Zorn
「参詣の途絶えた教会。 旅歩きのヴァイオリン弾き。
御像となった磔刑の【聖女】。
君は何故、この境界を越えてしまったのか。
さぁ、唄ってごらん…」
――運命の時が来て、約束を果たす時が来る……
「兄さん…父さんが待っています……」
一歩一歩、鉛のように重たい足取り。
それを進めるのは、唯、胸に秘めた決意のみ。
弟が俺を呼びに来た時点でわかっていた。 いつもの例の話だろうと。
…そして、これが親父からの最終通告だろうとも。
幼いあの日から、両親や執事が持ってくる養子縁組の話を蹴り続け、適齢期になってからは婿養子の縁談を無視し続けた。
街から出られず、夢だった騎士にもなれず…親父達から見たら、俺はどんな人間なんだろう。
ふと、背後に何か見知ったような気配を感じて振り返る。
まさかと思ったけれど、案の定そこには誰もいない。
宵闇の、独特な静けさが不思議と懐かしくて。
俺の進む道を、背中を押してくれる。 そんな気さえした。
未だ、アイツが死んだなんて信じられない。
……否、頭ではわかっているのに、心が信じることを拒否しているのかもしれない。
どちらにせよ同じこと。
俺は、何を引き替えにしてでも、アイツとの約束を守るつもりだ。
それでも、今日でそんな日々も終わりになるだろう。
そう思うと、哀しみが押し寄せてくる。
例えアイツが生きていたのだとしても、幼い頃の些細な約束など、忘れてしまっているかもしれない。
――何だ? 僕は彼を知っている?
こんな決定をした父を憎く思う。
その一方で、俺の我が儘をここまで黙認してくれた事も嬉しい。
こんな、歪な時を刻む俺を今まで育ててくれた恩もあるのだから。
――赤茶の髪…どこか懐かしい。
両親の気持ちもわかる。 でも、俺はアイツを
――何なんだ、彼の事を
忘れられない。
憶い出せない。
「父さん、兄さんを呼んで来ました」
「ああ。 …アスベル喜べ、お前の結婚相手が決まったぞ。
婿養子を申し出てきたのは、ストラタの実業家の方だ。
お前には勿体無いくらいのお嬢さんだぞ」
「悪いけど親父」
「反論は認めんぞ」
「いいや言わせてもらう。 俺は、何があってもラントを離れるつもりはない!」
俺がここを離れたら、もしアイツが来たとき、誰も待つ人がいなくなってしまう。
約束を破るなど、仮にも騎士を志した者として…人として恥ずべき行為だ。
それならむしろ、すべての真実を胸に死ぬことも厭わない。
あの時、二人で見つけた野咲きのクロソフィの花。
あれがお前を包む事を願って、自戒として作った、仮初の墓標の周りに植えたけれど…。
結局…最後の最後まで、咲くことはなかったな。
月光に、自由に焦がれた鳥籠の白い鳥は、 地に墜ちると分かっていても、最後まで足掻いて羽ばたくものなんだ。 |
「兄と跡目を争い、息子達はそんな事にならないよう配慮した、結果がこれか。
ククク…ハハハハハ!」
だからこそ宵闇に唄うのは憾みの唄じゃないよ。
「この馬鹿息子を磔刑にしろ」
「父さん!?」
「成程、それで君は磔刑にされたわけだね?
一途な想いを貫くのも結構だが、果たして彼は、君の死と引き換えてまで、本当にそれを望むのかな?
まあいい。 さぁ、復讐劇を始めようか」
「…いいや。 俺は、そんなことを望んでなんかいないさ」
御像の後ろから、白い影が進み出る。
赤茶の髪…間違いなく磔刑にされた彼だった。
「人にはそれぞれ、背負うべき立場と運命がある。
お前が会いに来てくれた、俺にはそれで充分。
…なぁ、本当に憶えていないのか? 今尚、眩いあの日々さえも……」
静まり返った教会の中に、ヴァイオリンの音色が流れ出す。
声変わりで低くはなっているが、それでも聞き憶えのある声。
ふと、今まで忘れていた幼き日々の記憶が甦る。
「それより今、すごくワクワクしているんだ。
森は、世界はこんなに広く美しいんだって!」
「すげぇ、綺麗な花畑」
「何本か持って帰ろうか」
「だな! 根ごと掘って、屋敷の花壇に植えよう」
「リチャード、絶対…絶対また遊びに来いよな!」
「ああ…約束さ」
そうだ、憶い出した。 彼は――
「リチャード…そんなになってまで、約束を守ってくれたんだな」
カラン、と、なにか音がした。 御像の足下から靴が落ちたらしい。
その場にいた人間達が何か騒いでいるが、そんな事はどうでもいい。
今は、こんな形になってしまったが、再会を喜び合う方が大事だ。
「優しかったお前が、屍揮者なんかになってしまったのも、
きっと…俺達のせいなんだろうな」
俺も、憶い出したんだ、お前の母さんのこと。
俺を生き返らせてくれた賢女様のこと。
あの人も、最後までお前の身を案じていた。
でも俺達の愛情なんて、お前を地に…復讐に縛り付ける鎖でしかなかった。
鳥は空へ、屍体は土へ還ろう。
今の俺達は摂理に反してしまっているから。
それももう終わり。 優しく懐かしい夜は明けて、新しい未知の朝が来る。
そうなれば、永遠の別れも訪れるとわかっているけれど。
――でも、後悔なんかしていない。
/これこそが俺の選んだ道、俺の人生だったんだから。
【地方領主の息子】でも、【王国騎士志願者】でもない。
俺はただ一人の人間の【Asbel・Lhant】。
ただお前の身を案じ、待ち続けた――、
ただの、【Asbel】だ。
光の粒子が降り注ぎ、教会の中が明るくなる。
気がついた時、もう彼の姿はなくなっていた――。
『何だリチャード、さっきから様子がおかしいが、どうしたのだ?
あんな男の言うことなど真に受けるな、もう忘れろ。
復讐は続けなければならない、例え何があったとしても。
それが我等の存在理由だろう?。
おい、本当に理解っているのか? リチャード…』
「……」
『……〜〜っ、ぁあああ! もう! どうして理解しないのだ、この頑固者が!
今はもう、我だけがお前の理解者であり友人なのだぞ!?
これまで楽しくやってきただろう!?
二人で様々な復讐を手伝ってきたではないか!
これからもきっと楽しいぞ。 そうだ、そうに決まっている。
お前には我が、我にはお前がいるのだから!
このまま続けよう! ずっと二人で続けようではないか!
なぁ!!
ずっと、ずっとずっとずっと続けよう!
この世界が終わるまで、いいや、このエフィネアだけでなく、フォドラまでもが滅んだとしても、ずっと一緒に居よう!?
なぁ、嫌だ、やめろリチャード、全てを赦すのはやめろ、やめてくれぇえ!!
頼む、頼むから、リチャード……
やめろぉおおおお!!!』
振り返らなかったため、何が起きたのかはわからない。
何かが裂けるような、鋭い轟音が背後に響く。
辺りが元の静寂に戻ってから漸く振り返れば、そこには一体の人形が落ちていた。
もう自分で歩くこともなければ、喋ることもない。
焼け焦げ、あちこちが綻び壊れた、ただの…古い人形。
その人形をそっと抱き上げ、熱で焼け縮れた緑の髪を梳く。
「もう、いいんだよ。 ラムダ……」
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