・・・“痛かった”?」


「めっちゃ痛かってんけどな、
姫さんがはじめてちゃんと名前呼んでくれたんが嬉しいて、
痛いのん忘れてもうたわ」





冗談めかしてそう言って、有希が絶句するのを見て、
楽しそうに笑って、ぽん、と軽く有希の頭を、シゲが叩いた。










「ほな、帰ろか姫さん。晩飯まだ出来てへんで」







笑顔でそう言って、それ以上は何も言わず、
盗賊団を率いて、シゲがアジトへときびすを返した。




































遅い夕食を食べ終えた後、
すっかり夜の静寂が降りたその場所で、
有希は黙々と傷を負ったシゲの腕に、包帯を巻きつけていた。



相変わらず、焚き火の音だけがあたりに響いて、
時折、思い出したように吐かれる有希のため息が、よく響いた。


そんな重々しい雰囲気に耐えかねたのか、
しばらくして、シゲが、切り出し難そうに、重い口を開いた。







「何やねん姫さん。さっきから辛気臭いで」


「別に、何でも無いわ」


「そやったらため息つくん止めてえな」


「勝手に出るのよ、仕方ないじゃない」


「姫さんはいっつも怒ってばっかやな。俺とおるん、つまらへんの?」


「怒って・・・・・ないわよ」


「怒ってへんのんやったら、不機嫌や。何があかんねんな」


「・・・・別に、あんたに怒ってるわけでも・・・・・不機嫌なわけでもないわ」






そこまで言って、包帯を持つ手を止めて、すっと、下げた。






「結局私は、人に迷惑ばっかりだって思って・・・・嫌気が差したのよ」





余った包帯を巻き直しながらそう言って、
また、思い出したようにため息を吐く。
そんな有希の様子に、
シゲが困ったように頭を掻いて、同じように、はあとため息を吐いた。





「別にかけてへんやん、迷惑」


「勝手に逃げ出した私を探しに出た手間は――“迷惑”じゃない、完全に」


「そんなん気持ちの問題やろ。俺らは別に迷惑やて思ってへんで」


「―――でも」


「それにな、人間、他人に迷惑かけんと暮らせるわけないやん」


「・・・・・」


「俺らは、人に迷惑かけて、はじめて生きてけんねんで?」


「・・・・・・・・・・確かに略奪は迷惑よね」


「やろ?」


「でも、それとこれとは・・・・・」





別でしょ、と有希が言う前に、
盛大なため息を吐いて、シゲが有希の言葉を遮った。





「姫さんは人のこと気にしすぎやねん。
俺らが探しに出たんは、迷惑でも何でも無いわ。
おらん人間は探す、当たり前やろ。
何で当たり前のことやっただけで、そんな落ち込まれなあかんねん」


「・・・・・」


「・・・・・・だいたい、迷惑かけてんのは俺やんか」


「―――シゲ?」


「姫さんが逃げたんは、ここにおりたないからやろ。
連れてこられたんが迷惑やったから、逃げたんやろ。
せやったら、悪いんは俺やん」





姫さんは悪ないて。
付け足すようにそう言って、また、ため息を吐いた。





「・・・にしても、姫さんも災難やったなあ。
反対向いて逃げとったら、安全に近くの村につけたんやで」


「・・・・?」


「調理場に背向けて走ったやろ、姫さん。
あの方角にはな、狼らの巣やら、
野生の動物らがおるばっかりで、行きつく先は国境や。
せやけどな、反対側・・・そっち向いて走っとったら、すぐに森出れてんで」





そう言って、そっち、と言いながら有希の後ろを指差して、
彼女がその方角を確かめたのを見てから、腕を下ろし、そして続けた。





「森出てそのまま走っとったら、
明け方くらいにはなんとか・・っちゅー、ちっさい村についたんちゃうか。
逆向いて走っとったなんて、運悪いな、姫さん」


「・・・しょうがないじゃない、知らなかったんだから」


「ほんなら、今はもう知っとるから大丈夫やな」


「・・・・・・・シゲ?」


「あ、そや。姫さん馬乗れるんか?
馬で行ったらそこまで3時間かからへんで。
馬小屋の場所はわかるやろ?」


「・・・・・・何の話・・・してるのよ」


「何やろな・・・・わからへんわ」


「・・・・・・・」






シゲのはぐらかした言葉に、黙り込んだ有希を見て、
すっかりと手当ての施された自分の腕を見て、シゲが立ちあがる。
そのまま黙り込んで、立ちあがるシゲを見ていた有希に、
いつものようなふざけた笑顔を浮かべて、シゲが言う。






「ほな、おやすみ、姫さん」


「ちょっと・・・!」


「あ、そや」






そのまま立ち去ろうとしたシゲを有希が引きとめようと声をかけると、
それすらも聞こえなかったように振舞って、シゲが振りかえり、言う。





「姫さん、今日疲れてるやろ。
いつもうるさいうるさい言うてるから、今晩は見張りつけへんわ。
よー寝。」





そしてまた、有希に何を言う間も与えずにくるりと振り返って、
そして最後に後ろ手を振りながら、言った。























「・・・・・元気でな」





































有希の止める声にも応えず、すたすたとねぐらへ戻るシゲの前に、
影が二つ現れて、口を開いた。







「ええんか、シゲ」


「良い悪いの問題ちゃうやろ。姫さんが嫌がっとるんや」


「せやけど。
あの子かて別に、逃げたいくらいここが嫌なようには見えへんで」


「今日逃げたやんけ」


「・・・・・・」


「どうせずっと置いとけるわけなかったんや。
早いか遅いかだけやろ」


「シゲ・・・・」


「大丈夫やとは思うけど、念の為に誰かに後付けさせ。
無事に村に着いたら帰ってこさせるんや」


「・・・・・・・・・・ええねんな」





重々しく尋ねた、そんな言葉に、
しばらく地を見つめて黙って―――そしてシゲが、口を開いた。


















「――――逃がしたれ」






next...