ハイスクール・フリートは、登場する艦艇の描写がリアルでトボけたキャラクターも面白く、ついつい引きこまれて見てしまいます。ただ、アニメを見ただけでは物語の背景などに不明な点やアレっと思う点がありましたので、その辺りをつらつらと書き綴ってみたら…重箱の隅をつつく内容となってしまいました。
ウイルスを媒介するRATtがいた実験艦が打ち上げられたのは西之島新島ですが、武蔵は集合地点である西之島新島には現れていませんし、最終話で西之島新島での集合前夜に異常が生じたことが明らかになっています。アドミラル・グラフ・シュペーも同様ですが、艦内でRATtが少なくとも10匹捕獲されています。
逆に、東舞校の教員艦が武蔵を保護しようとしたとき、VLSの発射口付近をうろちょろしていたRATtのせいで噴進魚雷が動作不良を起こすシーンがありましたが、乗員がウイルスに感染した様子はありません。また、真冬部隊はパーシアス作戦前に鳥海、摩耶、五十鈴を制圧していますが、どのようにして感染を免れたのかも不明です。
また、西之島新島には学生艦が7隻いましたが、LOSTしたのは計11隻(アドミラル・グラフ・シュペーは除く。後述のY513涼月とY513涼風は同一艦としてカウント)なので、残りの4隻が何処で感染したのかは不明です。
なお、7隻というのは集合前で、その後の猿島の砲撃時には少なくとも9隻いるようです。横須賀出港時に隊列を組んでいた9隻から、武蔵と晴風を除いても数が合いません。
(西之島新島に集合していた艦)
相対的な全長等から見て、重巡洋艦2隻(鳥海、摩耶)、軽巡洋艦2隻(五十鈴、名取)、駆逐艦3隻(天津風、磯風、時津風)と思われます。
一般的に、訓練用頭部は赤で実用頭部は黒若しくは無塗装です。赤色を実用頭部と描写している作品が多い中で、きっちりと区別しています。
行方不明艦艇などを航空機で捜索するのは普通ですが、物語ではそのような様子がなく所在の把握に手間取っているばかりか、武蔵の虚を突く行動に翻弄されています。
納沙幸子の「水素やヘリウムを使わない空飛ぶ船って作れないですかね?」という発言も、航空機がないことを示唆していると考えることが出来ます。実際、教官艦の広い飛行甲板には飛行船と思われる無人機が1機あるだけです。
また、不要な装備として撤去された可能性もありますが、武蔵、比叡、アドミラル・グラフ・シュペーに航空機射出用のカタパルトがないことも航空機が存在していないことをうかがわせます。
その反面、武蔵や比叡には12.8cm高角砲や25mm機銃(速射砲と呼称)、アドミラル・グラフ・シュペーには3.7cm対空砲などの対空火器がありますし、晴風がアドミラル・グラフ・シュペーとの最初の戦闘後に換装して装備した長10cm砲は高角砲として開発されたものなので、航空機が存在しないと矛盾するのも確かです。
岬明乃は、伊201との意思疎通が失敗したと思われる後、速やかに立ち去らずにソナーが効くまで速度を落としています。これでは攻撃の意志があるとしか思えません。
かわぐちかいじ氏の漫画「沈黙の艦隊」で、ロシアのアルファ級潜水艦が通信ケーブルをアメリカ潜水艦のスクリューに絡ませて行動不能にしたのと同じ発想ですね。
ちなみに、納沙幸子が「我々はブルーマーメイドの教官というちっぽけな存在ではない。」、「宣言する。我々は独立国家『猿島』である。」というのも「沈黙の艦隊」を思い出させます。
ウイルスに感染している他の艦が通信を絶っている中、救難信号を発するでしょうか。もしかして、正常な艦を攻撃したのでは。それとも、感染者とはいえ生命の危機を感じたので発信したのでしょうか。
う〜ん、先制攻撃を仕掛けてきたということは、やはり感染していた? それとも、宗谷ましろが危惧したとおり、アクティブソナーの使用を攻撃と解釈して通達どおり撃沈しようとしたのでしょうか。
主任務が烹炊員である伊良湖ほか2名はともかくとして、等松美海主計長は普段何をしているのでしょう。マッチの追っかけ?
何れにして、人手不足であることは間違いありません。
民間には流通してなさそうなものだし、塗装も軍艦色ではね。張り込んでいたらすぐに発見されそうです。
一番上…国際信号旗に該当なし。
白地に青十字…本船の信号に注意せよ。
黄地に黒丸…本船は左に進路変更中。
全く、意味不明です。国際信号旗ではないですね。もう少し、調べないと。
明石、間宮には、横須賀女子海洋学校所属艦であることを示す赤の識別帯、煙突の校章、艦首の所属記号・番号、艦尾の艦名が描かれていませんが、何か意図があるのでしょうか。
装備の自動化がされているとはいえ乗員数が少なすぎます。戦闘を想定していないためと思われますが、通信員やレーダー員が1人というのは平時であっても明らかに不足です。見張員も含め当直要員がいません。
晴風は射撃指揮所で全砲塔を管制していますが、武蔵が行った砲撃については射撃指揮所が管制していると考えるのは無理があります。
通常、主砲は測距儀と射撃管制装置を用いて単一目標を照準・砲撃しますが、武蔵は測距儀を用いておらず3基の主砲塔がそれぞれ別の目標を砲撃しています(この点は東舞校の教官艦隊が撃破された後の国土保全委員会の資料でも言及されています)。
各主砲塔には測距儀があるので、砲塔に要員さえ配置してあれば個別砲撃が不可能というわけではありませんが、武蔵の学生数も晴風と同じ30人なので事実上困難です。また、副砲はその性格上、主砲とは別の目標を砲撃することが想定されているので、やはり砲塔に要員の配置が必要となります。そうなると戦闘で破壊された副砲塔では死傷者が出ている可能性があります(安全装置なるマジックデバイスがあるようですが)。
また、比叡やアドミラル・グラフ・シュペーの副砲は砲郭式であり、自動装填装置の設置は不可能なので、ここにも操作要員が必要となります。ブルーマーメイド福中部隊の無人機3機を速射砲(25mm三連装機銃)により撃墜していますが、高射装置を用いて複数の高角砲又は機銃で同一目標を射撃することは可能と思われるものの、やはり複数目標への同時射撃及び給弾が問題となります。
なお、自動装填装置に関して言えば、砲塔式であっても分離装薬式の砲に自動装填装置をつけるのはかなり困難だと思われます。砲弾と装薬は何とかなるとしても、プライマー(火管)の装着は難しいでしょう。
納沙幸子、西崎芽衣、鏑木美波の3人はパーカーなどを羽織っているため、特技章が確認できません。
西崎芽衣は水雷長なので砲術科であることは間違いないのですが、記録員(書記)の納沙幸子、保健委員の鏑木美波は何でしょうか。
ついでに言うと、間宮艦長の藤田優衣の特技章が主計科というのも“?”という感じがします。補給艦なので主計科としたのかもしれませんが、艦長は操艦に責任を負わなければならないのでやはり航海科が適当と思われます。もしかすると、上記でも書いたように中学生の時に操艦もマスターしているのかもしれませんが。
(追記)
公式ウェブサイトを見ていると、上っ張りを着ていないイラストがありました。納沙幸子、鏑木美波とも主計科です。
比叡を発見した時、野間マチコは「艦橋形状から見て武蔵。」と報告しています。誤認と判った時も、納沙幸子は「遠くから見たらそっくりですもんね。」と言っています。
これは大和型戦艦の建造に当って、艦橋形状などを決定する際に比叡をテスト艦としたことを意識したものでしょうが、正直見間違えるかなと思わないでもありません。
日本では赤道祭という言葉に馴染みがありませんが、第二次世界大戦中に装甲艦アドミラル・シェアーが通商破壊戦に出撃したとき、いつ敵に遭遇するかもわからない状況の中で赤道祭を行ったことが同艦の艦長であったテオドール・クランケの著書(邦題:ポケット戦艦)に記されています。
分かりにくいセリフだと思いますが、帆船時代の考えですね。帆船では、相手より優位な立場に立つには風上の位置に占位するのが必須条件でした。風上であれば攻撃も回避も意のままですが、風下の船が風上の船を攻撃するのは容易ではありません。また、自艦の帆によって相手の帆に当たる風を遮ることも可能だったと言われています。
砲塔での独立した射撃については分かりませんが、射撃指揮所における管制射撃の時にタイムラグ(同一砲塔、砲塔別)があるのは、何か意図した表現でしょうか。
射撃指揮所においてトリガーを引いたとき、射撃準備の出来ている砲は同時に発射されます。日本海軍の連装砲塔の戦艦は、左右の砲を同時発射すると飛翔中の砲弾が相互干渉して散布界がバラけるという問題が生じるため、遅延装置を用いて右側の砲の発射を0.2秒遅らせていましたが、どうもそれ以上のタイムラグがあるように感じます。また、晴風などの駆逐艦にはそのような装置はありません。
入学式の日が明らかではありませんが、西之島新島は東京から約1,000kmの距離にあるので16kt〜18ktで約30〜34時間かかります。武蔵は4月6日20時には西之島新島沖に到着しているので、前日の4月5日昼頃には横須賀を出港したと思われます。約1か月の間、16〜18ktで航行し続けると延べ航行距離は約11,500〜13,000海里に達しますが、大和型戦艦の航続距離は16ktで7,200海里なので、何処かで漂泊していないかぎり補給を受けていない武蔵は燃料切れで行動不能に陥っているはずです。
ただ、大和竣工時の公試の結果、16ktで11,000海里以上航行できると計算され、計画より余剰となった燃料搭載量の減少を図りましたが、それを行わなかったとすれば燃料がカツカツの状態ながら浦賀水道まで辿り着けそうです。
宗谷真雪校長に報告している秘書が見ているタブレットには、燃料搭載量が5,850tと出ています。大和の満載燃料は6,300t、そのうち実際に使える燃料は5,985t。この燃料搭載量がどちらの値か判りませんが、何れにしても燃料搭載量の減少は行わず満載に近かったことになります。
晴風(陽炎型駆逐艦)は18ktで5,000海里。明石や間宮が史実どおりの艦だとすると燃料補給能力はないので、高速航行を頻繁に行った晴風は何度も立ち往生しているはずですが、おそらくは給油艦風早と定期的にランデブーして補給を受けていたものと思われます。晴風で真水が不足したとき、納沙幸子が「補給艦と合流できるのは5日後です。」と言っていましたしね。同艦は燃料のほか、小艦艇への糧食や真水の補給も可能でした。
ただ、晴風が最初に明石、間宮などと接触したのは4月13日の夜。出港から9日が経過していますので、18ktの巡航でも既に約3,900海里航行しています。この日の朝、宗谷ましろに横須賀までの所要時間を問われた知床鈴は「26時間かな。」と答えていますので、、更に約470海里航行する必要があります。高速航行を考慮すると、トイレットペーパーと同じぐらい燃料も枯渇していたはずで、この時点で給油を受けずに武蔵捜索に向かうことは不可能です。
ちなみに、ウイルスに感染した各艦が巡航で航行可能な日数は、鳥海、摩耶が23日、比叡が22日、照月、涼月が18日、五十鈴、名取が14日、磯風、天津風、時津風が11日、涼風が9日となります。
パーシアス作戦開始前に、涼風、磯風、天津風、時津風の所在が判明していたのは、既に燃料切れで漂流あるいは何処かに停泊していたからかもしれません。
面白いアイディアですが、現実は無理でしょうね。水圧に耐え切れず、パラシュートが裂ける、パラシュートとパラシュートコードの接合部が引きちぎられる、若しくはロープ自体が切れるでしょう。もし、そうならなくてもあのタイミングで旋回できません。
噴進弾を発射した時の晴風と武蔵の距離は、噴進弾の最大射程が4,000mであることから最大で2海里(約3.7km)。発射後、晴風は弧を描きながら武蔵と反航していることを考慮しても両艦の相対速度は30ktを下らないでしょうから、完全にすれ違うまで最大で4分。これでは、舵の故障を受けてパラシュートを装着している間に完全に行き過ぎてしまいます。
日本海軍では、第三次ソロモン海戦での比叡損失の戦訓から応急舵を装備しましたが、これは鉄製の枠に木の板を貼りワイヤーで曳航するもので、使用時には10ktも出せず舵としての効きも悪かったと思われます。
晴風は後向きで曳航されています。これは、なかなか考えられた描写かもしれません。
車と違って艦船には曳航用フックなどありませんので、曳航索は強度のある上部構造物に巻きつけることになります。
では、晴風の場合は何処でしょうか。真っ先に砲塔が思いつくと思いますが、砲塔は可動物ですし、晴風の場合はスリムな5icch単装砲塔に換装していますので強度的に不安です。記憶が曖昧ですが、駆逐艦が他艦を曳航するときに第2砲塔下部の構造物に曳航索を巻きつけたという話を読んだことがありますので、今回もそのようにして後向きでの曳航になったのでしょう。
また、武蔵との戦闘による至近弾や衝突の衝撃で生じた破孔、外板の裂け目や緩みから浸水したでしょうが、曳航されて横須賀に入港した時は夕方で、武蔵との戦闘が終了した正午過ぎからは相当の時間が経過しています。
当然、洋上で他艦の乗員の手も借りて損傷の応急修理、排水作業をしたはずで、入港時の艦の姿勢にも特に異常は認められないのに、突然艦首から突っ込む形で急速に沈没するのは不可解としか言いようがありません。
折りに触れ晴風クラスは30人と言われていますが、何気なしに最終話で退艦する人数を数えてみたら31人います! 悩んだ末に、クレジットタイトルでキャラクターの人数を数えたらやはり31人。どうやら、晴風クラスというのは横須賀女子海洋学校の学生のみで、海洋医科大学の学生である鏑木美波が含まれていないようです。
日露戦争があったことは宗谷真雪の話で明らかですが、その後の戦争はどうでしょうか。
これを考えるヒントの一つはアドミラル・グラフ・シュペーの存在です。同艦は第一次世界大戦で敗北したドイツが、ベルサイユ条約の制限下で建造したドイッチュラント級装甲艦の3番艦であり、艦名も第一次世界大戦中のコロネル沖海戦でイギリス艦隊に勝利し、続くフォークランド沖海戦で敗れて戦死したマクシミリアン・グラン・フォン・シュペー中将に由来します。アドミラル・グラフ・シュペー艦橋正面の“Coronel”と記入した銘板はコロネル沖海戦の勝利を記念するものでしょうから、同艦の存在はこの世界でも第一次世界大戦があった証左と言えます。
では、第二次世界大戦はどうでしょうか。これは分からないとしか言いようがありません。第二次世界大戦がないと存在しない艦艇や兵器が出てこないからです。逆に言えば、それらが出てこないということや「信濃」や「紀伊」が18inch砲戦艦として存在するということは、大戦がなかったことを示しているとも言えます。
ただ、気になるのはトイレットペーパー募金に対するミーナの言葉、「わしはユーロしかない!」です。
イギリスのEU離脱騒動で、EUとはそもそも何かということの解説が繰り返しなされましたが、EUは二度の世界大戦を経て、戦争の要因ともなった石炭と鉄鋼の生産を共同管理することを目的とした欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を祖とします。ユーロという通貨が誕生したのも、遡れば二度の世界大戦があったからと言うことができ、太平洋戦争はなかったがヨーロッパでは大規模な戦争があった可能性はあります。
RATtはウイルスの伝播役で、この騒動を引き起こした犯人とその目的は明らかになっていません。
(背景)
国土の平野部分がほとんど水没していては、工業はもとより食料生産にも支障を来して経済はガタガタ、人口は激減しているはずで、メガフロート都市の建設など望むべくもありません。全く不可解な背景設定です。
(第1話)
72.4マイル(海里)の距離を18ktで航行したなら、集合時刻から4時間2分の遅刻(知床鈴も宗谷ましろに所要時間を問われて4時間と答えています)ですが、猿島から攻撃を受けた際に宗谷ましろは「3時間と2分遅れた。」と謝罪しています。
猿島に対して魚雷を発射するとき、西崎芽衣が「方位角、左90度」と言っていますが、方位角とは北を零度として時計回りに角度を振ったもので右、左はありません。また、砲雷撃の指示で方位角を用いることは不自然です。
(第2話)
納沙幸子がタブレットを見ながらアドミラル・グラフ・シュペーの要目を読み上げていますが、12,900tと表示されている基準排水量を12,100tと読んでいます。ちなみに、アドミラル・グラフ・シュペーの基準排水量は12,100tとされています。
(第4話)
晴風とオーシャンモール四国沖店の間は、スキッパーやブルーマーメイドの哨戒艇で行ける距離なので、晴風は四国沖にいるはずです。しかし、間宮、明石等と合流したあと、武蔵(東経145度、北緯19度41分。グアム島北方)に一番近いとのことで捜索に出かけているものの、岬明乃の「こんなに近くに」という言葉には違和感があります。
(第8話)
比叡を発見した時はトラック諸島まで3時間とされていましたが、制圧後に伝えられた不明の大型艦目撃情報ではトラック諸島方面300海里となっています。最大でも87海里しかトラック諸島から離れていないはずなのに、差が大きすぎます。第4話もそうでしたが、位置については結構無頓着なようです。
(第9話)
アドミラル・グラフ・シュペーは晴風の右舷側にいるのに、左舷航海管制員の山下秀子が魚雷の航跡や被弾の可能性を報告しているのは変です。
(第10話)
日本もドイツもメートル法を採用しているのに、第8話ではミーナが長10cm砲をわざわざ3.9inch砲と呼んでいるほか、12.7cm砲を5inch砲、28cm砲を11inch砲と呼称するのは不自然です。
(最終話)
艦橋から見える1番砲塔が、再換装後の5inch単装砲ではなくオリジナルの12.7cm連装砲塔となっています。
武蔵に接舷するため、岬明乃が「面舵」と命令したのに知床鈴は取舵を取っています。それだけなら知床鈴の操艦ミスとなるのですが、その直後のシーンで艦は右に回頭していますし、続けてのシーンではちゃんと面舵を取っています。
(照月、涼月、名取は何処へ行った?)
LOSTした艦としてチャートにプロットされていましたが、消息は明らかになっていません。パーシアス作戦前に真冬部隊が制圧した艦に含まれていませんし、パーシアス作戦の対象にもなっていません。
なお、識別記号Y513の艦名は涼月でしたが第10話では涼風になっており、艦型も秋月型駆逐艦ではありません。他の駆逐艦の識別記号はY4**なので、Y512照月に続くY513は同じ秋月型である涼月で違和感はないのですが(照月は秋月型2番艦、涼月は同3番艦)、何となく無理やり変えたのではないかという気がします。というのも、もし航空機が存在しない世界なら、涼月、照月の両艦は艦隊防空用として建造された秋月型駆逐艦なのでミスキャストですから。
「穏やかな海は、良い船乗りを育てない。」(古庄薫教官)
「死者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は恐れず。」(鏑木美波)
「変わり者を寄せ集めた印象だったけど、すごいね。」(杉本珊瑚 明石艦長)
いやはや、返す言葉がありません。
「黒ちゃん!、昔から言うだろう。神輿は軽くてバカがいいって。」(柳原麻崙機関長)
若狭、伊勢、駿河が頷くのは、「機関長も人のことは言えないでしょ。」といったところでしょうか。
「間違った知識には注意せよ。それは無知よりも危険である。」(八木鶫の好きな言葉)
(ウイルスに感染しなかった艦)
Y467_晴風
Y308_長良、Y462_浦風、Y464_萩風、Y465_谷風
Y2302_明石、Y2201_間宮、Y471舞風、Y470_浜風
風早、秋風
風早、秋風はチャートにもプロットされていませんが、宗谷真雪校長と大賀との会話に出てきます。
(LOSTした艦艇一覧)
Y102_比叡 晴風との交戦で座礁、最終話では武蔵攻撃に参加
Y118_武蔵 晴風により制圧
Y309_五十鈴 真冬部隊により制圧
Y460_磯風 パーシアス作戦で制圧と推定
Y512_照月 6話ではチャートにプロットされているものの不明
Y513_涼月 6話ではチャートにプロットされているものの不明
Y211_鳥海 真冬部隊により制圧
Y212_摩耶 真冬部隊により制圧
Y310_名取 不明
Y459_天津風 パーシアス作戦で制圧と推定
Y461_時津風 パーシアス作戦で制圧と推定
W207_アドミラル・グラフ・シュペー 晴風により制圧、最終話では武蔵攻撃に参加
Y513_涼風 パーシアス作戦で制圧と推定
鳥海、摩耶、天津風、時津風の4隻は、3話時点でLOSTとされていませんが、西之島新島で猿島が晴風を砲撃するのを見ていたはずです。連絡がついていたのなら、西之島新島での出来事を横須賀女子海洋学校へ報告していたはずで、晴風が「反乱者」の汚名を着せられることもなかったでしょう。
また、6話の大賀の報告では、比叡、鳥海と連絡途絶とありますが、比叡は3話時点でLOSTしているので摩耶の誤りと思われます。