『黒の預言書』第十三巻 509頁…
第十三巻 509ページ…
「ぅわ…っと、やけに荒れてるなぁ」
クレスタ沖の海上で、若い漁師が船内でひっくり返った。
この海域に入った途端、穏やかだったはずの波は高くなり、酷く時化り始めていた。
黒い嫌な雲も近付いてきている。 どこか遠くで、雷鳴が聞こえた。
「あぁ、オメェは知らなかったな」
父親らしき漁師が息子を引き起こす。
急いでこの海域を出ようと船を漕ぐと、嵐に追い付かれる前に脱出することが出来た。
海域の中心に見える小さな岩島に、小さな人影を見た気がする。
「あの辺りは18年前、オベロン社の工場があった島だったらしい。
だが例の騒乱で崩壊しちまって、今じゃあの通り、残骸の岩が少し頭を出してるだけだ。
その影響でかこの辺りはやたら複雑な海流で、しかも天気が悪くない日なんて一日たりともなくなっちまった」
「え? 親父、その島ってまさか……」
自らの生まれた街の港に戻る道すがら、漁師は息子に教えた。
「あぁ。 あの【裏切り者】リオン・マグナスが、四英雄と戦って死んだ場所だ」
海 の 魔 女
満月が天高く輝く夜。
その明るさにも関わらず、水深数メートルより深い海中は深淵の闇さながらで。
まして海底ともなれば、たとえ陽の光ですら届かない。
そんな右も左もわからない世界に『彼』はいた。
岩に閉ざされ、水が満ちた空間にただ一人…
もはや金属の塊となった愛剣を抱き締めてうずくまっていた。
「僕は馬鹿だ…そう沈んでから気付いた……。
私は馬鹿だ…そう沈んでから気付いた…私は
僕は…ただ、父に認められたかった……。
唯…歌いたかった
ただ、彼女と一緒にいたかった。
唯…この歌を聴いて欲しかった
ただ…それだけだったのに……」
唯…それだけだった…
長めの前髪が海水に玩ばれ、軽く浮き上がる。
それでも、俯いている彼の表情は窺い知ることは出来ない。
かつて少年は、地上では知らない者はいないほどの天才剣士だった。
それが別の事で知らない者がいなくなったのは、まさに悲劇としか言いようがない。
「……地上はまだ暗いのだろうか? それとも、もう明るさを取り戻しているのだろうか。
蒼い波の雫 照らす…月は冷たく
こんな昏く冷たい海の底では、時間の経過すらわからない………」
大きな岩場の陰(shade) 庭舞台(terrace)…夜は冷たく
ボコ……
足元の岩場から、大きめの水泡が浮かび上がる。
その泡は少年の頬を掠め、頭上の岩場…その隙間から細かく砕けて海面へと昇っていった。
その泡の行方を追うかのように、少年も顔を上げる。
小さくなった空気の塊が消えていった、その向こう側を見ようとするかのように、光の宿らない目を細めて見つめた。
「…別に空が嫌いなわけじゃないのに、むしろ憧れさえ抱いているのに、口をつくのは、空を呪う言葉ばかり……。
聴いて…嫌や…聴かないで 空を呪う歌声
そして僕は、自分の声が何を招くのかを知っている」
恨み唄…いや…憾み唄 海を渡る歌声
愛剣は沈黙して久しく、彼はもう、その声を思い出すことは出来ない。
鈍く光るそれが壊れたような形跡は見当たらない。
ということは…少年が、剣の声を聞くための素質を失ってしまったということなのだろうか。
「思えば…あの頃が一番充実した時間だったんだろうな。
楽しい時は笑うことが出来たし、悲しい時も雨に紛れて泣くことが出来た。
楽しければ笑い 悲しければ泣けば良いでしょう
でも…今の僕には、そんなことはしたくても出来なくなっている」
けれど今の私には そんなことさえ赦されぬ
少年は自分の手を見つめた。
桜貝のように整っていた爪は割れ、女性が羨むほどに美しかった手も海水にむくみ、今や見るも無惨な姿となっている。
「僕はもう人間ではない…。
私はもう人間(ひと)ではない
18年前は命令を聞くしか出来ない人形に、剣を振るうしか出来ない生ける屍に。
歌うことしか出来ぬ
そして今は…こんな悍ましい化け物へと変わり果ててしまった……」
悍ましい化け物へと変わり果てていた…
少年の長い前髪が海流に巻き上げられ、その顔があらわになる。
その体は溺死体の例に漏れず酷く傷付き、表皮のあちこちが捲くれたり、肉が削ぎ落とされていた。
血液はすべて流れ出て、変わりに冷たい海水が体内を廻っている。
紫色だった瞳に光はなく、焦点の合わないボンヤリとした闇があるだけだった。
彼が死んでから18年。 気がつけばこんな、死んでいるでも生きているでもない…海に嵐を呼ぶ存在となっていた。
何故こんなことになったのか…理由はまったくの不明。
もし“神”という存在がいて、あまりに不幸だった彼の人生と死に憐れみを感じた結果だと言うのなら。
それこそ、要らぬお節介。
そして…今日もあの海域は嵐に荒れる……。
生きることは罪なのだろうか… 望むことは罪なのだろうか…
生きることは罪なのだろうか… 望むことは罪なのだろうか…
歴史よ 貴方の両腕が抱いた彼らは言うだろう
歴史よ…アナタの腕に抱かれた彼女達は言うだろう
「貴方の愛はいらない 僕はそんな物を愛とは呼ばない」と
「アナタの愛は要らない… 私はそんなモノを愛とは呼ばない」と…
嵐を導く哀しい声は… 歴史を導く白鴉の途を遮るかのように……
嵐を導く哀しい歌声は 白鴉の途を遮るかのように…
…無理はするものじゃないですね;
かなり中途半端で、訳の分からないものになってしまいました。
「沈んだ歌姫」がまだ完成度が高かった分、なんか凹みます(笑)。