サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

69.人生に絶望なし!

 三朝温泉病院に移ってから、かの栗本真一郎教授の脳梗塞に関する著書を送ってもらった。この本を読むと、少なくとも発症時は私の方が軽症に思えたのである。私の発症時については「65.また参った!」のとおりで、「脳にマラカスの雨」が降ることも無ければ、意識障害も無い。取り分け死線をさまようなどという意識は全く無かったのである。

 ところが栗本先生、4ヶ月の入院生活と3ヶ月の通院で社会復帰を果たしており、最近ではゴルフのシングルを目指しているという。だからといって私のリハビリが悪かったとは思っていない。リハビリの状況については前回までに書いたとおりであるが、これはあくまで理学療法士の先生とのかかわりであり、これ以外に病院の機器や設備を使っての自主訓練があり、連日5時間以上リハビリルームに入り浸っていたのである。

 ただこのリハビリの訓練を受けるにしたがって、この病気の重大さに徐々に気がついてきたのである。発症当時のいつかは回復するという期待感が日に日に遠退いていく感じである。特に右手については転院に先立って行われた診断で、担当医師から「手のほうは絶望です。諦めてください」ときわめて断定的にいわれたのである。このときは前の病院でも「厳しい」と言われていたのでそれほど強いショックはなかったのであるが、それでも、心の中にはいつかは回復するのではないかという期待感は持っていたのである。

 更に栗本先生の著書によると、脳梗塞の患者の16パーセントから60パーセントが5年以内に死亡するという。この数字の幅を導き出す変数が何であるかは分からないが、かなりショッキングな数字である。ただ、逆の見方をすれば、84パーセントから60パーセントの人が5年以上の生存が可能ということになり、更には自分の未来など見た人はいないわけで、見たことも無い未来を憂いても仕方がないということである。いずれにしても、「未来達は人待ち顔に微笑」んでいるのであって、殊更考えなくと良いのかもしれない。

 しかし現実の問題として、市からの介護保険や、身体障害者の申請の書類を受け取ると、自分が身体障害者になった事実を認めざるをえない。それとこの病気による後遺症がある人は、その症状により下肢にプラスチック製の装具をつけることになり、この装具を見せられたとき少なからず抵抗を感じるのである。ツルッとしたプラスチックの肌がいかにも人のぬくもりを感じさせず、不気味なのである。出来れば、自分の足がそれを必要とすることを認めたくないし、自分はそこまでは悪くないと思いたいのである。

 それに何よりも自分が健常であった頃との比較で、考えても見なかった些細なことも出来ない自分に、絶望感に打ちのめされるのである。今後どのように生きるか、生きて行く目的は何なのか、これは脳梗塞に限らず、突然身体障害者になった人は皆同じなのかもしれない。

 「過去に拘ると未来を失う」はチャーチルの有名な言葉であるが、過去は過去、もう済んでしまったことである,
と考えたいのであるが、リハビリに取り組む中で、徐々にこの悩みが解消していくが、根底から解消するわけではない。「それでも過去達は優しく睫毛に憩う」のであろうか。

 尤も、健常者であったときも「自分はどう生きるか」などと真剣に考えたことがない。考えたこともないことに悩む必要はないのであるが、発症前と後のギャップがあまりに大きすぎるのである。

 それならば失ったものは何なのかというと、少なくとも意識障害は無いから(多分)、最も明確に失われたのは右手の機能である。もともと右利きだから、これを失うことの影響は大きい。ただ、失ったものを数えたらきりが無いが、3ヶ月半は文字通り単独での生活であり、少なくとも洗濯を含めて身の回りのことは全て自力だやってきたことであり、発症前と比べても大差ないことになる。

 更に、右手の代わりに、左手を利き手に変換するための「作業訓練」を行っているのであり、具体的には箸を使うこと、文字を書くこと、自分がしたい作業、私の場合は絵を書くことで、このとき作った千切り絵がこのサイトの「青葉台画廊」に掲載している。
 文字などは、最初は一の字すらかけなかったが、かなりに長文でも書けるようになった。勿論、お義理にも上手というわけではないが、右手で書いた妙な癖字よりは稚拙であっても真剣さは出ていて、まるで、あの良寛の漢字の字体である。もちろん日本の何筆かに入る良寛と比べるべくもないが、一生懸命に書いた見栄も衒いもない字体というものは意外と感動をおぼえるものである。

 もう一つ、これもほとんど諦めていた山登りである。勿論、通常の山登りは無理である。ところが車による山登り、またはその近辺までは可能性が出てきたのである。障害者用に車を改造できると言うのである。勿論、そのためには安全上のいくつかの手続を踏まなければならないが、挑戦してみる価値は十分にある。

 確かに、傷害を持つ身となって越えなければならない山は無数に立ちふさがっているが、いどむべき山があるということは生き甲斐であり、生きる目的であると考えたい。
 而して過去でも、未来でもなく、今が全てであり、目の前に現れた山をどうやって越えるかである。

 こんなことを考えている時にNHKの「その時歴史は動いた」という番組の再放送があった。この日は身体障害者法制定にまつわる、ヘレン・ケラー女史の「人生に絶望無し!」の再放送であったが、女史の苦しみに比べれば私のことなど、ものの数にも及ばない。何をすればよいかではなく、挑戦すべき課題はまだまだ十分にあり「人生に絶望」している暇はなさそうである。(02,01仏法僧)