あの人こそ、私の『英雄』なのかしら――
(――彼女こそ 私のエリスなのだろうか……)












   Ark
〜Elysion in Tales of the Abyss〜 LUKE ver.













かつて自分が過ごして来た場所。


八年弱という短過ぎる人生の、ほぼ九割近くを無為に生きてきたあの場所は、まさに『箱庭』という名の檻だった。
「――箱庭を騙る檻の中で 禁断の海馬(きかん)に手を加えて


その中で俺を自分の思い通りに育てて、時には記憶まで弄って。


ついにはこのオールドラントにおける絶対的な存在を、身体の中に取り込んだりして……。
驕れる無能な創造神(かみ)にでも 成った心算なの……」


まったく…カミサマにでも、なったつもりなのか?
(Love wishing to the Ark.)












(崩壊 其れは孕み続けた季節 二月の雪の日 『妹(Soror)』の記憶(ゆめ))


エルドラント最奥部。 ヴァンを撃破し、後はローレライを解放するのみとなっていた。
「我々を楽園へ導ける箱舟は」


崩れゆく大理石の柱。


ヒビの入った床には、すでにローレライの鍵が突き立てられている。
哀れなる魂を大地から解き放つ


そんな状況下の中、ルークは慌てることもなく、悠然と構えていた。


いくら自分の結末を知っているからとは言え、少しは何らかの動きを見せても良さそうなのに…。
救いを求める貴女にArkを与えよう」


…もし今この場に、あるいはこれまでに、仲間の誰かがちゃんと彼のことを見ていれば。


最低でも一人は気付いていただろう。 ルークの様子が、どこかおかしかったことに。
《Arkと呼ばれた物(それ)》は月光を受けて銀色に煌めいた…


血の気を失い横たわるヴァンの屍体に、寄り添うにして座り込む。


実年齢よりも老けて見えるその死に顔に、そっと手をやった。
想い出まで裏切った 冷たい言葉の雨

ルークのその一連の動作はどこか幼さを感じさせ、
幸せだった二人 永遠に届かなくなる前に…

パーティーを率いたあのリーダー然とした様子は、今ではカケラさえ見当たらない。



「師匠…。 俺、さぁ…実はまだ心のどこかで、師匠のこと信じてたんだ。


全部終われば、また前みたいな関係に戻れるって…。」



口元が不気味に歪む。


十七歳の身体に七歳の精神というアンバランスさが、この時になって顕著に表れていた。



周囲には身体年齢に応じてそれ相応に振る舞っていたが、そもそも精神の成長というものは、


たとえそこにどんな環境因子が影響したとしても、そう早く成り立つものではない。



本来ならこの年頃の子供はまだ、『死』という物に対する理解が出来ていない状態である。


環境のために無理矢理釣り合わせていた天秤が、今、そのバランスを崩した…。



「ねぇ…何でこんな事になっちゃったんですか? 俺は師匠のこと、こんなに好きなのに…。


俺のこと要らなくなったって言ってたの……あれ、嘘ですよね…? 嘘だと言って下さいよ…。」
「ねぇ何故変わってしまったの? あんなにも愛し合っていたのに…」


いかに返事を求めても、すでに事切れた体は応えない。



決着がついた時に流していた涙は、とうの昔に乾いてしまっていって。


その代わりとしてはあまりに歪すぎる愉悦の笑みに、その表情は変わり果てていた。


歪んだ笑みを浮かべたまま、ルークは小さい笑い声を零し始める。


そして…手に握り締めた剣を、ヴァンに向かって振り下ろした……。
涙を微笑みに換え詰め寄る 《Arkと呼ばれた物(Knife)》を握って…



――愛憎の箱舟(Ark)
(さぁ…『楽園』へ還りましょう。 お兄様……。)












なおも崩壊を続けるエルドラント。


ルークのいた場所も、ついにはただの瓦礫の山と化しつつあった。


そろそろ仲間達も皆、避難し終えた頃だろう。
(因果 其れは手繰り寄せた糸 六月の雨の日 『兄(Frater)』の記憶(ゆめ))


音素の障壁に守らるながら、ルークは自分の体が融けていくのを感じていた。


死してなお、何度も惨たらしく刺し貫かれたヴァンの体は、とっくに瓦礫の中に埋もれてしまっている。



彼をそんな凶行へと駆り立てたもの。


それは、信じていたその人の、あまりに許し難い裏切り行為。
信じてたその人に裏切られた少女 逃げ込んだ楽園は信仰という狂気


あの箱庭を騙る檻の中で、自分の味方はヴァンしかいないと思っていたのに…。
新しい世界へと羽ばたける自己暗示 澄み渡る覚醒は進行という凶器


真実が露見するやいなや、手の平を返して冷たい言葉ばかりを投げかける。
最期の瞬間に廻った 歪な愛の記憶

あの楽しかった七年間の思い出までをも裏切って。



そのせいで精神的に不安定になった彼は、アクゼリュスのことも相俟って、


自分で自分に嘘をつかなければ、到底自己を保っていられなかった。
脆弱な精神(こころ)が堪えきれず あの日嘘を吐いた…


でも……そんな日々ももう、終わる。
律すれば律する程堕ちる 赦されぬ想いに灼かれながら
まぐわう傷は深く甘く 破滅へ誘う…




――背徳の箱舟(Ark)
(さぁ…『楽園』へ還りましょう。 お兄様……。)









ふいに頭上から、アッシュの遺体が落ちて来た。
被験体#1096(ひけんたい one-o-nine-six) 通称『妹(Soror)』同じく

その表情は、予想していた物よりもずっと安らかな物で…。
被験体#1076(ひけんたい one-o-seven-six) 通称『兄(Frater)』を殺害
                                    
(Soror with the "Ark",  Frater it's Dead.)
振り返ればこの魂の片割れ関しても、ずっと自分に言い聞かせていた。
<症例番号12(Case number 12)>

『アイツさえいなくなれば、師匠は再び自分を見てくれる』、と。
過剰投影型依存における袋小路の模型(Model)

そんなことは有り得ないと、本当は解りきっていたのに。
即ち《虚妄型箱舟依存症候群(Ark)》
                                    
(Soror with the "Ark",  Frater is Dead.)








完全同位体という、他の誰よりも互いに同一に近い存在。
限りなく同一に近付ける 追憶は狂気にも似た幻想

より同一化しようとしても、それはあくまでただの幻想。



状況は違えど求められるままに力を使い、結果、揃って『楽園』を追われていく。
求める儘に唇を奪い合い 少しずつ楽園を追われてゆく


似たような境遇を生きたためか、心的外傷はほぼ同じ。
同じ心的外傷(Trauma)重ねれば響き合う

それこそ、重ねれば響き合うほどに。



でも…それ以上には……。
けれどそれ以上には…






「『―驕れる無能な創造神にでも、成った心算なのか?』、か……。」
「――箱庭を騙る檻の中で 禁断の海馬(きかん)に手を加えて
驕れる無能な創造神(かみ)にでも 成った心算なの?」か…


アッシュの顔を眺めながら、彼は自嘲気味に呟いた。


それはかつて、ヴァンに対して自分がつけた評価の言葉。



しかし……。



記憶や意識を操作して、他人を思い通りに動かした存在。


それはヴァンではなくむしろ……。



「…ねぇアッシュ。 アッシュなら一緒に、『楽園』へ帰ってくれるよね……?」



その声音はまさに、無垢で幼い子供そのもので。
在りし日に咲かせた花弁は 暗闇に散り逝くように凛と

まるで夜闇に光るセレニアの花が、深淵の闇の中に散るようにはっきりと…凛と響いた。
少女の声色で囁く 「楽園へ還りましょう」…


そして、やがて来たる『大爆発』に備え、音素がほとんど乖離した彼の身体も輝き始め……。
(Love wishing to the Ark.)




















これから向かうべき上空の音譜帯を見上げ、ローレライは深い溜め息をつく。
監視卿(Watcher)は天を仰ぎ深い溜息を吐く

実体を伴う肉体は存在しないのに、どこか古傷が痛むような疼きを感じた。
失った筈の《左手の薬指(ばしょ)》が虚しく疼いた





――ふと彼が遥か下方のエルドラントを見下ろすと。
――ふと彼が監視鏡(Monitor)の向こうへ視線を戻すと

嗚呼…いつの間にか少年の背後には、『一人の少女』が立っていた――
嗚呼…いつの間にか少女の背後には『仮面の男』が立っていた――







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