《 将棋の起源 》 将棋の起源は古代インドの「チャトランガ」というゲームで、チャトランガは西方に伝わりチェスとなり、東方に伝わり象棋(中国将棋)や将棋になった。日本には6世紀頃に中国・朝鮮半島から伝来したと言われるが定かではない。囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁が奈良時代前後には既に伝来していたと判明しているのとは対照的である。将棋は遣唐使によって伝えられたものか、渡来人(今来漢人は5世紀末から6世紀初頭にかけて渡来したとされる)によってもたらされたものか興味深い。 文献学的には、藤原明衡の著とされる「新猿楽記」(1058年〜1065年)が将棋に関する記述としては最古である。考古学的には、奈良県の興福寺から出土した将棋駒が最古で、同時に出土した木簡に天喜6年(1058年)と記載されているところから、その時代のものであると考えられている。現在の駒やルールが完成したのが、13世紀頃と言われている。江戸時代には、幕府の庇護を受け、家元制度のもと隆盛した。 チェスや中国将棋と大きく異なる点は、敵陣に入った駒は昇格できる点と取った駒を使えるという2点がある。持ち駒が再利用できるのは、世界の将棋の中で日本だけのルールであり、これにより、中終盤になっても手の選択肢は広く(数学的には、場合の数が減らない)、チェス等に多発する引き分けは少ない。 |
《 各国の将棋 》 |
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西方に伝わる | 東方に伝わる | |||||||||||||||||||||||
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《 日本における将棋の歴史 》 |
紀元前 インドでサイコロ付き四人制チャトランガが流行。後に2人制に改良 300年頃 サイコロ無し二人制に改良(原将棋) 500年頃 中国に立像型原将棋到着 600年頃 日本に中国から立像型原将棋到着 800年頃 36枚制平安将棋(持駒不使用)に改良 1000年頃 36枚制平安将棋を持駒使用に改良 1050年頃 中国で現行象棋が成立 1490年頃 ヨーロッパで現行チェスが成立 1592年(天正10年) 初代大橋宗桂が小将棋師として登場 1630年頃(寛永年間) 将軍御前での御城将棋始まる 1660年頃(寛文年間) 家元の三家(大橋家、大橋分家、伊藤家)が江戸へ移住。この頃「将棋所」ついで「名人」を称し始める 1800年頃(寛政年間) 将棋の流行を背景に九世名人大橋宗英や天野宗歩が活躍 1880年頃(明治前半) 将棋の流行が衰え、各家元は次第に将棋界から離れる 1899年(明治32年) この頃から将棋の新聞掲載が始まる 1935年(昭和10年) 選手権による実力制名人戦が始まる 1949年(昭和24年) 社団法人日本将棋連盟設立 |
奈良県興福寺から出土した将棋の駒(1058年) |