ねじとは、なんぞやNo,2
火縄銃のねじ
火縄銃の銃底に詰めが、ねじになっていると、「ねじとは、なんぞや」
で言いましたよね(^-^)では、当時ねじをどの様にして作ったのか、
解りますか、難しいですねなにせ旋盤はおろかタップもダイスも
無い時代ですから、でも日本人には、
知恵と繊細な技術力が、有りますよね(^-^)
当時の種子島の領主、種子島時堯が、刀鍛冶の八板金兵衛に
火縄銃の一丁を見本として渡し、模作を命じたそうです
渡された方は、びっくりしたでしょうね、観た事も無い物をいきなり作れと
命令されんですから、でもこの八板金兵衛さん、なんと
一年で火縄銃を作ったそうです、凄いですね、でも最初はねじと言う物が
何なのか判らなかった様ですよ、火縄銃の銃底に詰めが有るのは
判るでしょうが其れが何なのか、苦労したそうですよ(^_^;)ねじとは知らずに
そのまま詰めをしても一発、発射したら後ろに抜けてしまうんですから
悩んだでしょうね、そして気が付いたんですね、そう詰めに在る溝を、(^_^)
でも♂ねじは比較的簡単に出来たと、思いますよ、なにせ鍛冶屋さんですから
製造方法は、鉄の棒に糸を螺旋状に巻き付け、ヤスリで削ったと、おもいます
でも、♀ねじが問題です、内径ねじを切るのですから、ヤスリでとは、いきません
さあ、ここで問題です、どのような方法で内径ねじを作ったのでしょう(~ヘ~;)ウーン
(少し違うページに成って来たような気がします)
難しいですよね、(^_^;)実は鍛冶屋さんと言うのがヒント、なんです
ヤスリで螺旋状にねじを切った詰め、今で言うボルトですね
火縄銃の銃底の筒状の穴に入る詰め(ボルト)を作り、銃底部を熱して
柔らかくして詰めを入れ、金槌で叩くんです、するとあら不思議
火縄銃の銃底に詰めに切ったねじが、うつるんですね
そうですこれが鍛造です鍛冶屋さんは
♪しばしも休まず槌打つ響き♪、の唄にも有るように
鍛造は得意なんですね(^_^)これが我が国初のねじです
かなり長く成ってすみませんm(__)m
その他のねじ
その他には、1549年に来日した、キリスト教の宜教師フランシスコ・ザビエル
(大阪の堺市にザビエル公園と言うのが在りましたね)
と言う人が、自鳴機(機械時計)を1551年に大内義隆と言う人に、贈ったそうです
時計には、歯車が使われていますよね、でもねじも使っているんですね(^-^)
時代劇などに時々登場しますね、殿様の後ろかなにかで、・・・若い人は、興味ないですね
因みに私は、水戸黄門と暴れん坊将軍が好きです(^_^;)(又横道に反れている)
ついでに
ついでと言うとなんですが、この頃のねじは、そのボルトとナットしか合いませんでした
つまり一度ボルトから、ナットを外して他のボルトに付けようとしても、合わなかったんです
今では考えられない事ですよね、なにせ一個一個手作りですから、(^_^;)
レオナルド・ダビンチと言う人のノートの中に、ねじ切り旋盤のスケッチが
書かれていたそうです、又フランスの数学者でジャック・ベッソン(1500〜1569年)と言う人
もねじ切り旋盤を、考えていたそうです、しかし当時の技術力では、木製の旋盤だったので
やはり精度に問題が有った様です、この問題を解決したのが、イギリス人の
ヘンリー・モーズイ(1771〜1831年)と言う人です、ロンドンの科学博物館に最初の
ねじ切り旋盤(1800年製)のレプリカが、展示されているそうです
この高精度のねじ切り旋盤の登場で、どのボルト・ナットでも合う(径とピッチが同じなら)
ように成りました。
以上がだいたいの、おおまかなねじの歴史です、間違いや抜けている所は
多々あるでしょうが、ひとつご勘弁のほど、宜しくお願いします、又次は
圧造に付いてでも、お話したいと思います、お暇な時にでも覗いて下さい
それでは今回はこの辺で終りたいと思います
最後まで読んで頂き有難う御座います。ひげm(__)m
