サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

174.善玉菌

 近頃の雑誌やテレビは健康食品の花盛りである。午後の番組を見ているとどこかのテレビ局が必ず取り上げているほどである。それはそれでよいのであって異論を挟むつもりは毛頭ない。

 ただ、こうした健康食品も多分偉い先生がそうだと立証しているので間違いはないと思うが、問題はいくら健康によくても思いつきで摂った程度でよくなるはずがない。継続は力なりというが、まず、継続して入手できることが前提だろう。中には何処で、何時、誰から入手するのか分からないようなものまであり、いささか食傷気味である。

 とは言え、我が家でもテレビ番組で仕入れた情報を元に毎食欠かさず2品目以上の健康食品なるものを食べさせられている。ただ、どれをとっても取り分け嫌いというほどでもないのでかつての生活習慣病の現行犯としたら素直に食べることにしている。

 ところで、これら数ある健康食品の中で発酵食品といわれるものが特に注目されているようである。発酵食品とは微生物によって食品の成分が働きかけ、様々な新しい成分を創造し、それらが細胞や内臓に働きかけホルモンの分泌や細胞の活性化に役立っているということである。

 中でも日本古来の食品である納豆などは健康食品の中での優等生であり、我が家でも365日欠かしたことがない。続いて、回数も量も減ったとは言え酒類なども我が家では欠かせないもの中の一つである。
 ただ、これが如何にして体によいかといえば、しかとした理由立ては出来ないが節度のある適度の飲酒であればこの鬱陶しい世の中、ストレス解消の一助にはなっているのではないかと勝手に思っている。

 次が漬物の類である。我が家にもお宝並みの糠床があり、所帯も糠味噌臭くなったが毎食の糠漬けは欠かせない一つである。
 続いて何時ごろから始まったのか覚えていないが、自家製のヨーグルト、カミさんが誰かからもらってきた株から始まり毎夕食後のお決まりコースである。おかげで快食快便ということだが、私の場合、快便は何十年に渡る生活習慣であり、とりあえずは整腸作用のほうでお世話になっている。

 これ以外ではもっぱら調味料の世界で味噌醤油は勿論、酢・味醂の類とその種類は豊富である。その外、近頃では日本でもごく一般的な食べ物になったチーズなどもこの範疇に入るのだろうか。更に日常とまでは行かないがクサヤや鰹節などに加え、フナや鮎などを使った熟れ寿司なども発酵食品である。

 考えてみるとこれらの食品はいずれも微生物によって変身した物で古くからの人間の知恵で生み出されたものといわれているが、最大の功労者はこれらの変身をやってのけた微生物である。

 微生物にしてみれば何も人間に旨く食べてもらうために働いたわけではないだろうが、結果として人間の腹に入って消滅してしまうのだろうからなんとも割りのあわない宿命と言わざるを得ない。

 現在、読売新聞の朝刊に宮本輝さんの「賑やかな天地」という小説が連載されている。はじめは若い人達の賑やかな世界のことを想像していたが、ある人が趣味でこれらの発酵食品をテーマにした本を自費出版し、それを製作するためそれに関わるそれぞれの人達のことを描いたもので「賑やかな天地」とは微生物を含めた事らしくすばらしく面白い。

 昔、微生物ではないが我々の体内に寄生虫というのが居て小学生の頃時々、サントニンとかカイジン草という海草をせんじた薬を飲まされた。
 近頃トンと体内寄生虫のことが話題にならなくなったと思っていたらこの寄生虫、人間が死んでしまえば寄生虫も死んでしまうため人体にとどまっているのはそれなりの理由があるとある講演会で聞いたことがある。

 その理由については聞き漏らしたが同じく人間の体内には無数の細菌が居り、それらの細菌の中で人間にとって有益かどうかによって善玉菌と悪玉菌があるということらしい。

 微生物にしたら人間の都合で善悪を区別されたらたまったものではないだろう。彼らにもそれぞれに生存の理由があるのであって、もしかしたら人間が考えている以上に持ちつ持たれつ、和気あいあいにやっているのではないかと思うと何かうらやましくなる。

 考えてみると、この地球が一つの体だと考えてみると、地球上に居るあらゆる生物の中で善玉菌と悪玉菌はいったいどれだろうと考えて見ると、人間だけが悪玉菌のような気がする。

 食物連鎖といって、神は生きるために必要な殺戮は許容されたが、共食いと言うのは許されていないと言われている。
 最近の人間を見るにつけ生存にはまったく無関係のない、共食いにも劣る殺戮が繰り返されている。かつて、地球上の生物は地球本体から生み出される利息で食べていたが、近頃の人類はその元本にまで手を付け出したといわれ、やがてその咎めを受けることになろうといわれている。

 こういうといかにもオカルトめいて聞こえるが、限りない欲望の追求から離れて、一人一人が地球というかけがいのない星で、如何にして生命を維持するかと言う事を考えなければならない時で、もはや国家という従来の枠組みではなんともならないような気がしてきた。

 それにしても今度生まれてくるときは微生物に、それもこの地球にとって善玉菌でとして生まれて来たいと真剣に思っている。(04.10仏法僧)