Parish of Our Lady of the Lakeside,
Catholic Otsu Church

大津教会の歴史

大津教会聖堂献堂前後の歴史

1907年(明治40年) パリ外国宣教会のグリナン神父は大津市京町一丁目に一軒家を借りて、伝導所を開く
1911年 グリナン神父大津を後にする
1931年(昭和6年) ウット神父が河原町教会に着任
1932年 ウット神父は青森県広前市から釜萢伝導士を呼び寄せ、大津市梅林3丁目に借家を借りて、二階を集会所に使用した
駐日教皇大使ムーニー大司教は、アメリカのメリノール宣教会に京都地区での宣教活動を依頼する
1933年8月 フェルセッカー、ウィットロー、ブリッグス、J・Kウォルシュ師来日
1934年 ベースフル、マッケンジー、デイリー師来日
1935年 管区長としてバーン神父来日、大津を訪ね諸状況を視察 その一週間後、ブリックス神父が来津
膳所の琵琶湖畔にメリノール本部として「さざなみ荘」を、仮教会として県庁前の和食堂を借りる
以後ブリックス神父が主任司祭、山中龍彦氏が伝導士となる
   

仮聖堂でのシスターの歓迎会写真      仮聖堂前の洗礼、堅信記念写真
1936年 バーン神父は唐崎に現メリノールハウスとなる土地と建物購入
バーン神父は信仰の土着化という立場から教会の建物は日本風のものであるべきという考えを打ち出す
1937年 「さざなみ荘」はメリノール女子修道会の修道院として委譲
バーン神父京都教区の教区長に任命される
1938年2月1日 「さざなみ荘」火災で消失
1939年 現在地に聖堂建設始まる
1940年9月15日 バーン教区長の司式で荘厳に献堂式が行われる
   

献堂記念写真               献堂当時の祭壇
1941年 太平洋戦争始まる
メリノール司祭全員幽閉、翌年アメリカに送還
バーン教区長は高野教会に幽閉される
1942年 聖堂が警察官の独身寮として使われる
1945年 太平洋戦争終結
1947年 ウォルシュ神父主任司祭に就任
1948年 ハント神父主任司祭に就任
大津教会近くにメリノール修道院建設(2009年解体)
1969年 新司祭館改築落成

歴代の神父様

( )は在任期間
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1994年京都教区にて、小教区主任制度廃止、共同宣教司牧始まる
大津教会では、当教会と、唐崎教会、安曇川教会の3教会を数名の神父様で司牧する体制となる

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

助任司祭

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

メリノール女子修道会シスター

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

共同宣教司牧担当修道士

 
 
 
 
 
 

大津教会出身の司祭・修道女