北 岳 (1999.7.17〜20) 曇り

1. 広河原

ウエストンの「日本アルプス再訪」(平凡社刊)に次のような記述がある。
「南アルプスの鬱蒼とした森に覆われた山容は、北アルプスよりも堂々としており、三つの山稜の中央にある最高峰、三一九三メートルの甲斐ケ根[北岳]は、・・・・・・」
ウエストンは、二度「北岳」へ訪れている。1902年と1904年である。(1892年赤石岳)
最初のルートは、広河原から大樺沢を登っている。広河原からと言ってもこれは、現代の話であって、当時は八王子から鳥沢までしか鉄道が開通しておらず、その後は馬車に乗り継ぎ甲府まで行く。甲府からは、徒歩(だろうと推測)で芦安まで行く。そして、ここからの行程は、間違いなく山登りであり杖立峠(夜叉神峠の北)を越えて野呂川を上り広河原に到達する行程である。
甲府から芦安と広河原で2泊ということになり、 芦安から広河原まで14時間かけた山行になっている。

記述文章の量を見ても私たちが実際に登る行程の、広河原以降の記述は全体の30%である。登下行の記述はさらに少ない。もう少し書いておいて欲しかったとさえ思う量である。

山登りのベテランから林道が開通するまでのこの行程の話を良く耳にするが、それ以上のものであったことがうかがえる。

いずれにしてもウエストンは、「出発から十四時間、午後八時半に、左岸の刺のある濃い薮がからみ合った中をよろめきながら通り抜け、一〇メートル四方の少し開けた場所に出た。ここに広河原小屋があった。」と書いている。

現代の広河原へは、甲府から2時間のバス旅行で着くことができ、 10メートル四方の広場は、いたるところにあるが、それらしき所にウエストンの記念碑がある。 ウエストンは、ここで1日を過ごしている。

2.白峰お池

現代の私は、新幹線で京都を朝に発ち甲府で正午、広河原に午後2時過ぎに到着している。そして時間を惜しんで白峰お池まで行こうというのである。
広河原山荘から大樺沢沿いにクガイソウの紫、モミジカラマツの鮮やかな白を見ながら、30分ほどのところで小さな沢を越える。
大樺沢沿に進む道と尾根伝いに登る道の分岐点である。
ウエストンは、右岸を200メートル進み左岸に渡っているから、 このあたりは、おそらく通ったものと思える。「この渓谷の下半分は、広大な雪渓から流出する激しい急流の水路になっている。」
ウエストンのルートは、さらに標高2000メートルまで沢伝いに登っているが、ここで別れて、白峰お池への急な登りを選んで進む。

シラビソの樹林帯のこの急登は、古くは北岳への主ルートと聞いている。現在は、大樺沢沿いの道を登る人が多い。
それもそのはず、確かに急登である。登る高度とそれにかかる時間との乖離の大きさに我ながら情けなくなる。
3時間余りの後、やっと急な登りが終わり白峰お池へのトラバースに移る。大樺沢に流れ落ちる沢を横切る時、グンナイフウロが歓迎してくれていることに始めて気付いた。

白峰お池小屋は、この冬に雪崩ですっかり倒壊してしまい、仮小屋で営業している。宿泊客の外人女性が、受付け場所をジェスチャーで示してくれた。 疲労こんぱいの私に見かねてなのか、英語なんぞは話せないことを見透かしてのことかは判らない。

3.草すべり

昨夜の夜半に小雨が降った。濡れたテントをたたみ終え、ガスの中を出発する。ぐっすり眠って、宿泊者最後の出発者である。
今日も朝から草すべりの急坂である。 誰が命名したのか、誠に当を得た名前である。今では、道がはっきりしていて滑ることはないが、道を外れて歩くならきっと草すべりであるほどの坂である。
その坂は、またすばらしいお花畑でもある。ハナシノブ、グンナイフウロ、キンポウゲ、等々。
昨日の登りとほぼ同じ程度の急坂ではあるが、花々が咲いている分だけこの登りは楽しい。やがて樹木がなくなるころ、二俣から分岐した肩の小屋への道と合流する。
絶好の休憩ポイントである。花々は先ほどまでと変わり更に高所で咲くものに変わる。
やがて、小太郎尾根に乗り急登は終わる。そこは、ハクサンイチゲをベースにした色とりどりの花々が咲く楽しい尾根である。
残念なのはお天気である。相変わらずガスの中。時々そのガスが小さな粒の水滴に変わる。展望は望めない。
ウエストンもこの尾根に乗って山頂に行っている。又、その眺望も 「当然眺められるはずの壮大な展望を得ることはできなかった。」 肩の小屋に到着した時は、そのまま頂上を越えることができる時間もあったが、明日の天気に展望を託し泊ることにした。

4.北岳・間の岳

肩の朝もガスである。眺望は得られない。山の天気はその半分が曇りであるから致し方ないとしても、せめて一日はと思う。
かろうじて、仙丈岳がガスの切れ目から見ることができた。

「自分たちが新鮮でのびのびした大気の中にいるのを感じた。頂上へ通ずる狭い岩稜をたどった。どの岩陰にもいろいろな種類の、色とりどりの高山植物が咲いていた。とりわけ、荘厳な美を誇るミヤマオダマキと、頂上に咲いていた明るくかわいらしいミヤマキンバイが多かった。」と。
その思いを引きずりながら頂上を越えると間の岳が顔を出した。
ウエストンの下りは、登路と同じ道をとっている。

小1時間お花畑を楽しみながら下ると稜線に鐘がある北岳山荘に着いた。

間の岳を越え農鳥岳を経て奈良田へ下りるか、北岳山荘から間の岳をピストンし、大樺沢を下るかずいぶん思案をするが、明日の天候と八本歯までのお花畑に期待をして後者のルートを選んだ。
早々とテントを張りそこに荷物を置いて昼めしを持って間の岳へ向かう。 なんと空身のすばらしいことか。空身とは良く行ったものだ。身が宙に浮くように稜線を漫歩する。この間のお花畑は、又趣が異なる。北側はイチゲをベースにしたものであったが、ここはオダマキ、キンバイ、イワベンケイ、エンドウなどが散らばって咲いていた。

5.大樺沢

夜半の風に悩まされ今朝の天気も昨日と同様である。天候の回復は望めそうにもない。眺望はあきらめて、下山することにした。
八本歯までのお花畑は、期待以上の花々が咲いていた。北岳一のお花畑だと思う。
そのお花畑も終わり、バッドレスも頂上もガスで霞んでいるのをうらやましげに下る。
その思いもあってか、下りのなんと長いことか。大樺沢の激しい流れを横目に下る。 雪渓はもう消えかかつている。 カラマツソウの白色が疲れ眼にくっきりと浮かんで見える頃広河原に着いた。
ガスが小雨に変わっていた。

サのお花畑も終わり、バッドレスも頂上もガスで霞んでいるのをうらやましげに下る。
その思いもあってか、下りのなんと長いことか。大樺沢の激しい流れを横目に下る。 雪渓はもう消えかかつている。 カラマツソウの白色が疲れ眼にくっきりと浮かんで見える頃広河原に着いた。
ガスが小雨に変わっていた。