黒 部 紀 行 (1997.7.17〜7.21)


祇園祭りと山衣装(7月16日)

宵山の地下鉄四条では、ゆかた姿のお客が大勢乗ってくる。 リュックに山登りの姿は電車の中で浮き上がってしまう。少し気恥ずかしい。
真新しい京都駅は、吹き抜けが特徴的なモダンな駅になった。 どちらかと言えば私は、父がまだ独身であったころ 「ステション」 と呼ばれた以前の京都駅が好きだ。その姿は、 烏丸通りから見ると駅の中ほどに高さを持った「モダンな」駅ビル全体が見えていた。
新しい駅も時間の経過とともに京都の玄関口としてなじむだろう。

その京都駅から日付の変わった午前0時1分発急行北国に乗って出発した。

日ごろの行い(7月17日)

お天気は出発するずいぶん前から気になっていて、天気予報をしばしば調べていたが、
それによると、「雨のちくもり」だったのだが福井あたりでは、ザーザーと降っている。 夜が明けた5時に電車が富山駅に着いたときには、どうやら「今日は雨を覚悟」 しなければならなくなっていた。 なんと、富山地鉄前の天気予報掲示には、「大雨洪水警報」が出ているではないか。
有峰口では、ついに傘が必要になるほどまでになっていた。

・タクシーの相乗り

有峰口に降りた客は、5人。雨のせいもあって心細い。
東京から来た2人づれにタクシーの相乗りを誘われたのだが、この雨では登山口まで行ってくれるか怪しい。
タクシーを呼んで待つこと40分、所要1時間、幸いにして、ようやく相乗りタクシーは、  「折立」にたどりつくことができた。

・豪雨の中の山登り

通気性がセールスポイントのゴアテックスのカッパでもムシ暑い。おまけにカッパのひさしで  視界も限られる。
高度が上がるにつれ雨も激しくなってくる。ついには激しさも頂点になる。これはもう。 休憩するにも、一服するにも余裕がない。いつしか気温も下がり寒さも加わる。 最後には雷さんの到来だ。あれもこれも日ごろの行いがよろしくないからなのでしょう。

・太郎小屋の客

小屋には、足止め客が2人。相乗りの2人。雨も小降りになった夕刻に夫婦連れ、会社をリタイヤした3人連れ、 誠実な先生に引率された高校生のパーティ。
 高校生のパーティは、先に到着した生徒が荷物を降ろさず遅れた生徒が到着するのを待っている。  皆が到着した後、やっと全員で休憩する姿は強制されたものではなく、ごく自然に身についているように見える。
 「自分の荷物を自分で担ぎ、自分の足で山を登る。そして、 仲間全員が無事に到着することが自分の到着でもある。」
なにやら、「人生の訓練」のような気がした。
夕刻その先生に良く訓練されたパーティで感心したことを伝えたら、その先生はことのほかうれしかったようで、  先生としての「目的」がそこにあったことをうかがわせた。

人との出会いも山登りの魅力の一つである。
予定していた薬師岳はこの豪雨では当然断念することになる。あまった時間は乾燥室の作業と昼寝に充てた。
太郎小屋の接客はすばらしい。登山客の身になった応対をしてくれる。旅館顔まけだ。

雷鳥親子のお出迎え(7月18日)

朝食を終え、準備を整え6時30分に出立。
昨日とはうって変わって今朝はすばらしい晴天になっている。富山側を埋める雲海はみごとだ。
小屋を出て小バイケイ草の咲く太郎山の道で、雷鳥親子の歓迎を受ける。
雷鳥は人を恐れない。母鳥は子供を自由に遊ばせている。しかし周囲への警戒は怠らない。  絶えず母鳥の存在を示す鳴き声を出している。
雷鳥から目を転じればそこには「白山」が望められた。

野点て、山点て

槍ケ岳を遠望できる北ノ俣岳で一息入れる。相前後していた東京の2人づれがなんと 野点を始めた。私も一服お手前をいただく。参ったな。 これは野点ならぬ山点だ。 茶の香りとすがすがしい午前の山の空気、遠望する山々の景色。山の茶湯である。

・五郎岳

この山は均整が取れている。裾の広がりと高さのバランスが大変に良い。
均整が取れれば凡庸になり易いが、この山はそうではなくてむしろ個性的だ。
他の山とつながらず、かと言って孤立しているわけでもない。見事な調和を持っている。
「五郎の肩」までの登りに苦労した。その肩から見下ろすカールは、男性的で荒々しい。 頂上まではザックを置いてピストンする。
振り返り、振り返りながらカールを降りて行く。さっきまで居た「肩」から雲が湧き出してくる。
荒々しいカールが壁となって私を圧倒する。

荷揚げのヘリコプター

五郎のカールでお茶を沸かしてくつろいだ後、長い沢伝いに下って五郎小屋に着いた。
昨日までこの地域は、雨で視界が悪くシーズン用の荷上げが充分では無かったようだ。
山間を縫ったヘリが突然小屋の前に爆音とともに現れる。 新穂高から荷を網にぶら下げて文字どおりピストン運転で降ろしていく。

人間ドックと環境保全

尾篭な話だけれど、私は山に登る前に人間ドックを受けてきた。
バリウムを無理に飲んで体をグルグル回して悪いところがないかレントゲンで調べる。 それが済めば、今度は下剤を飲んでバリウムを排出させる。
私はどうもこれが体に合わなくて便秘気味になってしまう。早く排出しようとがんばる結果、 今回は痔を痛めてしまった。 登りはまだしも下りはこたえる。いやになってしまう。

いったい健康管理に、どうしてこんな思いをしなくてはならないのだろうか。
山の荒れ方もひどくなっているようだ。
砂防工事が土砂流出におっつかない。次々に工事が実施され川や沢はコンクリートで 固められていく。
何やら人間ドックの手荒い健康管理と似ている。
ストレスをいっきに解消しようとせず、ストレスをためないように心がける健康管理ではだめなのだろうか。 時間を作っての山歩きはストレスはたまらない。
砂防工事の代わりにブナの林を豊かにして、ダムにあてる方法ではだめなのだろうか。
ブナの林は緩やかだが十分な保水能力を持っているそうだ。人が踏み歩いて荒らした程度の傷は癒してくれるように思う。
あとは山に入る人が気をつけて歩けばよい。動物も植物も穏やかだがその方を好む。
このままでは入山の規制かコンクリの山歩きしか残っていないように思う。

「ぶらりのんびり山歩き」の失敗(7月19日)

初日が雨で薬師岳へは登れなかった。地図上で先にある鷲羽岳が欲目に入る。
三俣蓮華から黒部源流に入るのが「ぶらりのんびり山歩き」の正統コースである。
鷲羽ではアルペンを強いられた。急な登りに痩せた尾根。壊れやすい岩稜。
それはそれで魅力であるが、私には間違いであった。人にもお勧めしない。
唯一、鷲羽から見る槍ケ岳の眺望は絶品であった。

夕日に輝く水晶岳

雲の平のテント場で一足先に着いておられた太郎小屋から同宿のご夫婦に迎えられた。
鷲羽を除いて同じコースを来た高槻の花好きのご夫婦である。
小屋から夕日の光量の変化に輝く水晶岳を寒さと交換に、あと少し、もう少しと眺め入った。
周囲の五郎、三俣、笠、鷲羽、祖父岳がシルエットに変わっていく。

黒部の水(7月20日)

朝もやの残る雲の平は、静粛そのものである。薬師の雄大さが静粛の元締めである。
疲れもそろそろピークをむかえている。加えて昨日からの痔の具合もある。 薬師沢への下りは急下降になっている。ツルリツルリの直滑降である。
下りでもつらいのにこの直登4時間は、おすすめできない。すれ違う登山者に思わず 労をねぎらう言葉がでてしまう。
沢の音がもうすぐに薬師沢であることを教えてくれ、安堵を与えてくれる。 黒部川もここまで下ると水量を増してくる。轟々と流れる水の勢いと跳ね上がる水しぶきは、静寂の山中にあってさらに静寂を印象付ける。
小石にまたがり黒部の水を手のひらにすくい上げて飲んだ。殊のほかうまい。

太郎平への登り

今回の山行最後の登りである。勾配はそれほどでもないが気力を振り絞って登る。
太郎小屋が谷をはさんで見える。頭の中にはビールビールビールの文字が行き交う。
連休に入ったことから薬師沢小屋へ行く人と交差することが多くなってきた。この先の情報交換をするがもつぱら伝え役になる。
まだ頭はビールの文字が行き交っている。
太郎小屋には2時すぎに着いた。ひとがんばりすれば折立へ降りられる時間だけれども とてもそのような元気はなくなってしまっている。
小屋の人が顔を覚えていてくれた。連泊扱いで太郎の手ぬぐいをいただいた。 良い記念になり喜んで頂戴した。
小屋の周辺は休日とあって家族つれや若い人々でにぎわっている。私も加わり小屋の前で待望のビールを飲み干して過ぎ行く時間をのんびりと過ごした。
明日は降りてしまうのかと考えると、少年のころ遊び疲れてもまだ遊びたいと思ったあの同じ心持ちになった。

ニッコウキスゲの道(7月21日)

朝の4時に下山した。休暇も今日で終わり、明日からは仕事が始まる。
早く戻って明日に備えたい。サラリーマンの悲しい性である。
登った時は豪雨で沢のようだった道を今日はニッコウキスゲを楽しみながら下った。
立山、室堂、薬師経由の埼玉山岳会の人とお互いの山行を振り返りながら、折立からバスで有峰口へ着いた。いつかどこかの山での再会を願ってそれぞれの家路に就いた。

[ 感謝 ]今回の山行にあたっては、 高岡の 御器谷 氏に有峰周辺の、奈良の 黒江 氏には黒部周辺のアドバイスをいただいた。


うだった道を今日はニッコウキスゲを楽しみながら下った。
立山、室堂、薬師経由の埼玉山岳会の人とお互いの山行を振り返りながら、折立からバスで有峰口へ着いた。いつかどこかの山での再会を願ってそれぞれの家路に就いた。

[ 感謝 ]今回の山行にあたっては、 高岡の 御器谷 氏に有峰周辺の、奈良の 黒江 氏には黒部周辺のアドバイスをいただいた。