志
紀
島
啓 アーカイブ
評論
■三島、その可能性の中心
■「金閣寺」における媒介の概念
■コーラとしての舞台・「ゴドー」上演を巡るベケットの闘争
■オウムと中沢、ときどきドゥルーズ
■なんちゃって精神分析・香山リカ
■柄谷行人 その美学の欠如
■漱石の「こころ」を読む 日本近代・ホモソーシャル・メランコリー
口頭発表
■ゴドーを巡るベケットの闘争・2007年日本病跡学会にて
エッセイ
■柄谷行人氏のこと あるいは友愛と博愛
小説
■謝肉祭・第一章
■アヴェ・マリア 冒頭部分
■千のアポカリプス・序章
■ギオン・ナイト 部分
私訳
■「ゴドーを待ちながら」第一幕 サミュエル・ベケット
■「文脈と概念」の冒頭部分 ジャック=アラン・ミレール
■「アンジェラ・デイビスはおまえたちの手中に落ちた」 ジャン・ジュネ
■筆名「本上まもる」での著書『<ポストモダン>とは何だったのか 1983-2007』PHP新書
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