Trgheit
「おや、君も落ちてしまったのかい?
初対面の筈だが、この奇妙な親近感は一体、何処からやってくるのだろうね…。
まぁいい。 君は何故、生と死を別つこの境界を越えてしまったのか。
さぁ、唄ってごらん…」
太陽が昇って、また新しい1日が始まる。 そして俺の仕事も、太陽が昇ると同時に始まる。
1日が始まった瞬間から、俺はもう汗塗れだ。
施設全体の炊事、洗濯、掃除、その他様々な雑用……全部俺の仕事だ。
施設長…というか、この施設を造るって企画したオッサンまた意地汚くて、俺を見る度に口汚く罵ってくる。
曰く、
「村長に言ってもいいのですよ? 村から追い出されたいのですか、この愚図!」
…もう言われ慣れ過ぎて、脅しにも何もなりやしない。
ここはイセリア近くにある人間牧場。
元々こんなところでなんか働きたくなかったけど、仕方ない。
幼馴染みがここの人に目を付けられてしまって、助けるための交換条件だった。
うちの村の村長は施設寄りの態度だったから、下手したらアイツは村を追い出されちまう。
何よりもう一人の幼馴染みが神子である手前、コイツらが村に手出しするのを防がないといけなかった。
以来俺は、ここに住み込みで働いている。
太陽が沈んだ夕方、俺はすでに塵塗れ。
本来ならこの時間からの炊事、洗濯、掃除、その他様々な雑用は、別の奴が担当なんだけど……。
「何サボってるんだ。 言いつけられたいのか、この愚図!」
…本来の担当である職員が、俺に洗濯物を投げつけて来る。
コイツは例のオッサンのお気に入りで、俺に仕事を押し付けてばかりいた。
コイツ自身の仕事はどうしているのか、正直気になる。
「おや、こんなところにいたのですか。
ちょうどいい、そこの井戸の辺りで、糸紡ぎでもしてもらいましょうか」
「え?」
「今いつも使っている裁縫糸を切らしていましてね。
業者もしばらく来ませんし。
ドワーフに育てられたなら、それぐらい簡単でしょう」
「……」
コイツらはたまに、こうして俺にあの井戸の側で仕事をさせようとする。
わかりやすい嫌がらせだ。
俺の両親は施設の関係者だったらしい。
でも、母さんがここの中庭にある井戸に落ちて死に、それが原因で父さんもここを去ったのだと聞いた。
だから俺は、あまりここの井戸が好きではない。
でもコイツらはそんなことお構い無しに、むしろ面白がっていた。
「寒…」
季節はもう冬。 今にも雪が降りそうな天気の中、俺は糸を取っていた。
いくらドワーフ仕込みの器用さがあっても、こうも寒くては指先も悴んで動かない。
「っ、やば!」
油断した。
悴んだ指先が切れて、糸巻きに血がついつしまった。
これではまた、あのオッサン達に何を言われるかわかったものじゃない。
俺は洗い流そうと、糸巻きを片手に井戸を覗き込んだ。
「冷たっ、…あ!」
水の冷たさに驚いた俺は、うっかり手を滑らせてしまった。
当然、持っていた糸巻きは井戸の底へ……。
「やべぇ、どーすっかなぁ…」
こうなってしまった以上仕方ない。 正直に言って、新しい材料を貰ってやり直した方がいい。
……そう思ったのが、間違いだった。
「糸巻きを落としたですって!?
この愚図! 材料はあれしかないのです、潜ってでも取って来なさい!
でないと、村がどうなっても知りませんよ!」
再び井戸の淵に立った俺の背後に、宵闇が迫っていた。
「どうしよう! 母さん…最悪、そっちに逝きます!
セイッ!」
「成程。 君も中々、健やかに悲惨な子だね。
復讐に迷いが在るのなら、時間をあげよう。
この境界の古井戸の中で、もう暫し、憾みについて考えてみるといい」
気がつくと、そこには見渡す限りの綺麗な草原。 花は咲き乱れ、今までいた大地が見劣りするほどだ。 異土へと続く井戸の中で衝動を抱いた人に出会った。 彼は【屍揮者】――その指揮で今までに積もり積もった想いを唄った。 俺は―― 死んだのか、ここはいわゆる天国なのか、それとも全部ただの気の【ceui】なのか。 わからない。 でもきっと大丈夫! 俺は頑張るよ母さん、いつもどんな時だって! |
無人の民家にて。
『困っちゃった! 私を引っ張り出してぇ、引っ張り出してぇ。
もうとっくの昔に焼けてるんだよぅ!』
「マジで!?」
民家の庭にて。
『困っちゃった! 僕を揺すぶってぇ、揺すぶってぇ。
もうみんな熟し切ってるんだよぅ!』
「スゲー!」
竈から声がすると思ったらパンが喋っていて、その願いを聞いて、シャベルで全部掻き出してやった。
また庭に生えてる林檎の木も喋っていて、揺らしてやれば実は全部落ちてきて、傷つかない内に崩れないよう積み上げてやった。
みんな、牧場で働いていたよりもずっと楽で簡単な仕事だ。
「よし! 一丁アガリ!」
作業を全部やり遂げて、いい仕事した、と額の汗を拭う。
「…元気な良い子だねぇ」
「へ? うわぁ!?」
急に声がして、びっくりして飛び上がってしまった。
慌てて振り返れば、見たことのない女の人が立っていた。
「うふふ、そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「え、と…もしかして、教会の話によく出てくる、【女神】のマーテル様?」
「……どんな話になっているのかしら、呼び捨てで構わないわよ」
彼女は肩書きのわりには気のいい女性で、俺は色々なことを教えてもらった。
特に、教会と施設の繋がりについて……。
「形あるモノはいつか必ず崩れるし、命あるモノもいずれ死を迎えるからね。
それが世界の摂理だから、私は彼らのしていることを止めたいんだけど……。
ねぇ、貴方の幼馴染みって神子だったわよね?」
「ああ、そうだけど?」
「私のお願いを聞いてくれない? そうしたら、元の世界へ帰してあげる」
「本当か!? 俺、頑張るよ!」
彼女が準備を終えるまで、俺は彼女の元で働くことになった。
一番の仕事は、羽布団を干すこと。
何故だか理屈は知らないけれど、この飛び散った羽が、地上では雪に変わるらしい。
だから注意しないと、力加減を間違えたら吹雪になってしまう。
……でも、ちょっと楽しい。
「雪を降らせる仕事かぁ〜。 何か、俺が冬を呼んでるみてぇ!
…て、アイタ!」
「こ〜ら、手を抜いてるんじゃないの」
何日かが過ぎて、俺は彼女に呼ばれた。
俺が初めてこの世界についた時にいた、あの綺麗な草原。
そこには、来た時にはなかった大きな扉があった。
「待たせたわね、しかもうちの家事とかも手伝ってくれちゃったし。
だからちょっとオマケしておくわね。 それ!」
俺が扉を開けた瞬間、空から黄金が雨のように降ってきて、170cmある俺の全身をあっという間に覆い尽くした!
「それは君の働きに対する報酬だ。 まぁ、遠慮なく貰っておき給え。
もっとも、君の勤務態度が不真面目だった場合、別のものが降ってきていたかもしれないがね…」
ある職員が、井戸の傍に倒れている俺を見つけて驚いた。
「な、何て格好してんだお前!? おーい皆!
アイツが黄金塗れでいるぞ!
…あとでちょっと分けてくれよな!」
それからはもう施設中が大騒ぎだった。
俺が持ち帰った黄金が免罪符になり、晴れてお役御免。
炊事も洗濯もその他様々な雑用も全部、もうやらなくてよくなった!
経緯を知ったオッサンが、あの部下に何か言っている。
「貴方も行っておいでなさい。 あの愚図よりもたくさんの黄金を期待していますよ」
「はい、努力します…」
あまり気の進まないらしい足取りで井戸を目指す背中。
普段俺に仕事を押し付けていたお前が「やれる」と言うなら――まぁ頑張って来いよ!
「さぁ、復讐劇の始まりだ…」
「な、何て格好してんだお前!? おーい皆!
アイツが瀝青塗れでいるぞ!
…きったねーな、近寄るなよ!」
太陽が昇り戻ってきたアイツは、全身が悪臭漂う瀝青塗れでいた。
案の定、予想通り。 いくら彼女が温厚だからといっても限度がある。
女神が相手ではどんなに取り繕ったとしても、普段の怠惰な態度が誤魔化し切れるわけがない。
――これに懲りて、これからは必死に頑張ってみなよ。
「も、申し訳ありません〜〜!」
「そんなことより早く浴室へ!」
「それが、払っても払っても取れないんです〜!」
「取る必要なんてないじゃん、よく似合ってるぜ☆」
「何故私の部下がこんな目に!?」
「ど、どうしましょ〜!?」
「あはははは!」
そして今宵小さな運び手により、【黒き死】がやって来る――。
「今回は随分と可愛い復讐だったね」
『いや、一生瀝青塗れなど、気位の高い者にとっては死ぬより辛い罰だろうよ。
アハハハ!』
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