かつて 確かに存在した時代――










後の世に 楽園と謳われる詩情溢れるアルカディアの山々

暮れ泥み秋の日の憧憬――





其れは…未だ世界の悪意を識らぬ幼子の戯れ…





――そして…季節は廻り…

運命の歯車は再び…静かに廻り始める……







(神々よ 美しい景色はただ二人だけのために)









「まってよミーシャ〜」

「こっちこっち〜〜!」


暖かい木漏れ日射す森の奥…白い光と緑の温もりき包まれ、その幼い声がした。

夜空の星を映したような、肩で切り揃えられた銀の髪の二人。


あどけないその顔はまったく同じ造形をしており、二人を見分ける手段は服装と、

この年頃ではまだ微々たるものでしかない、男女の体つきの差しかなかった。


「はやくはやく〜」

「え〜、まってってば〜」


下草を踏み分け、辿り着いたのは小さな湖。

姉か妹か…少女は水面に映り込んだ真昼の月に手を伸ばす。


「あっ、あぶないよ〜」

「へーきへーき」


少女はもう体を半分、湖の方へと乗り出していた。


「おつきさまなんて、とれるわけないよ」

「とれるもん! セフィのバカ!」

「ぼくなら、とりさんのほうがいいなぁ」


いつまでも、どこまでも飛んでいける。

そう信じていた少年…兄か弟かは、少女に水をかけたりしてじゃれついた。


穏やかな時間を、いつものように二人で過ごす。

それが彼らの日課だった。


「ずっといっしょにいようね」

「うん! セフィもはなれないでね」

「もちろん!」


鳥や月に憧れていると言っても、別にどこか遠くへ行きたいわけではない。


優しい父と美しい母。

そして何より、生まれた時から片時も離れたことがない魂の片割れさえいれば、もう他には何も望まない。


家族四人の、優しい時間がずっと続いていくものだと信じていた。


気付けば空は朱に染まり、風に乗って食欲をそそるいい匂いがしてきた。

方角からして自分達の家からだろう。 母が夕食の準備をしているに違いない。


「そろそろかえろ! ミーシャ」

「うん! ねぇ、おいかけっこしよう。 さきにウチについたほうのかち!」

「よ〜し!」


パタパタと二重の足音が駆けていく。

草に足を取られながら、二人は家路を競った。








忍び寄る狡猾な蠍の影……









「……遅い」

「そんなに心配なさらなくても、すぐに帰ってきますよ」


今にも子供達を探しに行きそうな夫をなだめながら、彼女は夕食の準備を進める。

いくら人が踏み入ることのない山奥とはいえ、自分達家族にとっては庭も同然。


通常なら迷ってしまうであろう獣道も苦ではない。

それは子供達とて同じだ。


「…それもそうか」


妻に言われてようやく扉から離れた。

気揉みをせずに待とうと、彼が食卓の椅子に座った途端。






バタンッ






「探したぞ…ウォーリア・オブ・ライト」

「マティウス殿下!?」


蹴破られるかのように勢いよく開かれた扉。

その向こうにいたのは子供達ではなく、アルカディア国軍の兵数人。


それを率いる全身金色の男は、かつて仕えた王の血の者だった。


王の子としては長子でありながら、側室の子であったため、

数年遅れて正妃から生まれた弟に、王位継承権を奪われた人物である。


「“アルカディアの双壁”と謳われた勇者が、こんな山奥で隠遁生活とは……。

貴様、何故剣を捨てた?」

「……野心家の貴方にお話ししたところで、ご理解頂けないでしょうな」


まさに一触即発の空気。

殺気に満ち、下手に動けば最期という状況。


それを破ったのは、小さな二つの銀の光。


「「ただいまおとうさん!」」


飛び込んできた子供達を、マティウスは目を細めながら笑う。


「ほほぅ……捕らえろ!」

「セーラ! 子供達を連れて逃げなさい!」

「セフィ、ミーシャ、こっちへ……っ」


マティウスの兵が動く前に、二人は母の背に庇われる。

ウォーリアに再び向き直ると、マティウスは尊大に言い放った。


まるで、『逃げられはしないのだ』と言わんばかりに。


「ラコニア軍は既に掌握した。 ウォーリアよ、私の下で働け」

「断る、と申し上げたら?」

「ならば冥府の王にでも仕えるがいい」


剣の打ち合わさる音。 何かが倒れるような振動。

戦場と化した家から母と一緒に逃げ出した途端、後頭部に走った強い衝撃。


「逃げ惑え」

「光よ!」


薄れゆく意識の中で、二人の幼子は父の最後の声を聞いた。












廻り始めた歯車は誰にも止められない……





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