エルの楽園 〔→ side : A→〕
 〜 Elysion in Tales of the World 〜















どこからともなく聞こえてくる小川のせせらぎ。 小鳥の囀りに満たされたその場所。


気温はほど好い程度に保たれた、不快要素の一切存在しないその場所で、少女は微睡んでいた。
誰かの呼ぶ声が聞こえた 少女はそれで目を覚ます


近くに咲く花々も時折吹く風に乱され、広い空へと舞い上がっていく。
心地よい風に抱かれて 澄んだ空へと舞い上がる


「――?」



半ば夢の世界に彼女は、誰かに呼ばれたような気がして目を覚ます。


その声はまだ子供のようだったが、どこか哀しげな色を含んでいた。
誰かがね…泣いているの…


誰かが泣いているのだろうかと思ったが、その考えはすぐに否定される。



ここは母が予てより語っていた理想が、現実の物となった『楽園』。悲しみも苦しみもなく、幸せに溢れた世界。
それは気の所為かしら? (そうよ気の所為よね)

その楽園で、誰かが泣くわけがない。



現に自分がこの世界の住人として集めた者達は、皆楽しそうに日々を過ごし、


自らの想い人と共に幸せそうに笑い合って暮らしているのだから。



気のせいかと思ったが、声はあまりにはっきりと耳に残っている。では何だったのだろうか?
もう…そういうことじゃないわ (じゃあ風の所為かしら)


風のせいなのだろうか。


風が時折草花を揺らす音は、聞きようによっては人の声のようにも聞こえるが…いまいち説得力に欠ける。
楽園で泣くはずないわ (そうよ泣くはずないわ)


「…リアラ? どうしたのです?」



この『楽園』を作るにあたり、基礎の構築に尽力した姉が声をかけた。


突然立ち上がった妹に驚いたのだろう。
だって楽園なんだもの (楽園なんだもの)


その傍らで昼寝をしていたのは、姉の仕事に協力してくれた蒼銀の髪の大男。


彼もまた目を覚まし、少女の方を訝しげに眺めている。
何処かでね…泣いているの…


「何でもないわエルレイン。 ちょっと散歩に行ってくるわね。」



『楽園』が完成したことは、家で待つ母にはすでに知らせてある。


あとは母の到着を待つだけであるため、姉妹は暇を持て余していた。
悲しみも苦しみも? (そうよここには無いわ)


なかなかやって来ない母を待ち兼ねて、少女はよく、こうして散歩を兼ねて母を探しに出掛けていた。



真新しい絵本を抱き締めて歩き出す。
幸せ満ち溢れる世界? (そうそれが楽園)

離れてしまった母の代わりに、姉が贈ってくれた誕生日プレゼント。



彼女が選んだ登場人物達が、『英雄』として『楽園』を目指す物語。


まさに望んでいた通りの内容に、その絵本は少女の一番のお気に入りとなった。
楽園で泣くはずないわ (そうよ泣かないでね)


豊かな水の流れる川を渡り、橋の向こう側へと降り立つ。


この広大な敷地は世界全土に及び、地平線の果て…更にはその向こうへと続いている。
だって楽園なんだもの (楽園だからこそ)








本当はね…知っているの…
(誰かがね…泣いているの…)

















誰もが満ち足りた表情。 しかし…その『楽園』の正体は……。
(「第四の地平線…その楽園の正体は――」)



























一歩、また一歩と足を進める度、ジャリジャリと足元で、剥き出しの瓦礫が踏み締められる音がする。


川はもちろん海も澱んだ茶褐色に染まり、空は常に荒れ炎の色から変わることはない。


遠くではいつも雷鳴が轟いていた。
空は荒れ 木々は枯れて 花は崩れ朽ち果て


かろうじて生えていた植物も、樹齢の高い大きな樹木以外は全て立ち枯れている。


残った木々もまた、腐敗した大地では葉をつけること叶わず、いずれは内側から朽ち果てていくだろう。


生き残った鳥や小動物達でさえ、汚染された空気に喘ぎながら、一匹、また一匹と死んでいく…。



ふと大きな地響きと共に、地面が激しく揺れた。何処かでまた、大地が地盤沈下で闇の中へと堕ちたのだろう。


そう珍しいことではない。
腐敗した大地が 闇の底へと堕ちてゆく…


少女はそのことに胸を痛めなかったわけではないが、それらはすべて、幼い頃から母に聞かされ続けていた『楽園』の、


まさに“あるべき姿”の通りだったため、さして気に留めなかった。
エルは生まれ エルは痛み エルは望みの果て


そして今日も、彼女は笑顔で歩いていく。
安らぎの眠りを求め 笑顔で堕ちてゆく…


母の所在を探す道の途中で、自分がこの地へ『英雄』として連れてきた住人達と出会った。



深淵の闇の中で、ただ兄を信じ続けた女性。
(『Ark』 箱舟に托された願いたちは)

再誕の想いを果たせず、ひたすら雨に打たれ続けた乙女。
(『Baroque』 歪んだ恋心のままに求め合い)

伝説と現実の狭間で揺れ動き、どちらも選べなかった娘。
(『Yield』 理想の収穫を待ち望みながらも)

運命と歴史の悪戯に、弟を永遠に奪われた姉。
(『Sacrifice』 多大な犠牲を盲目のうちに払い続け)

交響する世界への救済に、一人反旗を翻した少女。
(『StarDust』 ついには星屑にも手を伸ばすだろう)


誰もが安らかな表情で、笑みを浮かべたまま事切れていた。
挟み込まれた四つの≪楽園(EL)≫に惑わされずに 垂直に堕ちれば其処は≪奈落(ABYSS)≫










――リアラ!!












「……!?」



また、誰かに呼ばれたような気がした。


やはりその声は先程と同じ、泣きそうな子供の声。 多分男の子だろう。



しかし…やはり少女は、あまり気に留めなかった。



一体この世界は誰の悪夢(ゆめ)なのだろうか。


少女か、ここにはいない母か…それともあの、五人の『英雄』達の物なのだろうか。
何処から来て 何処へ逝くの 全ては誰の幻想(ゆめ)?


いずれにせよ自分達は、そこから救い出すべく差し出された手に気付かないまま、むしろ差し出した者をも巻き込んで堕ちてゆく。
差し出された手に 気付かないままに堕ちてゆく…


「フォルトゥナ…遅いなぁ……。」



少女は手近にあった岩に腰掛け、持ってきていた絵本を読み始める。
エルは倦まれ エルは悼み エルは望みの涯

嗚呼…この美しき不毛の世界に、彼女はどんな物語を紡ぐのだろうか……。
安らぎの眠りを求め 笑顔で堕ちてゆく…


















          
――退廃(Decadence)へと至る幻想 背徳を紡ぎ続ける恋物語(Romance)


     
痛みを抱く為に生まれてくる 哀しみ


                                   幾度となく開かれる扉 第四の地平線――


                その楽園の名は『ELYSION』またの名を『ABYSS』――


















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