藤 原 岳(1997.3.23) 晴れ

「福寿草」と言う名前に興味があって、その花を見に行きたいと思っていた。

語感からから、ゆったりとした福々しさをその花に感じるからである。

「福寿草」は、京都の近辺では、見ることができないようである。

そこで、この花で有名な「藤原岳」に行こうと思っていたのだが、 花期に近ずくと風邪をひいてしまって、1週予定が遅れてしまった。

出かける前に、広辞苑で「福寿」をひいてみたが「幸福で長命なこと」とだけある。
春一番に咲くから縁起が良い花と勝手に解釈して、藤原岳へ出かけた。

京都から車で1時間30分で藤原に到着した。案外早く着いた。

裏登山口の聖宝寺道から登り出した。つづらおりの一本調子の登りが続き、 なかなかつらい。
風邪をひいているせいもあってかペースが出ない。

1時間くらい歩いただろうか、六合目あたりから黄色の花が、雑木の間に見え出した。

私も人の子、がまんができず、雑木の間をかいくぐって「福寿草」に対面した。
花びらは厚みを感じる深い黄色であり、花心を包むようなつぼみであった。
茎は、春に塔立ちしたほうれん草を思わせる。この花は、毒を持っているそうだ。

7合目あたりだろうか、登りが落ち着いたところで、「節分草」に出合った。
節分の時期に咲くからこの名前が付けられた花である。むろん旧暦の節分である。
畑に蒔いた豆が芽を出す時の様に、茎が、一冬雪の下で眠っていた枯れ葉の間から伸びて、 その先に葉と花を付けている。
花弁は白く薄く、雄しべの葯の紫が印象的である。枯れ葉の上に寝そべって、頬杖をついて、しばらくそれをながめた。「可憐」である。
なにかおまけをもらった気持ちになった。

道は、ちょっとした雪渓になった。日の当たる右尾根の斜面には、「福寿草」が一面に咲いている。このポイントが一番だと思う。

八合目で少し早い昼食にした。食事中に雑木の間を鹿が駆け抜けた。突然のことで驚いたが、あとになって考えると雌鹿だったろうか。

ここから上は、残雪と雪解けの泥田である。
福寿草の他に芹葉黄連、猫の目草、カタバミの花が咲いていた。


下山して忘れ物に気が付いた、ぐずぐず言っていた「風邪」をすっかり山の上に置いてきてしまった。


とになって考えると雌鹿だったろうか。

ここから上は、残雪と雪解けの泥田である。
福寿草の他に芹葉黄連、猫の目草、カタバミの花が咲いていた。


下山して忘れ物に気が付いた、ぐずぐず言っていた「風邪」をすっかり山の上に置いてきてしまった。