―彼の名は『賢者』
彼の名は『賢者(Savant)』――

正確には その呼び名も通称…
正確にはその呼び名も通称…

本名は まったくもって不詳…
本名は全く以って不詳…

私が初めて彼と出会ったのは…ある春の日の黄昏…
私が初めて彼と出逢ったのは…ある春の日の黄昏…

寂れた郊外の公園だった……
寂れた郊外の公園だった……






















屋敷を飛び出してから数時間。
今晩和(Bon soir)――

港ごしに海が見えるこの公園は、大きな待街の中でも私のお気に入りだった。
(「お嬢さん(Mademoiselle) そんな浮かない顔をして 何事かお悩みかな?


噴水の近くをうろついている間に、夕陽はもう半分ほど水平線の向こうに沈んでしまっている。
先ほどから君がその噴水の周りを廻った回数は11回 歩数にしておおよそ704歩 距離にして実に337メートル

さほど経たないうちに、完全に夜になってしまうだろう。
愚かな提案があるのだが どうだろう?


だからと言って、まだあの屋敷に帰るつもりはさらさらない。
私で良ければ 君の話し相手になりたい」)


「はぁ〜、今日どうしよう……」



足が疲れたから、噴水の縁に座り込む。 飛沫で服が濡れるとかは気にしない。
まずは誰もいない → 其れが零(zero)だ…

体力と一緒に気力も使い果たしてしまったような感覚。
其処に私(moi)が現れた → 其れが壱(un)だ…


「あの〜…ちょっといいですか?」



しばらく座っていると、いきなり声をかけられた。
そして君(toi)が現れた → 其れが弐(deux)だ…

見ると白いローブを着ている青年がいる。
単純な数式(しき)にこそ ← 真理が宿る…


まだ若い、…多分自分よりずっと年下だろう。
そんな容易なことに0301[さ]え自らを閉ざして 気付けない時もあるのだ……


「何? セールスとかナンパならお断りよ」


「ち、違う! 貴女がずっと噴水の周りを歩き回っていたから気になって…っ」



(あぁ、ストーカーか)


私はすぐにそう判断した。 よく見ればキレイな顔をしているのに、変態じゃあ問題外だ。



「で、何の用?」


「僕はミンツ大学の学生なんだ。 もし悩みとかがあるなら、力になれると思います」



ミンツ大といえば、かなり難関なことで有名な超一流大学だ。
やぁ、御機嫌よう(Salut)――

言われてみれば、この人の着ているローブはその制服。
(「お嬢さん(Mademoiselle) 先日の悩み事に対する解答は出たのかな?

頭も顔もいいのに変態か…勿体ない。
君と別れてから今日で丁度一週間 時間にして168時間 分にして10080分 秒にして604800秒


私は、少しこの青年に興味を持った。
と言っている間にも 23秒が過ぎてしまった 今日も君の 話し相手になりたい」)


「…私ね、ここに赤ちゃんがいるの。 まだ三ヶ月目なんだけど……」



まだ膨らんでもいない下腹部に手をあてる。
朝と夜との地平線(horizon) → 其れは弐(deux)だ…

同時に俯いたから、最近切ろうかどうしようか迷っている黒髪が視界に入った。
時の王(roi)が眠る墓所 → 其れは参(trois)だ…


今、確かにここに宿っているモノ。 彼と私から繋がっている《焔》。
煌めく永遠(とわ)の星屑 → 其れは伍(cinq)だ…

そう思うと、例えようのない愛しさが込み上げてくる。
単純な素数(かず)に0301[さ]え ← 真理は宿る…


「それはおめでとうございます!」
どんな容易なことに0301[さ]え自らを閉ざして 気付けない事もあるのだ……

「でもね、産むべきかどうか迷っちゃって……」



思い出す、豹変してしまった夫の態度。 昔は優しい人だったのに…。
君の哀しみを因数分解(ばら)してみようか?


彼は男の子を熱望している。 でも、もしこの子が女の子だったら?
幸福(しあわせ)の最大公約数(かず)を求めてみようか?

あの人なら、この子も殺せと言い出しかねない。


そして私には、それに抗えるだけの力はない。
涙を拭って…0301[さ]ぁ…お立ちな0301[さ]い…君の途はまだ続くのだから……


両手で頭を抱えると、事情を察したのか、青年は私の肩に手を置いた。


…私は、この見知らぬ青年に全てを吐き出すことによって、少しでも楽になりたかったのかもしれない。
なるほど(En effet)――


「…おおよその事情はわかりました。 ではこうしましょう!」
産むべきか ←→ 産まざるべきか…

「…………はい?」
それが最大の…謂わば問題だ…


いきなり明るい声で『こうしましょう』だなんて、この人はちゃんと話を聞いていたのかしら。
歓びの朝も…哀しみの夜も…全ては君の物…

…何だか不安、別のイミで。
未見ぬ者へ…繋がる歌物語(ものがたり)…詩を灯す物語(Roman)…


でも、青年は笑って。



「例えばある山で、樵が木を切り出していたとします。
『風車』が廻り続ける度に 『美しき』幻想が静かに紡がれ (Le moulin rouge… La belle chose…)

するとその山の地主が、『俺の山で採ったんだから、それは俺の物だ』と主張してきました。
『焔』の揺らめきの外に 『腕』を伸ばす愚かな猛者達は (La flamme … le bras invisible…)

さて、その木材は誰の物です?」
『宝石』をより多く掴もうと 『朝と夜』の狭間を彷徨い続ける (Le bijou rubis …  Le conte du matin et de la nuit …)

「決まってるわ、その山の晶霊の物よ」
『星屑』の砂の煌めきにも 『葡萄酒』は仄甘い陶酔(ゆめ)を魅せ (Le fragment d'etoiles… Le vin rouge joie et pathetique…)


この世界―インフェリアの自然はそれぞれ、水・風・火、そして光の晶霊が管理している。
『賢者』が忌避する檻の中から 『伝言』の真意を彼等に問うだろう (Le savant Crepuscule … La message d'onze lettres…)

私達人間は、その恩恵を分けてもらっているだけにすぎない。
『天使』が別れを告げし時 『地平線』は第五の物語を識る (La statue de l'ange… Le cinq…)


そこまで考えて、ハッとした。



「つまりはそういうことです。
(「繰り返えされる『歴史』は 『死』と『喪失』

土地の所有者や実際に木を切り倒した者がいても、その木材は山の…おそらく風晶霊のものです。
『楽園』と『奈落』を廻り 『少年』が去った後


人の命もまた同じで、まだ生まれてきていないとはいえ、それは父母の物ではない。
そこにどんな『ロマン』を描くのだろうか?

貴女方の勝手な一存で、その《焔》を消してはいけません。
傷つく事が怖いかね 失う事が怖いかね 信じる事が怖いかね


ただ…これだけは覚えていて下さい」
だからこそ私は そんな君の話し相手なりたい」)


青年は私と目を合わせた。 改めてみると、優しい…慈愛に満ちた紳士の目だった。



「貴女がこれまでの生活を後悔しているのなら、更なる苦痛を産んではいきません。


それは貴女とお子さんの、両方にとって哀しみしか与えません。
君が来た朝を後悔するなら…更なる痛みを産むべきではない…


しかし…貴女が旦那さんと向き合い、この結果を肯定するなら。


その子も、生まれてきたこの世界を愛することでしょう」
君が行く夜を肯定するなら…その子もまた《人生(せい)》を愛すだろう……




お孃0301[さ]ん(Chloe)――君の哀しみを因数分解(ばら)してみようか?
幸福(しあわせ)の最大公約数(かず)を求めてみようか?
埃を払って…0301[さ]ぁ…お発ちな0301[さ]い…君の旅はまだ続くのだから……









その後もすっかり話し込んでしまった。


気付けば辺りは真っ暗になっていて、青年は慌てたように立ち上がった。
0301[さ]ようなら(Au revoir)――


「あ…っ、失礼。 友人達と合流しなければ…この辺りで風の晶霊が多くいる場所をご存知ですか?」
(「お嬢さん(Mademoiselle) もう心は決まったようだね

「あぁ、それなら街の南東にある洞窟が……」
ならば さぁ…胸を張ってお行きなさい 君は君の地平線目指して……


青年は丁寧にお礼を言うと、人気も疎らになってきた街の中へと消えていった。


本当に紳士なら、こんな時間に女性の一人歩きはさせないんでしょうけど。


ま、大目に見てあげますか。



私も屋敷に帰ろう。 そして、彼ともう一度話し合おう。


男の子でも女の子でも、どちらでもいい。


生まれてきたこの子を守り、そして愛していこう。



……上の子の失敗は、絶対に繰り返さない!




「あ…名前聞くの忘れてた」




私とこの子の恩人となった学生さん。 …ううん、『学生さん』なんて呼ぶのも何か違う。



「…ありがとう、《賢者》さん」
(「Merci, Monsieur 『Savant』」)



































女が去り、だれもいなくなった公園。 その闇の中に動くものがあった。


それは、青年が去った方角をずっと見つめている。


『彼』は暗黒の中に身を置く者。 世界の《伝言》に仇なす者。



「見つけたぞ…国家反逆者、キール・ツァイベル…!」
(「探したぞ Christophe」)


















                              其処に物語は在るのかしら――?








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