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■ 最後の英雄 ■








「ここにこの国の王女がいると聞いた。
命が惜しいなら、素直に解放してもらおう」




静かにそう呟いた人間の胸に光る金の紋章。
間近で見たことこそないにせよ、誰でも知っている第一王国の紋章。
王家の一族しか身につけることを許されないそれが胸に光っているという以上、そしてその容姿を見る以上、彼の正体は明らかだった。

第一王国嫡男。
実質、あの大国をしきっているほどの権力者。


あの大国を、その若さでしきるだけの度胸と知恵の持ち主。
それゆえか、今彼を守る護衛はたったの二名。
もちろんどちらも優秀な教育を受けた騎士には間違いないだろうが、それにしてもその数は少なすぎる。例え、ここからは見えぬさらに後ろに、何十、何百にも至る騎士達が構えてしたとしても。





「余裕綽綽、ってか」




王子と向き合いながら、その威圧感に圧倒されそうになるのをおさえながら、シゲが苦々しげに、呟く。
暑くも無いのに流れた汗が、頬を伝って地面に落ちた。

護衛は二人。相手は、王家のぬるい環境でぬくぬく育ったはずのお坊ちゃん。今なら、人質に取るなり追い返すなり出来るかもしれない。
そんなことを考えたりもした。しかしそれはすぐ打ち消された。
この不利とも取れる状況下で、あの王子は微塵も動じていないのだ。
腰に下げた長剣の柄に、手をかけることすらしようとしない。
恐ろしいまでの、余裕。







「もう1度言う」





黙り込んで返答の様子を見せないシゲに、王子は念を押すようにそう切り出して、腰に当てていた右腕を、ついに剣の柄に当てた。





「大人しく王女を解放しろ。
抵抗するので有れば――――命の保証はしない」




そう言って、すらりとした細身の剣を、鞘から出した。
月明かりが反射して光る切っ先が、真っ直ぐとシゲの首を指す。
高まった緊張感に、ごくりと唾を飲む音が耳に響いた。









「・・・・・・・・・姫さんの気持ちも知らんと、好き勝手ぬかしよって」




ぼそりと、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いて、シゲも腰に下がる短剣の柄に手を掛ける。鞘を擦る切っ先に、鋭い音が落ちた。

抜き出した短剣の先を、同様に王子の顔へと向ける。


それは、戦いの合図。
シゲの後ろに群れをなしていた盗賊達も、それぞれ剣を抜き出し、王子の脇に位置していた騎士達も剣を構える。ささいなことをきっかけに、崩れてしまいそうな均衡が、その場に生まれた。

しかし、更に高まった緊張感とは裏腹に、シゲ。そして王子は、そっと手で後ろの部下達を制して、その剣をしまわせた。
部下達の顔に、困惑の色が浮かんだ。






「お前等は黙って見とけ・・・・・・・どうせあんたも同じこと考えてんやろ?」


「被害は少ない方がいい。お前の相手は俺一人で十分だ」


「・・・はっ。言うてくれるやん」





双方、剣をそれぞれの構えに構え直し、悪態のやり取りが消える。
表情すらも消えうせて、奇妙な間がその場に生まれ、そして――。

誰かが踏み出した一歩の足音がきっかけとなり、
次の瞬間、空気が動いた。





きんっ!

同時に動いた二人の振り下ろした剣がぶつかり、鋭い金属音が辺りに響いた。遠慮の無い、相手の急所ばかりを狙った真剣勝負。紙一重でかわし、紙一重でかわされる。そんな剣術のやり取りに、見る者は息を飲み、何をする事も出来ずにその周りを囲っていた。

ただ一人を除いては。











「シゲやったら大丈夫や心配無い!!
せやから大人しうしといてやお姫さん!!」


「どこが大丈夫なのよ、どこが心配ないのよ!!
さっきから、徐々にシゲの体に小さな傷が増えてるじゃない!
だいたい、シゲは腕に怪我してるのよ!?
手負いの状態で、あの王子になんて勝てっこない!
相手はあの第一の王子なのよ!?」




シゲと王子の一騎打ちの行われている場所から離れたところで、
大人しく身を隠す―――ということが出来ない有希をなだめようと、光徳は必死で彼女の腕を押さえる。勢いあまって飛び出さないように。
そうなってしまえば今のシゲの苦労はパアだし、下手をすると王女を保護した後に総攻撃をかけられる場合もある。
有希は有希で、光徳は光徳で必死だった。


有希が必死になる理由。
全ては、『あの第1の王子』という肩書きからくるものだった。
流れてくる噂はいつでも常識を逸したものばかり。
若干17歳の少年が、有希の同年の少年が、今現在あの大国を動かしているという事実は、彼自身がとんでもない人間であることを意味している。
そんな人間を相手にして。しかも手負いで相手にして、無事で済むはずがない。ケガで済めばまだいい。下手をすれば行きつく先は―――。

そこまで考えて、その恐ろしい考えに、身震いした。






きんっ。
また、剣のぶつかる音がした。
王子の振り下ろす剣を、短剣でなんとか凌いでそのまま反撃する。
しかしその反撃も、王子は軽く避け、さらに攻撃を繋いでくる。
互いにひけを取らぬ剣の応酬。

しかし一部違うのは、
徐々に息が上がり始めたのが、シゲただ一人だけだということ。

上がり出した息に、心なしか動きは鈍り、剣を払う動作も遅れ始めた。
王子の剣を何とかかわすものの、そらす切っ先は段々と微かなものになり始め、胴への攻撃をかわされた後の切っ先は、足や腕に小さな傷を増やしていった。
攻撃を完全に防ぎきれない。
その事実と、立ちはだかる現実が、徐々にシゲの体力を奪っていった。

息が上がる。足がもつれる。
しかし、ここで倒れれば、その先に見えるものは、死。
負けるわけにはいかない。自分のためにも、有希のためにも。



今一度意識を持ち直し、シゲが王子の方へ鋭い視線をやる。
負けん気だけは劣らない。そのことを思い知らせる為に。
未だ消えぬ闘争心をシゲの中に見出したのか、王子は王子でまた剣を構え直し、今までよりも早い剣技を繰り出した。

真っ直ぐと首の辺りを狙った剣先。
避けきれない。そう頭の片隅で思いながらも何とか体を捻って最悪の事態は逃れた。しかし、避けきれないと思った通り。完全に防ぐ事の出来なかった攻撃は、シゲの頬に赤い筋を残した。

薄く入った長い筋から血がにじみ出て、地へ落ちる。一粒、二粒。
しっかりと地面を踏みしめていたはずなのに、シゲの体がくらりと揺れた。













「・・・・・シゲっ・・・・・・・・・!」



今にも飛び出したい衝動に駆られているのに、腕をしっかり掴まれているのでそれもままならない。
悔しい、悔しい、もどかしい。
そんな感情を露にして、その手を離せと訴えるように、有希が光徳をきっと見つめた。




「そんな顔してもあかん。
シゲが隠れとけ言うたんや。全部終わるまで出させへんで」


「そんなこと言って・・・シゲにもしものことがあったらどうするのよ!
また、私のせいでこんなことに・・・・・・!」


「お姫さんのせいとちゃう。シゲのワガママのせいでこうなったんや。
せやから・・・・・俺らが口出しして、邪魔していい問題ちゃうねん。
お願いやお姫さん。もうちょい、もうちょい我慢しててや」


「でも・・・・・・・でも!」




苦しそうな光徳の表情からも見て取れる。
誰もがシゲの加勢をしたくて――出来なくてもどかしい思いをしている。
邪魔するべきでないと知っているから、邪魔してはいけないとわかっているから。



一向に力が弱まる気配のない光徳の腕に、
強く唇をかんで、有希がずるずるとその場に座り込んだ。


わかってる。
邪魔しちゃいけないことも、邪魔するべきじゃないことも。
私が出て行ったところで、事態が好転するとは限らない事も。
だから隠れておけと言われたことも。

でもそれでも。










『誰かがいなくなるかもしれない』という恐怖は、
耐えきれるものなんかじゃない。
















「 
さ よ な ら 」






すっかり力を無くした有希の様子に、光徳が力を緩めた瞬間。
ばっと顔を上げた有希の口が声に満たない言葉を告げて。
その次の瞬間に、光徳の体は後ろに倒れていた。

力の緩んだ腕は、全身全霊の力をこめた有希の付き押しに見事に力負けし、光徳の体は後ろへ飛んだ。有希の腕は解放された。
光徳が体を起こさないうちに、逃げるように有希が駆け出す。
後ろから掛かる声も聞かずに、一心不乱に走る。


遠い人だかりから、どさりという重い音が届いた。


















「シゲぇっ!!!」




遠のきそうになる意識をなんとか手放さないように保ちながら、シゲが肩で息をする。仲間達が呼びかける声も、どこか遠くで響いているような、そんな錯覚に襲われる。

今自分はどうしているのか。
自分のことなのに、そんなことがわからない。
ただ、さっきよりも目線が低くて、地面に手が届いているのがわかった。
ああそうだ。今自分は立つ力を失って―――倒れ込んだのだ。
自分のことのはずなのに、違う誰かのことのように思えた。

視線を上げる。
目の前に、剣先が見える。





「最後に聞く。大人しく王女を出すか」




剣の筋を辿る。
その先に居る人間がそんなことを言った。
冗談じゃない、誰か出すか。
そう言いたいのに、声が出ない。
口をついて出るのは、か細い息遣いばかり。

悔しかった。
ぬるい環境で育った、苦労知らずの人間に負けるなど思わなかった。
それなのにこの状況はどうだろう。
今自分は死の目の前に居て、無様な醜態をさらしている。
剣の技術も体力も。劣っていたはずはないのに。




「王女を出せ。そうすれば命は―――」



頭の中が真っ白になった。
それでも、何度も同じ事を繰り返す、その言葉が気に入らなかった。



「・・・・・や」

「?」

「嫌や」

「何がだ」

「姫さんは出さへん」

「命が惜しくはないのか」

「関係あらへんわ。とにかく姫さんは連れていかせへん」




肩を落としたまま、それでもしっかりと口にした言葉は、
すなわり王子が持ちかけた交渉の決裂を意味する。
真っ直ぐとシゲに向けられていた切っ先が動いて、真上に上げられて、
そして、王子が呟いた。





「・・・・・・・残念だ」




王子の言葉を引き金に、剣が振り下ろされた。
身構える力すら残っていないシゲは、抵抗する事無く座り込んでいた。
誰もが、最悪の事態を覚悟した。


しかし、振り下ろされた切っ先はさくりと軽い音を立てて地を削るに留まり、じっとシゲを見下ろしていた王子の視線は出来た人垣の向こうを見つめていた。








「・・・・・どうやら、頭思いの部下がいたらしいな」



そう言って、王子が剣を鞘にしまう。
何のことかと後ろを見た盗賊達をかきわけ、その人垣を突き抜けたのは、表情の冷たい、少し息の上がった有希。




「そんなことどうだっていいわ。もうここにいる必要はないでしょう。
早く連れて行って」


「もちろんだ。すぐに馬車を用意する」




有希の無事を確認した王子が、くるりときびすを返して雑木林の影に消えていった。未だ残る緊迫感の名残が周囲の人間を無言にし、誰一人として有希に声をかけるものもいない。誰もが口を噤み遠めに有希を見るばかり。シゲさえも、視線だけは有希から外さないものの、二の次が言えずに黙りこくったままだった。

王子の後ろに仕えていた、二人の騎士に付き添われて、有希も雑木林へ歩みを進める。有希も、一目として盗賊達を見ようとしない。
顔を下げて、視線を地に這わせる。
ぐっと握られた手だけが、全ての押し殺した感情を物語っていた。







「姫さん」



搾り出したか細い声が、シゲの口から零れ出た。
しかし、有希には届かない。
そうしている間に有希の姿は段々と遠ざかり、もう少しで見えなくなるところまで行ってしまった。



「姫さ・・・!」



ほんの少し回復した力を振り絞り、何とか立ちあがり声を張り上げようとしたシゲを、後ろから誰かが制した。




「あかん。黙っとけシゲ。
盗賊と仲良うしとったんがバレたら都合悪なるんはお姫さんや。
絶対呼んだらあかん」


「―――――っ!!」





すっかり見えなくなった後姿が気配すら消えた。
声を上げることすら叶わず。
追いかけることはおろか立ち上がることすら出来ず。
遠い有希の後姿を掴もうと伸ばした腕が行き場を失って、強く地面を叩きつけていた。




next...