Hochmut
「呪いと祝いの境界。 【乙女】が堕ちた闇。
深い微睡みの中。
薔薇の塔、眠る【姫君】。 君は何故、此の境界を越えてしまったのか。
さぁ、唄ってごらん…」
深く沈んだ意識の水底から浮上する一瞬。
その刹那、目は閉じたままでも月日の移り変わりを知ることがある。
ここには他に誰もいなくて、喩えようのない孤独に、自分はこのまま――眠ったまま死ぬんだろうと漠然と思った。
耳について離れない言葉。 【七の罪科】。
俺がこうして、柄にもなく野ばらなんかに抱かれて眠る。
その理由は――。
キムラスカ王国では今、切実な問題に直面していた。
国の世継ぎがなかなか生まれない、といった問題に。
王妃は女児を産んですぐに他界したため、継承権は王の妹である公爵夫人の子に移ったわけだが。
公爵夫妻にも中々子に恵まれず、一度預言者に見てもらうことにしたらしい。
「ご安心下さい。 お望みの御子は一年と経たない内にお生まれになります」
後に使用人から聞いた話、その預言者はどことなくカエルに似ていたらしい。
……どうでもいいか。
その預言は実際のものとなり、しかも男児の双子だった。
国と家の世継ぎが同時に生まれたと、父上は大喜びしたらしい。
だから俺と兄貴の誕生祝いに、世界中の要人を招いてパーティーを開いたのだが。
…このパーティーが全ての始まり。 手配した料理とか何やらの数が一人分足りなかったのが、原因だった。
そう、俺が【外】に友達も出来ないまま死に、野ばらに抱かれて眠る理由は――。
二十年前。
「ファブレ公爵、この度はおめでとうございます」
「おぉ、よくぞ参った。 生憎兄のアッシュは風邪で出て来れぬが、弟の方だけでも顔を見てゆくがいい」
「おめでとうございます。 成長した際にはキムラスカ王室より、帝王学の権威を教師につけましょう」
「ではマルクトからは軍事関係を」
「ではダアトからは譜術を」
「ではユリアシティは――」
「おや、これはこれは皆さんお揃いで」
和気藹々とした雰囲気を咲くようにして現れた男。
招待されなかった為、本来ならこの場にいるはずのない人物。
「大詠師!?」
「今宵も皆さんご機嫌麗しいようで、結構なことです。
はっはっは。
――全く、いい面の皮だな!」
「何ですと!?」
ユリアシティ代表を押し退けて父上の前に立ったソイツは、怒りのあまり顔の形が凄まじく歪んでいた。
「オールドラント中の名だたる名士を全て招いておきながら、ダアトでも有数の地位にいる私だけを招かないとは…公爵閣下の傲慢さ、非常に不愉快です。
私からはこの祝いの宴席に、呪いの預言を余興としてご子息にお贈りしましょう!」
『ご子息が抱く運命、即ち――余命17年!
鉱山の町にてその存在は災いとなり、町ごと滅び死ぬがいい!』
「大詠師、立場を弁えない不吉な預言。 それを詠むことは僕が許しません」
「導師!?」
『確かに災いは降りますが、町も滅びなければ彼も死にはしません。
そうと見せかけ、ただ長らく眠るだけです』
まだ年端もいかないだろう少年が、男の預言を否定する。
年若くとも仮にもダアト1の実力を持つ少年に対しては、男もさすがに口調を正した。
「導師様といえどまだお若い。 私の力を破れますかな?
今から17年後が楽しみです。 はっはっは」
「…申し訳ありません、公爵。 大詠師は預言を詠む力を持っていませんが、恨みの念がそれに代わったようです。
町とご子息の命を守るのが精一杯で、呪い自体を破れませんでした……」
俺が双子だと知らなかったのか、それとも、さすがに国の世継ぎまでは呪えなかったのか。
どちらかはわからないが、当時寝込んでパーティーに出ていなかった兄貴は呪いを免れた。
それでも預言は周囲を蝕み、母上はついに心労で倒れた。
人の心情などお構い無しに、月日はどんどん過ぎていく。
17歳の誕生日の朝を迎えた俺が、野ばらに抱かれて眠る理由は――。
幼馴染みの王女の機転(という名のゴリ押し)により、自然災害に見舞われた町の視察に来た俺。
一緒に来た救援隊と別れ、一人被災地の深部へと向かう。
…何となく、そうした方がいいような気がしたからだ。
そうして辿り着いた地下空間では、老人が一人扉を見つめていた。
「おい爺さん、何やってんだ危ないぞ」
「おや、救援隊の方ですかな? いえね、奥にこの災害を退ける方法があるのですが、扉が開かなくて…」
「へー、ちょっと貸してみろよ。 って、なんだすぐ開くじゃねぇか。
しかも変な柱があるだけだし……っ!?」
扉を開けた場所広がる不思議な空間。
そこにある柱に手を翳した瞬間、体に雷が墜ちたような衝撃が走り。
俺の意識は急激に遠ざかっていった。
そこから先の記憶は酷く客観的なものだった。
時折意識がギリギリまで浮上しても、金縛りにあったみたいに体が動かない。
そんな感覚で。
それによると、どういった経緯でか俺がバチカルの城に運び込まれると、
王都中の命あるものすべてが深い眠りについてしまったらしい。
王族も、一般の民間人も、動植物もすべて。
急速に成長し始めた野ばらの蔦以外は……。
「成程、其れで君は、野ばらに抱かれたわけだね。
目覚めへと至る、口付けが欲しいのかい?
だが、残念ながら僕は君の【王子様】じゃない。
さあ…もう暫し、運命の相手は夢の世界で待つものさ…」
「はぁ…俺の理想の花嫁は、何処にいるんだろう」
ダアトからマルクトへと向かう船上で、彼は深々と溜め息をついた。
「なぁに、またお見合い失敗したの?」
「いやはや、仮にも伯爵家の嫡男がなんて様ですか。
まぁお見合いなどするより先に、その女性恐怖症を治すべきですよね〜」
「大佐。 女性恐怖症がなくなっちゃったら、アイツの個性がなくなっちゃいますよ〜v」
「おや、これは失礼☆」
「…聞こえてるぞ〜」
先ほどよりも重い溜め息が出た。
伯爵家の嫡男、しかも家の事情で実質すでに家督を継いでいるも同然の彼だが、重大な問題を抱えていた。
即ち、「早く結婚して跡継ぎを」との一族からの声である。
本人は「女性は大好きだ!」と豪語しているにも関わらず、体質のせいで女性の手を握ることすら不可能。
ちなみに、「まだ若いから結婚は少し早いよななぁ…」なんて考えていることは秘密である。
とにかく、今はユリアシティ市長の孫娘とのお見合いに失敗し、通算28敗目の帰路についているところだった。
「オールドラント中を回ったけど、やっぱりもう無理なのかねぇ…」
「ん〜、そうでもないんじゃない?」
「え?」
しばらく前から供の軍人を狙ってダアトからついてきたちゃっかり者の少女。
「将来の夢は玉の輿です!」な彼女の話に、すぐに食いついた。
「ほら、キムラスカはまだ行ってないんでしょ?」
「でもあの国は今……」
「知ってるよ、『眠りの呪いの国』。 だからチャンスなんじゃない」
「どういうことだ?」
「あ〜成程、貴方はこんな話を知っていますか?」
〜 野ばらの生垣に 抱かれた白亜の城
空を望む薔薇の塔 眠る美しい【姫君】
〜
軍人が言ったのは、例の国に纏わるお伽噺。
正直三年前から『呪いの国』として鎖国しているキムラスカだ、胡散臭くていまいち信憑性がない。
しかし。
「…確かに、あの噂は興味深いな」
「おや、案外乗り気ですね。
もし本当にその姫君がいるなら、マルクトへ連れ帰り既成事実を作るもよし。
いなくても、『呪いの国』へ行ったという武勇伝があれば、女性の方から寄ってきますよ」
「決まり! じゃあバチカル目指してレッツゴー☆」
上陸すると、昼間だというのに薄暗い。 街全体を覆う霧と野ばらが日光を遮っているからだ。
山のような形をしているバチカルで、城は頂上にある。
すぐには辿り着けそうにない。
と思っていた矢先に。
「おや?」
「はぅわ! 何コレ!?」
一行が街に入った途端、霧は薄れ日光が射し始めた。
視界は一気に広くなり、行動するには充分だ。
「二人はここで待っていてくれ。 夕方までに戻って来なければ、先に帰ってくれて構わない」
「…気をつけて下さい」
頂上に向かうほど霧は晴れていき、行く手を遮っていた荊は、人一人通れるだけの余地を残して枯れた。
まるで彼を案内するかのように。
「ここが、バチカル城」
城門も簡単に開き、彼は一番高い塔を目指して進む。
位置からして不思議なほど屋内に日射しはまったく入らず、手探りで向かう。
石壁の部屋を駆け抜け、狭い螺旋型の階段を駆け上がると――。 塔の頂上の部屋の中で、薔薇のように朱い髪の【乙女】が独り、横臥っていた……。 |
「本当にいたんだ、【野ばら姫】」
「さぁ【姫】、心の準備は宜しいかな?」
「いただきますっ!」
「復讐劇の始まりだ…」
予定調和な伯爵の接吻で彼が目覚めると、
「な、何いきなり!?」
「これは…」
役割を終えた野ばらは、立ち所に立ちかれて朽ち果て、
「おや、マルクトの方かい。 珍しいねぇ」
「ちょっと聞いてよ! 近頃なかなか眠れなくてさぁ!」
長過ぎる午睡を貪っていた王都の愉快な面々も、
「公爵、白光騎士団揃いました!」
「さぁ観念なさい鶏肉ちゃん!」
何事も無かったように、彼等の愉快な日常を再開した。
呪いが解けたとの報せを聞いて駆けつけた大詠師を、俺は兄貴と、
そして呪いを解いてくれた伯爵と並んで、城の謁見の間で迎えた。
奴の信じられないものを見るような驚いた顔に、自然と口許が歪んでくる。
【七の罪科】だと? 笑わせてくれる。
臣下となるとわかっていても王族。 そんな者を呪うなんて、傲慢なのはテメェの方だ!
「誰か! この馬鹿なオッサンを捕らえろ! もう二度と陽の目をみることは叶わないと思え!」
「くっ…! 次期ファブレ公爵…いやガルディオス伯爵夫人、忘れるな!
置き土産にもうひとつ呪いを贈って差し上げよう!
フハハハ…、アーハッハッハッハ!」
――そして彼は、後継ぎの養女を森に捨てることとなる……。
『あれは転んでもただじゃ起きない奴だな。
ククククッ!』
「力ある者の矜持を傷付けると、恐ろしいことになるんだね」
『フン、当然だ。 アハハハ!』
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