――そして歴史だけが残った……
ある王国の片隅。 寂れた田舎での一幕。
闇夜の中から聞こえてくる、数人の子供達の声――。
「待ってよヒスイー」
「遅ぇぞシング」
「あいた! いたた…」
「…っと、ごめんなコハク、大丈夫か?」
「あ! 井戸のところに何か落ちてる!」
「…怪我の功名ってこーいうことかな?」
そう言って少女が見つけた、黒い表紙の古書。
この物語はそこに綴られていた、童話に姿を変えた史実である――。
「そこ、足元に気をつけて」
「ああ」
「こんな暗くなっちゃって…怖くないかい?」
「平気だよ! それより、今すごくワクワクしてるんだ」
世界は、森はこんなに広く美しいんだって!
そう語らい、笑い合った少年達は、今――。
見上げれば、青白い満月が滲み揺れている。
揺れているのは自分の視界ではない。
自分の頭上で揺れる水面である。
ほとんど枯れたと言っても過言ではない、とても深い井戸の中。
残る水は僅かでも、横たわれば自分の体は簡単に沈んでしまう。
「…神なんていない。 いたとしても無能だ」
だから信じない。 敬わない。
だって、自分と母をこんな目に合わせたのだから。
「…“彼”はどうしてるかな?」
思い出すのは、初めて自分の友達になってくれた少年の顔。
大きな青い目が特徴的な、可愛らしい男の子だった。
一緒に過ごした日々は束の間で、やむを得ない事情ですぐに別れてしまったけれど。
あの数日間は、短かった生涯で最も輝いていた。
「…………」
『悔しいか?』
ふと、近くで声がした。
この暗い井戸の底には、自分しかいないはずなのに。
「誰だい?」
『自分を、母を、殺した奴等が憎いか?』
「…憎いよ、悔しいに決まってる」
それは紛れもない本心。
だって、自分はまだ13年しか生きていないのだから。
仄暗い宵闇の森。
招かれざる客達はそこにいた。
「おい、こっちでいいのか?」
「俺が知るかよ」
不気味な仮面で顔を隠した男が二人、松明を片手に迷い込んでいた。
…いや、迷い込んではいないのかもしれない。
彼らにははっきりとした【目的】があったのだから。
「あ! おいあれ、例の【魔女】のガキじゃねぇか?」
視線の先には一人の少年。 友達から貰った人形を、大事そうに抱えていた。
「ラッキー! ちょっと坊や!」
闇夜にも目立つ金髪を翻し、少年は振り返る。
あからさまに怪しい男達を見ても、彼は何とも思わない。
母が叔父から自分を守るため、ずっとこの森で暮らしてきた。
世界の作為や世間の悪意などとは、触れ合う機会などまったくなかったのだから。
「我々は【賢女】様にご用があったのですが、この通り迷ってしまって…ヒッヒッヒ」
「わかりました、では僕が母の元へ案内しましょう」
賢女と評判の母に助けを求める人が、こうして森で迷うことは珍しくない。
ましてや今は叔父の悪政のせいで、飢饉と疫病が蔓延しているのだから。
実際この森にある村も疫病にやられ、自分達母子が来た時には墓穴だらけだった。
そして彼は…僕は奴等を、母の元へと……。
「ただいま、母さん!」
「おかえりリチャー…その男は何者…っ!?」
「ご苦労さん、坊…やっ!」
「ぅわぁあああああ!!」
そして自分は、この井戸へと突き落とされた。
あの男達の目的は知らないが、きっと母も無事ではないだろう。
『そうか…ならば、打つ手はある』
「………?」
『何故かこの井戸は強い源素に満ちている。
星の核に近いのかもしれん』
何を言っているのかわからない。
けれど、何故かどうしようもない安心感を持てた。
『我がこうして力を得た術を教えてやる。 さぁ、その身にこの禍々しい源素を吸収するのだ』
ようやく声の主を見つけた。 彼から貰った人形だ。
小さな男の子の姿をした人形は、その目を禍々しい紅に染めて立っていた。
そして僕も、気づけば青年の姿になっていた。
『うまくいったようだな。 さぁ、こんな井戸からはおさらばしようか』
強い力に引き上げられるかのような感覚と同時に、足の下に土の感触がした。
僕は今、あの深い井戸の外にいる。
『知っているか。 寄生虫とは繁殖しすぎて宿主を殺してしまうのだ。
人間と大地も似たような物とは思わんか?』
叔父という寄生虫のせいで、国という宿主は死にかけている。
成る程、言い得て妙だ。
『別にその意味だけではないのだがな。 まぁいい』
そして、人形は歩き出した。
『我が名はラムダだ。 お前は? 相棒』
「リチャードだよ」
きっと僕の口元は妙に歪んでいるだろう。
だって、こんなに愉快なことはないのだから。
そして僕は、月を見上げた。
「墓に呑まれた村……これほど僕の門出に相応しいものはないよ」
第七の墓場…さぁ、復讐劇の始まりだ。
月光の夜に――
羽ばたいて地に墜ちた少年、燃やされて緋を抱いた人形。
一人は恋心を押し殺し、一人は季節を裏切った……。
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