舞い降りた沈黙が、ひどく心に痛かった。
言葉なく下を向くラクスの力なく項垂れた肩を見下ろしながら、どうする事も出来ずにただ立ち尽くす。
何を言えば良いのか。何か言えば良いのか。何か言って良いのか。
それすらわからなくて黙り込めばそれだけ、流れる沈黙が心に痛かった。
「・・・・・・ラクス」
耐えかねて、小さく名を呼ぶ。
それに反応するようにぴくりと肩が動いたのに驚いて、自分もまたびくりと身を震わせた。
けれどここで止めてしまえば何も始まらないと、必死で言葉を探した。
ラクス、ともう1度名を呼ぶ。呼応するように彼女が顔を上げた。
「やはり、貴女は変わりましたよ」
なるべく声に抑揚をつけずさらりと流すつもりだった言葉に、想像以上の動揺を受けたらしいラクスの表情が固くなるのを見て、胸が痛んだ。
「随分、変わりました。もう俺には近付く事さえ出来ないほど――遠い存在になってしまった」
そう言って、ふと、昔感じていた思いが蘇るような感覚に陥った。
彼女がまだ自分にとって、『プラント一の歌姫』だった頃の感情。
彼女の声に心奪われ、笑顔に焦がれた日々の記憶。
遠い世界の人なのだと、思っていた。
手の届くはずのない場所。違う次元に住まう人。
ああ、そうか。
これは喪失ではなく逆行なのだ。
彼女という全てを失うわけではなく、ただ、また遠ざかってしまうだけ。
「初めて貴女にお会いしたときとは、随分印象が変わりました。
変わらないのは俺だけ・・・・そんな自分が、俺は情けない」
成長していく、自分以外の周りの全て。
誰も彼も、ただ一心不乱に歩き続けている中で、一人ぽつんと、取り残されているような気がしていた。
横を通りすぎていく人々。
振り返る事無く過ぎ去り、遠くなっていくその背。
そんな中でも、彼女の背中が何より遠かった。
手を伸ばせば、そのあまりの遠さに目が眩んでしまうと思った。
だから止めた、望む事も追いつこうと走ることも。歩み、進むすら、止めた。
「こんな俺だから、貴女の傍にいることは不釣合いだと思うようになりました。
―――目を合わせられぬのも、そのせいです。決して、貴女を見ていないわけではありません」
むしろ見ているからこそ、その距離を思い知らされて目をそらした。
自覚すればするだけ、今まで培ってきたもの全てを、消し去らなければならないとすら思ったから。
思い出にすがることが無意味だと知っていても、何かを残しておきたかった。
「貴女のせいではないのですよ」
だから気にしないで下さい。
俺を見ないで下さい。
何も言わないで下さい。
貴女の言葉一つ一つに、都合の良い夢を見てしまいそうになるから。
優しく語り掛けるように言った言葉は、部屋の空気に静かに溶けて消えた。
また沈黙が降りて、お互いに黙り込んで。
次にその沈黙を破ったのは、ラクスの方だった。
「アスラン」
「―――はい」
落ち着き払った彼女の声に、ほんの少しの畏怖を残しながら答える。
きっと彼を見上げたラクスの視線は毅然としていて、怒りに似た何かがその瞳の向こうに見え隠れしているのが見えた。
「私は、変わりましたか?」
「はい」
「では、どこが?」
「―――は?」
「どこが変わったのですか?」
「どこって・・・・・全て、です。そうとしか言いようが・・・・」
「それではわかりません。具体的におっしゃってください。
変わったという私の全てを」
「・・・・ラクス?あの、おっしゃっていることの意味がよく・・・・・」
先の見えない不可解な問いかけの意図を掴みかねて、アスランが控え目にそう問いかける。
そんなアスランに対して、ラクスは変わらず凛と背筋を伸ばしたままの体勢で続ける。
「私が変わったのだと貴方がおっしゃるのなら、きっとそうなのでしょう。
けれどだからと言って、私の全てが変わってしまったのだと、どうして思ってしまわれるのです」
「それ、は・・・・・・・・・」
「それが私の全てだとは思わないで下さい。
変わるものもあれば、変わらぬものだってあるのですよ。
アスラン。だって私は・・・・・・・・」
不自然に途切れた言葉が妙な余韻を残す中、呆然とラクスの声に聞き入るように立ち尽くしていたアスランの手にラクス触れる。
逃げるように引こうとしたその手をぎゅっと握って、見上げて、言った。
「変わることなくずっと、これほどにも、貴方の事を想っているのですから」
白い、光が走った。
まず耳を疑い。目を疑い。そして記憶を疑った。
頭の中に白い光が走り、思考全て攫われるような感覚に襲われた。
都合の良い夢なのだと。自分は夢を見ているのだと。
心のどこかで何かが叫んでいた。
幻想のような空間で、唯一外界と通じていた、握られた彼の手を包む2つの掌が小刻みに震えていた。
それだけが彼の中で、ただ現実だった。
「冗談・・・・ですか?」
「いいえ」
「だってそんな・・・・・貴女は・・・・・・!」
「いいえ。いいえ、アスラン」
小さく俯いて首を横に振るラクスを、信じられぬと言った風に覗き込む様に見つめていると、顔を上げた彼女と目が合った。
「貴方は、冗談でこのようなことをおっしゃることが、出来るのですか?」
悲しげに笑んだ彼女の笑顔が美しすぎて、一瞬息が詰まった。
何も考えられず、ただ、握られたままの手を強く握り返して引き寄せた。
かき抱く、力の限り。想っていたよりもずっと小さな肩が、すっぽりと腕の中におさまる。
「信じろ、と言うんですか」
制御できぬ力で抱くことの息苦しさで詰まる声で、かすれながらもそう言った。
「先にいなくなったのは貴女なのに。俺を置いていったのに。
俺の目の前から消えていった貴女の言葉を、信じろとおっしゃるんですか」
なるべく荒げないようにと極限まで抑えた声が震え出す。
腕の中で黙り込む彼女が壊れてしまうのではないかと思いくらいの力に腕が痛み始めた。
「貴女はもう遠いから。夢は見ないようにと言い聞かせて。
やっと・・・・・・・やっと決心がついたと思っていたのに。それを・・・貴女は・・・・・!」
「アスラン。貴方はもう、私の事が嫌いになってしまったのですか?」
消え入るようなか細い声が2度目の言葉を腕の中で呟いたのを聞いて、思わず抱きしめる腕を放して必死に弁解しそうになった。
危ういところで腕を止めて、彼女をかき抱いたまま、見えぬとは分かっていても強く首を横に降る。
「そうじゃない・・・そうじゃないんです。ただ俺は、貴女に迷惑をかけるわけには・・・・」
「では・・・・・・・」
小さく呟いたラクスが腕の中で微かに動いて、そう思った次の瞬間、彼の胸に軽く置かれていた彼女の両手がアスランの背に回った。
「お揃いですね、アスラン。貴方も私も。変わらず、想い合っているのですから」
嬉しそうに語るラクスの声がやけに悲しく響いた。
溢れそうになる想いを必死で抑えるように息を飲んで、抱きしめる、背中に添えた手で拳を握った。
不思議な人だと思っていた。
ひどい人だと今思った。
手放そうと思ったのに。
それが貴女のためになるのだと、決死の覚悟で決めたのに。
手放そうと決めた次の瞬間、貴女の方が俺に手を伸ばす。
その手は否めない。
もう、逃げられない。
これを逃せばきっと2度と、諦められないのに。
「後で後悔しないと、言いきれるんですか?」
「はい」
苦々しく呟いた言葉に即座に返った返事が心に染みた。
「もう2度と俺の前から消えたりしないと、誓えるんですか?」
「はい」
迷いなく口にした言葉に胸が詰まって、喉が乾いた。
ラクス、と呼んだはずの名は、吐く息に混じって確かな音にはならなかった。
「貴方は。アスランは、もう私から目をそらしたりしないと、誓ってくださるのですか?」
「誓い、ます」
約束 です。
どちらともなく呟いた言葉を最後に、部屋に降りた沈黙が暖かかった。
腕に篭もる力で詰まる息が苦しくても構わなかった。
ずっとこらえてきた何かが溶けた水が頬を伝い落ちるのを、止める事無く放って置いた。
今はただ、伸ばし届いた手が。
間近に感じる互いのぬくもりが、ただ、ひたすら愛しい―――。
FIN.
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アス→←ラク。
長くなりました。収拾つかなくて5回くらい書きなおしました。
3個くらいネタ出しました。
その証拠にほら。このファイル名は『tagai_b』になってるでしょう?
2個目を採用。Bバージョンで何とかまとまりました。あー、辛かった。
次で完結。さあ、最後だ締まっていこう!!
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