花 の 山 白 山 (1997.8.2〜8.3)

・駅弁は7時より発売(8月2日)

地下鉄の始発に乗って集合場所である大阪駅前のホテルをめざした。 私はまだ眠っている。
昨夜、朝が早いので昼の弁当は「駅弁」にすることにした。良いアイデアとその時は思った。

<「駅弁」は、朝もやの残るプラットホームで、青い帽子をかぶった中年の男が画板のような置き台に弁当を積み上げて売っている。
青い帽子の男は、姿勢をやや後ろに反り返らせてバランスを取り、釣り銭を束にまとめて用意して、少しだみのかかった流れるような売り声で小幅に売り歩く。「ベントゥー。ベントゥー。」>

そのような意識が、はっきりとはしないが私の中にはあった。
当然のことながら平成の大阪駅には、このような情景はすでにない。降り立ったホームのキオスクで「駅弁」のありかを尋ねた。 大阪の女性に特有のこだわりのない明るい笑顔で、それは1番ホームで7時より買うことができることを教えてもらった。

・ブナ林に包まれた白山

名神高速道路は大変混んでいて大阪から京都まで2時間もかかってしまった。バスの運転手の懸命な運転のおかげで登山口の別当出合には、予定より少し遅れただけでお昼の2時過ぎに到着することができた。
その間、私たちは幹事さんの手作りパンフレットを読んだり、リーダの白山の説明に聞き入って過ごした。

あいにく白山は雲がかかっていて見ることができない。命名の由来である「白く輝やいだ白山」は無理であっても、悠々とした白山を期待していた。少し残念であった。
それでも、登山口から望められる白山は豊かな青々としたブナに包まれた姿であった。

・南竜ケ馬場のフウロウ

そのブナ林の呼吸に合わせるようにゆったりと30名の仲間と伴に登りだした。
甚之助避難小屋を過ぎるころから道も緩やかになり、しばらくすると霧の切れ目から南竜の笹原が現れた。
そこに咲く淡いピンクのフウロウは、花びらを風に揺らしながら、これから始まるお花畑の案内役を十分に果たしていてくれた。
白山の名を冠にしたこの花は、一重の花弁で豪華さはなく花色もさして際立てるものでもない。 その花数も多く、道の随所に見ることができる。それでいてもこの花が美しいと感じるのは、 この花が持つ素朴で明るい性質と風に揺れるその仕草のせいだと思う。

・天空の遊泳

南竜山荘は、予約制になっている。花の時期に、一時に下界から大勢の人々が押し寄せるからだそうだ。併せて山の荒廃を防止する意味もあるらしい。
予約制は少しアンチョクな気もするが、この時期に一人一畳の寝床はありがたい。
夕食を終え、ビールでほろ酔い気分になったころ、小屋の外へ出てみた。 仲間の誰かが歌いだした。やはり後から歌う人が真打だ。自慢の一曲を聞き終わるころ、空には星の数が増えてきた。
私は星の名前は、北斗七星ぐらいしか知らない。理科の勉強をもう少ししておけばよかったかもしれないが、星は確かに星の数だけあった。
なにげなく空を眺めていると空は、暗闇が増すにつれ星がその分増えて明るさを取り戻して行くようだ。
さらに眺めていると足が地上から少しずつ離れていく。やがて近くの星から順に右の星、さらに先の左の星へと泳いでゆく。 手で空中を一かきするとそのスピードが増していく。天空の大遊泳である。

・山頂の岩桔梗

御前峰山頂に祠がある。富山湾からの白山は、航路の道標になったそうだ。日本海の荒海で白山を目印に航行する船乗りの気持ちはわかるような気がする。それが素朴な信仰の対象になったのだろう。
その祠の近くに岩桔梗が咲いていた。岩と岩の間に可憐に咲いている。
私が花の写真を撮るようになったきっかけの情景である。風雪をさえぎるものは何一つない。加えて養分となるものも少ない。繁殖の条件も極めて悪い。
そこで精いっぱい正直に咲いている姿は可憐である。

・百花繚乱

室堂周辺はお花畑がたくさんある。さすがに花の山として呼ばれるだけの花が咲いている。這松もみごとだ。
室堂で昼食をとって下山した。黒ぼこ岩、殿ケ池、別当出合へ戻る「観光新道」を通った。登りとは違った花々を見ることができるコースだ。花好きの人にはおすすめだが、尾根道が終わったあとの下りは滑りやすい岩道がある。おまけに階段状の下りが続く。
帰りのバスでは、幹事さん気配りのビールとウイスキーとワインを楽しんだ。
酔い心地を現す「酩酊」と言う言葉が好きだ。どの状態を示すのかは人それぞれと思うけれど、バスが高速道路を走っている頃私は、「酩酊」気分になった。
山行の心地よい疲れと山で見てきた花々が頭の中に咲き乱れている。「百花繚乱」となった。

とウイスキーとワインを楽しんだ。
酔い心地を現す「酩酊」と言う言葉が好きだ。どの状態を示すのかは人それぞれと思うけれど、バスが高速道路を走っている頃私は、「酩酊」気分になった。
山行の心地よい疲れと山で見てきた花々が頭の中に咲き乱れている。「百花繚乱」となった。