水の気配をたっぷり含んだ空気が辺り一面に漂っていた。
大きく開けられた窓から吹き込む強めの風も
空一杯に敷き詰められた灰色の雲も、
全てがこれから起こる事を示唆している。
1人、薄暗い教室でそれを眺めていた。

ああ、雨が降る。







[::rainy blue::]







ぽつり、ぽつりと初めは控え目だった雨音が、
1分とせぬうちにザーザーやかましい音に変わっていった。
風に煽られた雨粒が、閉じられた窓に無残に叩きつけられては雨だれとなって落ちていく。
あの雨垂れ達はきっと、海へ渡ることも川を下る事も出来ず、また空へ帰って行くのだろう。
長い長い、空の旅の果て。
結局フリダシに戻ってしまうその結末を、彼等はどんな風に感じているのだろう。
きっと何とも思ってはいまい。
投げやりな自身の答えが妙に可笑しかった。






雨が嫌いだ、と言った。
世界中に自分一人しかいないような、錯覚を起こすから。
そう言うと、彼女は呆れたように笑って言った。

『あのさ、みーちゃん。今ココに私がいるの忘れてない?』






一層強く降る雨のせいで、窓の外はもうほとんど見えない。
降り始めたとき、すぐに窓を閉めて良かったと思う。
もしあのまま放っておいたら、
1人寂しく掃除をするハメになっていただろう。
そんな様は、寂しいとか言う前に、情けない。

他愛の無い事を思いながら、視界の悪くてよく見えない外の風景を、ぼんやりと眺めていた。
遠くで、廊下を走る数名の足音が響いていた。
他にも、まだ生徒が残っていたようだ。
久々に、雨音以外の音を聞いたと思った。
ほんの数十分前まで、この教室に溢れていた喧騒を棚に上げて。


遠くの足音が止んだ。
静かな、静かな教室。

雨の日は、世界中に自分しかいないような錯覚を起こす。
雨が、他の全ての気配を残さず吸い取ってしまうから。


車のエンジン音。
はしゃぐ子供の声。
鳥のさえずり。
風のささやき。
全て消えて、残るのは雨音だけ。


雨は、いつも1人で聞いていた。
静まり帰った自分の家で、部屋で。
いつも静かな家を、より一層の孤独が漂う。
かろうじて聞こえてくる表の雑音を全て奪い去っていく。

雨の日はいつも、錯覚を起こしていた。






『錯覚?それってつまり勘違いってことじゃないの?』

その言葉の意味がわかりかねたように首を傾げる彼女の呟いた言葉に、頭を殴られるような感覚をあの時、覚えた。






いよいよ勢いを増した雨に、窓がガタガタを揺れ始める。
帰ろう。
思い立って、教室の隅においていた傘を手に取った。
中途半端に閉められていたカーテンを、全て閉めるべく窓際へ寄った。
ふと目をやった運動場を、恐らく傘を忘れたのであろう生徒が、全速力で駆けて行くのが見えた。
すっかり水の溜まったそこを走りぬける度に、バシャバシャ水が跳ねるのが見える。
聞こえるはずもないのに、その音が耳に届いてくるような気がした。






『何日も続くとさすがにうっとうしいけどさ。
たまにだと楽しいよ。濡れんのも結構気持ちいいし』

そういうものか、と問うと、そんなもんだよ、と答えた。
そう言うのなら、そうなのかもしれない。
ただ、下手に荷物が濡れるのは、さすがに困る。
そう言うと、楽しそうに彼女が笑った。






かつん、かつんと自分の足音が広い廊下によく響く。
不意に、昔感じていたそれを思い出した。

全てを雨が吸い取っていく。
車の音。人の声。鳥のさえずり。風のささやき。
自分以外が発する音を全て、余す事無く。
1人きりの部屋で、自分以外の存在を確認するための全てを、雨が奪っていく。

世界中に自分1人しかいないような、錯覚。



下校時刻をとうに過ぎた雨の日のゲタ箱には、見事なまでに人影がなかった。
電灯がついていない、暗いその場所。
見回りに来た教師が、もう残っている生徒がいないと思って切ったのだろうか。
モノを確認するのが、少しだけ困難な薄暗い闇。






『雨降ってるから、
子供の声とか他の音とかがしないのはしゃーないけど。
今はこの風子ちゃんがいるんだから、大丈夫だろ?』

言って、照れくさそうに笑った。
錯覚は所詮錯覚なんだし。
加えて、そう言い切った。



ああ、その通りだ。

錯覚は所詮錯覚で。
今この時も、同じようにこの雨を見ている人間がいる。
何百。何千。何万。何億の、自分ではない誰かがいる。

この世界は、自分以外が存在しないことを確認するには、あまりにも広すぎる。






傘を開く前に、飽くことなく水を降らす空を見上げた。
この空の下には、自分以外の存在を教えてくれた少女もまた、いる。

勢い良く傘を開いて、
随分と水の溜まった外へ一歩踏み出した。
使い古された傘に、ぼつぼつと雨粒が当たる音が聞こえるのとほぼ同時。
傘を握っている腕に、傘以上の重みが加わる。



「相合傘」

「っ!? 風子!?」



左腕に寄りかかるようにして、風子、突然の登場。
驚いてよろけた拍子に離しそうに傘を、風子が支える。



「出てくんの、遅い」

「・・・・待っていたのか?」

「うん」

「いつから」

「HR終わってから、ずっと」

「どうして呼びにこなかった」

「すれ違いになったらヤだな、って」

「・・・・・・・・・忘れたのか、傘」

「うん」

「今日は濡れて帰らなかったんだな」

「どうせ、みーちゃん家行くつもりだったし」

「・・・・・・・悪かった」

「いいよ別に。勝手に待ってたんだし」



言葉一つ一つに覇気が感じられない。
待ちくたびれたにしても、少しおかしい。



「どうかしたのか?」

「・・・・・あんま、静かだからさ」

「?」

「もう、誰もいないのかと思った」



自分一人しかいない、錯覚。



「・・・・・錯覚は」

「へ?」

「所詮、錯覚なんだろう?」

「・・・うん」

「お前が僕に言った言葉だ。忘れたか?」

「ううん、覚えてる」



当たり前だ。
何気なく呟いたかもしれない一言でも、多いに救いをもたらしたその一言。
そう簡単に忘れられては、困る。



「帰るぞ」

「そ、だね」




雨が降る。
自分以外の存在を確認しながら、帰路へ着く。




FIN.




梅雨の長雨。
しとしと降る雨よりは、どしゃ降りのが好き。

つーか。
すっかり、風子の口調を忘れていて、みみこサンびっくりーv(死)
み、妙にしおらしいから、勝手がわからなかっただけよね!(言い訳)
水鏡は某不破氏と未だに被ります。
ブランクって恐ろしい。いやはや。