「…何故です。
何故私ではなく、あんな子供を選ぶのです!?」
「その話は終わったはずだ」
暗い室内には二人の男。
一人は長く病床についている王、一人はその弟。
「直系にのみ継承権が認められるのは知っています。
しかしあれはまだ幼すぎる、とても政治をさせるには……」
「くどいぞ。 そのことは心配いらぬと言ったはずだ」
「…そんなにあの女がいいのですか。 それとも、貴方とは母が違うから……」
「くどいと言っている!」
そして無情にも、扉はかたく閉ざされた。
「…Seldic、貴方の気持ちは、痛いほどわかります。
それでも私は…貴方を、許さない……」
陽の光もあまり通らない深い森。 そこに一組の母子がいた。
近くに疫病で全滅した村があるこの森に、近づく者など誰もいない。
そんな森に、幼い我が子を連れてわざわざ移り住んだ女性こそ、先の王妃その人である。
夫であった王が崩御して数年。
その弟であった彼は強引に王座についた。
王子であるリチャードが成人するまでと大臣達には言っていたが、彼女には到底信じられなかった。
あの野心家な義弟のことだ、我が子が成人しても王座を渡さないだろう。
……いや、幼い今の内に、リチャードを消そうとするかもしれない。
この子を守るためには逃げるしかない。
そう考えた彼女は、供も護衛もつけずに城を飛び出した。
別に自分自身の【王妃】という地位に執着はない。
なら王位継承権を返上すればいいのだが、我が子が王座につく夢も捨てられない。
そんな欲望ゆえに我が子を振り回す罪を、どんなに祈っても神は許さないだろう。
むしろこんな祈りなど、神には届かないのかもしれない。
そして彼女はいつの頃からか、【贖罪】として医者の真似事をするようになった。
「はい、次の方どうぞ」
「すまねぇ【賢女】様、立ててた鍬に腕を引っ掻けちまって」
「そんなに深い傷じゃないから大丈夫ですよ。
血止めの薬草をお出ししますね」
「【賢女】様! うちの子の熱が下がらないんです!」
「…肺炎になりかけているかもしれません、解熱剤をお渡しします。
一晩こちらで様子を見て、下がらないなら王都の医者に見て頂きましょう」
「女房が産気づいてるのに、まだ赤ん坊の頭が出て来ないんです〜!」
「奥さんはどこですか? 案内して下さい!」
もとは後宮暮らしで、あまり公には顔を出さなかった。
その為民衆は彼女の顔を知らない。
だからか『薬草に詳しい賢い女』として、近隣に住む人々に大変慕われた。
こんな縁起の悪い、薄気味悪い森に住んでいるというのに、彼女を頼る怪我人や病人は後を絶たない。
夫の為に必死で学んだ医学や薬草学が、今の生活を支えていた。
…しかし、過ぎる評判は災禍を招く。
『森に住む賢い女』の噂はいつしか千里を駆け巡り、皮肉な運命を導くこととなる。
ある月のない夜のこと。
ドンドンドンドン!!
激しく扉を叩く音で目が醒めた。
リチャードも起きたようだが、大丈夫だから、と
改めて寝かしつける。
まだまだ幼い我が子が夢の世界に旅立ったのを確認すると、彼女は深夜の客人の応対に向かう。
こんな時間にやってくるのは、大抵急患か道に迷った旅人である。
今のところ義弟の陰はみえていない。
彼女は、かすかな警戒心と共に扉を開けた。
「夜遅くに申し訳ありません! どうしても…どうしても【賢女】様に診て頂きたくて!」
客人は、青い髪の貴婦人だった。
お忍びで来たのであろう、供は執事らしき老人一人である。
そして患者は、貴婦人に抱かれている幼子だろう。
――しかし、様子がおかしい。
執事はともかくとして、貴婦人も全身黒いドレスを纏っていた。
更に黒いレースで顔を覆っている。
まるで喪服のような……。
そして患者の幼子。
見たところまだ1〜2歳の男の子のようだが、何故か皮膚や衣服に大量の土がこびりついていた。
まるで土に埋まっていたような……。
そして、貴婦人の言葉で合点がいった。
「この子はまだ死んでなんかいません! 私には…私にはわかるのです!
だって、あんなに元気だったのです…。
私は認めませんわ! 将来には強く聡明になるはずの子です。
あの人と私の息子ですもの。
そして立派な領主として、ラントを治めるのですわ!
それなのに…嗚呼、困りましたわ……。
でもそんなことはどうでもよいのです。
生きてさえ…生きてさえ…いれば…」
来訪時より取り乱していた貴婦人は、そこで力なく泣き崩れた。
執事が慰めているが、落ち着く様子はない。
成る程、この女性はラントの領主夫人らしい。
そしてこの子はその嫡男なのだろう。
しかし貴婦人の訴えの後半、それはただの【母親】としてのものだった。
出来ることなら力になってやりたい。
しかし…いくら何でも、死者を蘇生らせるなど……。
「…手は、尽くします……」
そして幼子の遺体を受け止ると、家の奥へと引き返した。
「どうしたら…」
死者を生き返らせるなど、出来るわけがない。
しかしラントは国の要所、跡継ぎがいなくなるのは辛い。
彼女は途方に暮れていた。
『……我の声が聞こえるか』
「! 誰!?」
窓の外から声がした。慌てて覗き込むが、人影はない。
そちらは家の裏手で、例の村の涸れた共同井戸しかなかった。
『我に姿はない…。
女、何か困っているようだが…死者の蘇生か、出来ぬことはない。』
「え…?」
『我が力、我が取り込みし原素の一部を分け与えよう。
気にすることはない、我の気紛れを受けとるといい』
声が消えると井戸の方から小さな光の玉が飛び出し、窓から飛び込んできた。
そして幼子の遺体のへと吸い込まれていく。
そして、
「…ふぇ、うわあぁーーーん!!」
「アスベル!?」
幼子の目が開き、碧い目一杯に涙を浮かべて泣き出した。
その声を聞きつけ、貴婦人が部屋へと駆け込んでくる。
「ありがとう…ありがとうございます!」
涙を浮かべて何度も感謝する貴婦人を見送ると、彼女はもう一度井戸を見た。
そこにはもう、何の気配もなかった。
それから数年。
義弟に居場所が知られ、国中を点々とする日々が始まった。
途中立ち寄ったラントであの時の幼子を見掛けた。
元気そうでホッとしたが、一方でこれでよかったのかと心配にもなった。
そして――。
「【魔女】め! 先王の殺害容疑で貴様を逮捕する!」
「魔女ですって!? それに、何故私が夫を殺さなければならないのです!」
「黙れ! 数年前、貴様が死者を蘇らせたという報告が上がっている。
魔女は有害な異端者だ、そんな者が王妃だったなど、この国の恥でしかない!」
ついに見つかってしまった、この森の隠れ家。
我が子を殺すだけでなく、自らの兄まで侮辱するなど。
義弟に対する怒りと憎しみに支配されたまま、彼女は火刑台へと送られた。
広場には多くの民衆が集まっていた。
中にはかつて、彼女が治療した人々も混ざっている。
「おのれ…私だけでなく、王を…王子をも冒涜するなど……。
そんな暴挙に加担するなど…知らなかったとはいえ、恩を仇で返しおって……」
『信仰には恩寵を、異端には業火を以て報いねばならん!』
磔にされた彼女の前を、白装束の神官が偉そうに演説している。
元々そこまで宗教の力は強くなかった国なのに、そうまでして自分たちを排除したいのか。
「これがこの国の…夫と私が愛した民が選んだ未来だというの…」
様々な法律を整備し、経済的にも外交的にも【賢王】と讃えられた夫。
その讃えた張本人達が今、目の前で、その王を【愚王】と称している。
「権力者に踊らされ、このような裏切りを平然と行う民など、このウィンドル王国の民ではない!」
『さぁ諸君! 魔女に鉄槌を!』
『『『鉄槌をーーー!!』』』
そして、火は放たれた。
「この喜劇を見よ!
かような茶番が通用するのが神の意志だというのなら、私は地獄で、本物の魔女に―――!」
火は瞬く間に燃え上がり、彼女の体をあっという間に包み込んだ。
木の爆ぜる音、空気の燃える音に紛れ、彼女の声はもう聞こえない。
ただ炎の向こう側で、黒い陰が高笑いしているのが見えるだけだった。
――そして、【第七の喜劇】は繰り返され続けるだろう……
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