20世紀のど真ん中、戦争と混乱から過た昭和25年のある日、母は3人目の男子を産ん
だ。生まれた子は修学院離宮の官舎で産湯を使い名を恒孝と付けられました。親子は、
父の仕事の関係で苦しい生活が続きました。幼い頃から絵を描くのが好きで、子童展覧
会では数々の賞を取るようになりました。成人しても絵を描き続けたかった私は、日吉ヶ
丘高校で彫刻を学ぶ中、日本画の師上田家聖の内弟子でもあった。卒業の時、思いか
けずに「京展」に初入選。その後も、仕事をしながら作家活動を続け色々な展覧会に出
品。その努力認めて頂く様に成りました。30才の半ば、突然緑内症に、たおれ、片目を
失なってしまいました。その時夢のお告げがあって仏様を描く様になったのがきっかけ
で、現在も佛画を描き続けています。21世紀に楽しく豊かな社会を目ざして、日々琢磨
し、切磋して人々ために成れるよう、努力を重ねることに喜びを感じています。今後も、皆
様のご指導を心より願ってやみません。
松永 恒孝
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