気ままな話 2010

日々気ままに書いてます。読んでくだされば、嬉しいです。

                ( 2010年11月30日 )


京都の紅葉 日向大神宮〜インクライン〜水路閣〜南禅寺   Nnv.30

蹴上から南禅寺の道。もう何度も足を運んでいるけれど、訪れる度に来て良かったなと思う場所だ。
まずは静かな山の紅葉を楽しみたくて日向大神宮へ(↓)。
紅葉が眩しかった〜〜。(内宮は天照大御神が祀っている)

そこからインクラインを歩く。春の桜とはまた違った美しさ。長閑だ〜(*^。^*)

そのまま琵琶湖疏水を眺めながら山の方へ入ると、水路閣へ続く水路発見!
歩いて行くと・・・

  ↓
  ↓
  ↓
おぉぉ!!・・・着いたぞ!水路閣!!

明治23年に完成した疏水橋で、現在も琵琶湖から京都へ水を運んでいるんだよ。
レンガ造りのアーチ型橋が本当に美しい。
映画のワンシーンの様に、思わず僕も記念撮影。(笑)

そして、
このローマ風の水道橋の横に、南禅寺があるのも不思議な感じだね。
石川五右衛門が三門に上って『 絶景かな。絶景かな 』・・・

その後は、紅葉の永観堂へ行ってきたんだよ。紅葉とウォーキングを楽しんだ秋の一日でした。(*^。^*)


船幸祭  Aug.17

船幸祭は、店の近くの夏祭りです。
瀬田川で船のお渡りがあって、花火はその時上がります。
川沿いには夜店もたっくさん並び、夏の夜は超盛り上がり〜〜♪ 
浴衣姿の女性もたくさん歩いておられてましたねー。(*^。^*)

瀬田を遠くに離れてるみんなへのビデオメッセージのつもりで、
瀬田の花火を僕が(初です!笑)撮影して、アップロードしてみました。
なので、画面の揺れはご容赦を。(笑)
これを観て、瀬田を懐かしんで(?)もらえたら・・・。(*^^)v

船幸祭のビデオblog番外編


沙羅双樹の東林院で お釈迦様の世界に        Jun.22



梅雨の季節に白い椿のような花を咲かせ、雨に打たれて散ってしまう一日花。
その儚さが心を打ちます。
この花をたずねて、京都・妙心寺の塔頭東林院に行って来ました。

祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す

と有名な一節、平家物語。
お釈迦さまが、この木の下で寂滅されたという事も
幽玄な世界をいっそう深いものにしています。



お抹茶とお菓子を頂きながら、静かに花を愛でる。
お菓子は、沙羅双樹の花を象っているんですよ。


妙心寺は禅寺。東林院は塔頭で、宿坊です。
ここに泊り静かに京都を味わうのもいいだろうなぁ。


ただぼんやりとする贅沢な時間・・・。
境内には沙羅双樹の他にも四季の花が美しく咲いていました。(睡蓮↓)



店からの桜                     Apr.6         


店の前の桜が、今年も満開になりました。ここから眺めると、「額縁つき」です。(^^♪
いとをかし・・などとつぶやいてみる。(爆)

こちらは(↓)、同じ桜を店の前から撮ったものです。
鳥居の神社は、建部大社の末社「檜山神社」
電線がちょっと邪魔ですが・・(^_^;)


壬生を散策      Jan.28

先日、壬生界隈を歩きました。
壬生と言えば、やはり新撰組!(笑)
新撰組の屯所のあった「八木邸」、「旧前川邸」。
山南敬介のお墓のある「光縁寺」。
剣術稽古を行った「壬生寺」。
そして、京都屈指の花街「島原」等など。
島原には、浅田次郎の小説にもなった「輪違屋」(置屋)、「角屋」(揚屋)が昔のままで残っています。

写真を撮ってきましたので、ちょっとご一緒に。(^^)

●まずは「八木邸」から。

新撰組の屯所があった場所です。(中は趣のある町屋)
ここは芹沢さん(芹沢鴨)とお梅さんが、近藤、土方たちによって暗殺された場所でもあります。
鴨居には深い刀傷があり、
『泥酔していた芹沢さんは、この部屋からこの部屋に逃げて来て、ここで絶命した・・』
などと、生々しく説明していただきました。(八木邸は、ガイドの方がいらっしゃいます。)
後で、「屯所餅」(粒餡を壬生菜の入った皮で包んだお餅)とお抹茶を頂いて、ふぅ・・(笑)

● 八木邸の向いにあるのが「旧前川邸」

ここも新撰組の屯所が置かれました。
屋敷の雨戸には近藤勇の書があるんだとか。
池田屋騒動の発端となった古高俊太郎を拷問した土蔵などが残っているらしい・・(こわっ)


● そして、「壬生寺」です。

新撰組が砲衛訓練や剣術の稽古を行った場所です。
2月2日・3日 は、節分大法会壬生狂言が行われます。
今はその準備中みたいでした。
境内には、「壬生塚」があって、芹沢さんのお墓や隊士のお墓がありました。
局長だった芹沢さんのお墓は、平山五郎のお墓と一緒になっていて、思いの他小さい・・・。
なんか、近藤さんや土方さん達の意図を感じるなぁ・・・。(^^ゞ




そのまま京都駅の方へ歩いて行くと、京都屈指の花街である島原に着きます。

「島原」
下は「島原の大門」   ここから、花街に入ります。

華やかで、悲しい芸妓たちの世界がそこに閉じ込められているようですね。
今でも花魁道中をされることがあるらしい。

●島原の大門をくぐり、少し歩くと「角屋」(すみや)があります。

角屋は「揚屋」です。
京へ上ってきた幕末の志士達も大いに遊び、時には密議に使いました。
(外の塀に「久坂玄瑞、密議の角屋の碑」が立つ。)
現在は、「角屋もてなしの文化美術館」となっています。


●そして「輪違屋」

輪違屋は、元禄年間創業の由緒ある「置屋」で、角屋などの揚屋に芸妓を派遣しました。
当時の面影を留め、傘の間や紅葉の間、太夫や芸妓の衣装、近藤勇による屏風も残っているようです。

だいぶん前、浅田次郎の小説 『 輪違屋糸里 』 を読んだんだけど、
今読み返したら、もっと味わえるだろうなぁ・・・
華やかな花魁道中。でも、悲しくも美しい情景ですね。

僕の京都歩きは今年も続きます。(^O^)/
今年もどうぞよろしく〜♪


龍安寺              Nov.18


リベンジした高雄の紅葉は、微妙に終わってました。(泣)
そこで、帰りに龍安寺に立ち寄る。(^^)

龍安寺は、一部改修工事中でしたが、その代わりなのか、日頃、非公開の “方丈の間の竜の襖絵 ” (↑)を観ることが出来ました。まるで生きているが如く…すごい迫力! 日本画家の皐月鶴年(鶴翁)が1950年代に描いたものなんだとか。

有名な枯山水の方丈石庭も深遠で、素晴らしかったし、鏡容池を取り囲む庭は、紅葉が見頃でよかったですよ。以前訪れた時は、夏の睡蓮の季節で、また違った風情がありました。龍安寺が禅寺でありながら、別名の「花の寺」と言われているのは四季折々の美しさ由縁でしょう。

室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が
宝徳2年(1450年)に創建した禅寺。

石庭に配した15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されています。

東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、
15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すとされています。

足りないという事の中に、己を知り戒める心を持てということなのでしょうか。




下は鏡容池です。(↓)


高雄の紅葉       Nov.10

高雄の紅葉は特別の色。
その昔、カラーテレビが出始めた時のこと。三菱に『高雄』という名前のテレビがありましたね。(昭和42年)
命名の由来は、京都高雄のもみじの赤を目指したからだとか。

数ある紅葉の中でもテレビの名前にもなった高雄のもみじ。鮮やかな赤さは格別なんだろうなぁ。
葉っぱ一つ一つが普通より小さいのも特徴だそうで、それ故、赤が点々点々…と目に映り、まるでゴッホの絵画の如く、だそうです。

これはぜひぜひこの目で確かめたい。
ってことで、先日行ってきましたよ、高雄に。(^^)
「恐ろしいほど混む」らしいと聞き、僕にしては珍しく(笑)、8時頃から出かける・・・

しかし・・・
すでに、京都駅のJRバス高雄方面行きは、長蛇の列。(あ然)
これで更に期待を膨らませ、高雄へ。

でも・・・残念ながら紅葉には少し早かったようです。
たぶん見頃は、この雨がやんで、今週末位でしょうか。
嗚呼、本当に美しく色づいているピークの高雄の紅葉を見てみたい。。。
とりあえず、先日の高雄の写真です。(^^ゞ


高雄の紅葉のピークは、山全体が真っ赤に染まります
だからそこに身を置くだけで美しさは味わえますが、神護寺、西明寺、高山寺が名刹です。
神護寺は、和気清麻呂が建て、
その後空海などを招いて、
平安仏教の発祥の地になりました。

弘法大師空海入山千二百年紀として、
11月1日〜30日まで、
夜間特別拝観境内ライトアップがされています。
(写真は神護寺への石段と楼門です。)







神護寺への長い石段には、
地元の小学生作の可愛い絵の照明が並んでいました。
















近くには清滝川が流れます。
もみじは湿気を好み、
近くに川が流れている所だと、
より赤が鮮やかな赤になるそうですよ。












神護寺の中の地蔵院から
「かわらけ投げ」が出来ます。

下へ向かって薄いかわらけを投げると
厄除けになるそうです。
僕がが行った時もカップルの方が
笑いながら投げておられました。

この様に、もう一つ山も色づいていません。
高雄はこれから行かれるのが良いでしょうね。

僕も来週リベンジしようかな・・・(^^)


桂離宮へ       Sep.20

王朝の薫る雅に魅せられて・・・・

美意識、細部にわたるまでのこだわりのすごさ。素晴らしさ。!
造られたのは正に江戸時代の初めですが、
宮家の思い、誇りが静寂の中に深く深く溶け込んでいました。

桂離宮に心を持って行かれた僕は、
気ままな話「番外編」なるものを
思わず作っちゃいました。(*^。^*)
詳細はそちらに書きましたので、
良かったら覗いてみて下さいね。

桂離宮では、主に観月を楽しんだと言われています。
当時、茶室へは、舟を使って行かれたそうです。


涼をもとめて鞍馬へ             Aug.4

なかなか明けなかった梅雨。
昨日ようやく明けたと思ったら、一気に猛暑が!!
ふぅぅ…
あっついです〜〜〜〜(>_<)
この異常な気象に地球を心配しつつ、、、
別天地を求めて(^^ゞ、鞍馬まで行って来ました。

出町柳から叡山鉄道に乗って、終点鞍馬へ。
そこから鞍馬山登山。途中、鞍馬寺や由岐神社、木船神社などに辿れます。
←左は、鞍馬寺仁王門。



叡山鉄道は、旅行気分たっぷりの美しい電車です。大きな窓に、座席は外向き。
景色を眺めつつ、ゆったりと。
電車の下を流れる貴船川のせせらぎが、涼を誘います。



そして、鞍馬駅へ。まずは天狗がお出迎え。(笑)


いよいよ鞍馬山へ。仁王門(↑)をくぐると、すぐに由岐神社。(↓)


下は、由岐神社にある大杉社です。

願掛け杉とも言われています。
慶長(秀吉の時代)に植えられ、今では53mにも。
天を貫いているようです。
願を掛けておられるのか、触ってお祈りをされている人がおられました。

鞍馬山には、宇宙の大霊である「尊天」が祀られています。
「尊天」とは、「
すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」!
「尊天」の一人「護法魔王尊」は、650万年前(!)、なんと
金星(!!)から地球に降り立ったといいます。(@_@)
(体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在と。)
ひんやりとした山の中に入ると、そんな宇宙エネルギー、霊気が満ちているようで、

天狗
の伝説も感じながら…。
別世界でした。

もう一つ、
鞍馬山と言えば、源義経=牛若丸ゆかりの場所でもあります。(下は、義経公供養塔)


義経は7歳の時、鞍馬山に預けられ、稚児名を遮那王(しゃなおう)と。
11歳(15歳説も)の時、自分の出生を知ると、僧になる事を拒否して鞍馬山を駆け回り、武芸に励んだと言われています。
後に16歳でこの山を脱出し、奥州へ下りました。

ここを幼い遮那王(牛若丸)が駆け巡っていたのかと思うと・・・・。
長い石段にも、木々にも、時を越えて彼の姿を垣間見ることが出来るようでした。
ほら、その杉の木の陰に、遮那王の姿が・・・・
↓幼い遮那王が母・常盤御前と別れた泪のシーンがここ。(タッキーの大河ドラマ「義経」です。笑)


とにかく、
鞍馬山は、静かで、自然のものだけで、霊気に満ちていて。時が止まっている空間です。


↑途中の道しるべ

↑鞍馬寺本殿金堂


祇園祭                          Jul.15

京都らしいものはたくさんあるけれど、やっぱり祇園祭が一番かもしれんね〜。
昨日実際行ってみてそう思った!(*^。^*)
32基の山鉾はまさに動く美術館。 暑っついんだけど、素晴らしさに心躍る。
夜になったらすごい人になるんだろうけど、今はしばしまだ…。嵐の前の静けさか。(笑)
ゆっくり見られるくらいの人出で良かったですよ。
そうそう、まだ作ってる途中の山鉾もたくさんありました。




上の写真と下の2枚は毎年先頭を行く長刀鉾です。唯一の生稚児(いきちご)が乗る鉾なんですよ。
四条通のビルの谷間にあって、なんか違和感ありまくり…。(笑)
江戸時代とか、こんな建物が何にも無かった頃に戻りたい気がします。
鉾頭に長刀をいただいています。「長」の文字、趣きあり!ですね。



地図を見ながらぶらぶら歩き♪しました。
改めて京都の路地の風情に心惹かれましたね。




長刀鉾から四条通を少し西に行くと、函谷鉾。(かんこぼこ)↓
鉾の名は中国・斉の故事からとっています。華やかでしょう。



室町通に入ると菊水鉾があります。(↓) 近くには、利休の師匠にあたる武野紹鴎の邸祉。
ここの名水でお茶をたてたのでしょうね。



近くにシーサーがのってる町屋を発見!(↓)沖縄風というか、中国風かな?。
ここのポストはこの形第一号だそうですよ。



新町通には、北観音山(左↓)と南観音山(右↓)

北観音山(↑)は、欄縁の飾り金具や刺繍が華麗で思わず見とれてしまいました。
祇園祭では、山鉾と その横の町屋とが連結されます。(上の写真)
そこが解放され休憩所となるのです。風情があっていいですよ。



四条通にある有名な鉾、
月鉾(↑)です。鉾頭に金の三日月をいただいています。
天井裏には源氏物語をテーマにした五十四帖扇面散図(せんめんちらしず)が描かれています。


形が変わっているのは船鉾。四条通より南。新町通にあります。
神功皇后が懐妊中に出陣。凱旋後に出産したとされる説話に基づいています。
安産の御利益があるんだとか。

こちらも未だ作り中。熱気が伝わってきますねー。

下は鶏鉾です。

夜、灯りが灯ったら華やかさが増しますね。
15日が宵々山。16日が宵山。17日が山鉾巡行です。

ホント素晴らしかった。一見の価値ありです。


美しい音                              Jun.10

【 生まれつき全盲の辻井伸行さん(20)が7日、米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝。】

TVで観た彼のピアノの演奏の美しさはどうだろう。
飾らず、驕らず、自然で・・・。
深い湖の奥から一つ一つの音が煌めく奇跡の様に聞こえてくる。
聴く者に勇気と希望をもたらしてくれる音楽だ。

お母さんの辻井いつ子さんの書かれた『今日の風、なに色』という本より。

 【 題名 『今日の風、なに色?』は、伸行が言った言葉からとっています。
 眼が見えない伸行にとっては、大好きな食べ物に色というものがあるなら、
 同じく大好きな風に色があっても不思議はありません。】 






フランク・シナトラは、全盲の少女に「シナトラさん、風はどんな色をしているの?」と聞かれたそうだ。
シナトラは、「色なんてないんだよ」とは言わず
「風はとても素早く動くから、まだ誰もその色を見たことはないんだよ。」答えたそう。

何と温かい・・・そして、何と豊かな言葉だろう。
胸が熱くなる。


僕は鳥になった… 新緑の大文字山に登る!      Apr.21


新緑の季節。心ウキウキ。気持ちが良いのでどこまでも歩きたい気分。
じゃあ、って事で、
思い立って  大文字山(京都)に登ってきました。(*^。^*)
五山の送り火(8月16日)の行われるあの山です。
(いきなり上の写真は、大の字のまん中火床。ここに火が灯される。)

登山と言っても、ハイキング気分で登れるらしい。(らくちん?)
銀閣寺側から30分位で頂上に着く。(下の写真は、銀閣寺)

銀閣寺前を左に折れて、八神社を右に曲がったら、さあ出発!



どんどん登る。
どんどん
ぐんぐん・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わ〜〜〜〜〜〜〜!!

あいにく曇っていたけれど、それでも素晴らしい眺め!
京都のジオラマがそこに広がる。 正に鳥になった気分です〜♪

向こうに見える森が御所。
手前が吉田山。更に手前に黒谷。
遥か向こうには、愛宕山も見える。

写真は途中で切れてるけれど、
右に糺の森、下鴨神社。
その右には上賀茂神社と続いています。
左に目をやると、平安神宮の赤い鳥居が見えました。
その先には微かに京都タワーも。

送り火の起源は、
足利義政が息子義尚が亡くなったのを悲しみ初盆に火を灯したとも、
弘法大師が創始したとも言われています。
弘法大師を祀った御堂があります。(上の写真)
お祈りタイム。
大の字の頂点(↓左) 大の字のはらいの部分(↓右)

鶯の声があちこちから聞こえてきて、のどかで気持ちいい♪。
帰りは火床づたいにおりて、法然院の方へ。こちらも30分くらい。
法然院はいつ訪れても素晴らしいので僕は気に入ってます。

大文字山の下り口は、法然院の谷崎潤一郎のお墓に続いているんですよ。

お参りしてきました。
枝垂れ桜の下に「寂」の文字の鞍馬石の墓石。谷崎と松子夫人のお墓です。
右側の「空」には松子夫人の妹・重子夫妻のお墓。
隣は、日本画家の福田平八郎のお墓もありました。


法然院と言えば、哲学の道

桜のシーズンが終わって、今、本当に静か。
これこそ、思索の小道!だね。(^o^)。

途中の八重桜が美しかったですよ。
下を流れる疎水には、鯉がたくさん泳いでいました。







初夏の一日。十分満喫しました。(*^。^*)
この夏、五山の送り火を見る時は、今までと違って親しみがわくだろうナ。
今から楽しみだ。