サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

2.山の向こう

 私も中高年の例外ではなく、よく山に登る。どこに登るかと言うことは別のページに譲ることにして、何故山に登るかと言うと「山がそこにあるから」と言うほど崇高なものでもないようだ。テレビや新聞などで紹介されるとつい登ってみたくなる。その根底にはその山を登って頂上に立った時、その「山の向こうに」何があるかと言う興味が私を登らせているような気がしている。

 戦後、誰もが貧しかった頃、進駐軍がくれるチューイングガムやチョコレートに群がり、捨てて行った空き瓶や空缶を拾い集めた頃から、我々日本人の心の中には豊かな物社会「アメリカンドリーム」への憧れがあったようだ。
 その「アメリカンドリーム」の実現に向かって一億総人口が驀進してきたのである。それは一つの頂上に向かって四方八方から蟻の行列のように登ってきたのである。やがてその頂点を極めた。それがバブル経済の頂点とされる昭和の末期である。

 個人的にはその豊かな物社会の頂点を極める埒外であっても、自分の周りにはいたるところにその類がいた。日本人は少なくとも意識の中では物質経済の頂上を見てしまったのである。誰よりも豊かになろうと、ようやく辿り着いた頂上に顔を出してみると同じ想いの人達が一斉に顔を出し、しかもまだ後から後から退きも切らず続いているのである。この光景を想像すると滑稽でもあり、なんとも空しい。今消費の低迷する中で、景気対策としてやっきとなって消費回復策を講じているが、この物質文明の「山の向こう」を見てしまった日本で、消費を回復させるのは空しさの感覚が癒えるまで、難しいような気がする。(99.9仏法僧)