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308.銭金の話し8

 それでは、西国の基準通貨である丁銀はどうであったかと云うと、まず、この丁銀とは、量目は不定だがおおよそ四十三匁前後で、額面は記載されておらず、量目によって貨幣価値が決まる秤量貨幣のことである。

 額面は天秤計りによる量目の実測値で、商取引において銀何貫、銀何匁と表記される銀目取引の通貨単位である。

 また、市民が悪徒を捕らえた場合や、幕府学問所での成績優秀者(素読吟味)に下賜される賞賜目的には四十三匁を銀一枚とする単位が用いられたのである。

 当初は、その量目は一定ではなかったが、慶長六年(1601)には、伏見銀座から慶長丁銀が鋳造され、以後、江戸幕府によって品位を一定に定められた丁銀が発行され、元和年間以降は常に小額通貨である同品位の豆板銀(小玉銀)を伴って発行されたのである。

 ただ、丁銀一枚(一両)が四十三匁とするなら、目方で百六十一グラム余りであり、現在の五百円硬貨二十三枚分の重さである。この何倍かを常に持ち歩いたというのはいかにも不便である。

 しかも、丁銀は額面の記載されていない秤量貨幣で、本来は使用のごとに量目を量る必要があるが、それでは扱いづらいため包銀の形で用いられた。

 これは、丁銀と同品位の少額貨幣である豆板銀を合わせて一定の量目にし、正しい形式に則って包装・封印された包銀は開封される事なく所定の金額の銀貨として通用したのである。

 銀数十匁にもなる丁銀は日常生活には高額過ぎ、豆板銀と異なり包封していない裸銀として支払いに用いられることはほとんど無かったということである。

 ところで、冒頭の弥次喜多の会話であるが、三貨の取り扱いについては、銭貨と銀幣の交換については、比較的容易に行われたのだろう。何故なら、慶長十四年(1609)に幕府は三貨の公定相場として金一両=銀五十匁=永一貫文=鐚四貫文と定めたが、これは目安とされ実態は変動相場制で市場に委ね、相場が行き過ぎた場合は幕府が介入するというものであった。

 さらに、東西間の経済活動が活発化するにつれて民間での金相場・銀相場は変動を生じさせ、幕府の定めた御定相場が形骸化するようになった。そのため、幕府は銀相場が下落していた実態に合わせて元禄十三年(1700)に金一両=銀六十匁=鐚六貫文に改め、更に、天保通宝が多量に流通し銭相場が暴落した時は、これをくい止めるために天保十三年(1842)に金一両=銀六十五匁=銭六貫五百文に改め、更に両替商に圧力を加えて御定相場を維持しようと図った。

 しかし、弥次さん、喜多さんや一般市民にしたら、その都度秤ではかっていたなら日が暮れてしまう。したがって、金幣と銀幣・鐚銭との間には変動しているが、銀幣と、鐚銭とはさほどの変動はなく、銀一匁は約百文と云うことで、弥次喜多は即座に対応できたのではなかろうかと思っている。

 江戸幕府の崩壊は、表面的には「尊王攘夷」の流れの中で、幕府としての本来の機能が発揮されなかったとされているが、怒涛のように押し寄せる貨幣経済の流れの中で、合理性に勝る銀幣を中心とした商業資本との経済格差を有効に抑えきれなかったことにあるのではなかろうかと思っている。

 なぜなら、一般の民百姓にとって、尊王や攘夷の事は人々の口には上ったであろうが、明日の飯さえ買えないような中で、それほど深刻に考えていたとは思えない。

 また古くからある身分制度に対する不満もなかったとはいえないまでも、時の体制を崩壊に追い込むほどのものであったとも思えない。もし、これが原因であるならば、尊王攘夷の主役ともいえる下級武士層が表に立つともなかったのではなかろうか。

 その根源は、幕府の貨幣制度において、貨幣吹き替えの出目を幕府が独り占めし、その経済的影響を全て庶民に課したことと、改鋳の結果、米を主体とする投機相場が生じ、諸物価は高騰し、庶民の生活をますます圧迫した。そして、この間隙をぬって、一分の富裕層によって富が退蔵され、ますますこの傾向に拍車をかけた。しかし、為政者である幕府はこれに対して有効な処置を講ずることができなかったことによる不満が爆発したのではなかろうか。

 近年、アメリカのプライムローンの破たんにより世界的な金融恐慌に陥っているが、これは、行き過ぎた市場経済の破たんであるとされている。

 戦後日本は、敗戦によりすべてを失い、強い経済統制のもとに経済・産業など全ての再生を目指してきた。やがて、日本人の勤勉さと、何よりも優秀さによって世界に例を見ない発展を遂げ、その結果、諸外国との間に経済摩擦を引き起こし規制緩和による市場経済へ方向を転換した。

 市場経済とは、社会全体の財の需要と供給は価格をバロメーターとする市場機構により調節されるとされて、自由な経済競争に委ねられるものでこの考え方は決して間違いではない。

 ただ、過度の市場経済は、バブルなど投機活動を引き起こし、貨幣が交換だけでなく、いわゆる勝者に因る暴走的蓄蔵がおき、本来市場に委ねられる筈の需給にギャップが生じ、貧富の格差が拡大する恐れがある。

 その結果、貧困層が生まれ、為政者に対して強い不満が生じることになる。かつて、日本は一億総中産階級などと云われたが、行き過ぎた市場経済のもとで、母子家庭や、契約社員などと云われる人たちの貧困の度合いは世界的に見ても目に余るものがある。

 人は等しく貧しい事には耐えられるが、理不尽な格差や個人の努力ではどうしようもない貧困は、政治の貧困以外の何物でもない。戦後六十年以上も経過する中で、今ようやく国民一人一人が政治に付いて考え始めたのではなかろうか(11.04仏法僧)

守貞謾稿「近世風俗志」:喜多川守貞著・宇佐美英機校注
江戸物価事典:小野寺武雄編著・展望社
折たく柴の記:新井白石著・羽仁五郎校注