サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

6.役立たず!

 三年前に定年を迎えた。二年間の嘱託期間があったが思い切って辞めることにした。別に仕事が嫌いだったわけでもお金があったわけでもない。勿論、一抹の寂しさが無かったと言えば嘘になる。リストラの嵐が吹き荒れるこの時世にこんな制度があることは会社の恩典でもある。ただこの制度を享受している諸先輩の姿を見てきて定年になったら辞めようと心に決めていた。定年になった翌日からいわゆる全くの閑職である。終日ぽつねんと机に座り新聞を読んでそして帰って行くのである。
それで給料が貰えるならそれで良いではないかと言う考えもあるが、定年と言うのはサラリーマンにとって天下晴れて自由の身になったわけである。

 定年前に会社にも行かずに家でぶらぶらしていると「あの人は何だろう」なんてすぐ変人に見られる。ところが定年になれば家で何をしようが人に後ろ指さされる事はない。誰でもそれまでの人生の中で暇があったらじっくりとやってみたい夢は必ずあった筈である。それをいかにお金のためとは云え、二度と戻らない貴重な時間の大半を無意味に過ごす気にはなれなかったのである。

 勿論「自分はまだ充分に社会と向き合っていける」と言う自負が無かったわけではない。
ところが良く考えてみると、そのまま会社に残ったとしてもいかほどに社会に貢献できるかと言えば甚だ疑問である。「いやそんなことはない」とだれしも思う。そして「今ごろの若いものは・・・」などと直ぐ言いたくなる。自分は会社の中でもかなりの重鎮であり、自分がいなかったら会社など1日として成り立たないなどと思ったりする。
しかし実際にかなりの重鎮が退職して翌日から会社が成り立たなくなったなどの話は聞いたことが無い。世の中自分で思っているほど役に立っているものでもない。

 しからば家庭の中で自分はどれほど役に立っているのかと云うと、これがまた甚だ頼りない。引退して家庭に入って見ると想像以上に「役立たず!」であることに愕然とする。濡れ落葉と言われないまでも自分の居場所と言うのを探すのに骨が折れる。「だから会社に残った方が良い」などと言う事でいつまでも会社に残られたらこれほどのはた迷惑があろうか。

 かつて本田技研の創業者の世界の本多宗一郎氏の後を引き継いだ川島社長の言葉ではないが「世の中が巧く行かないのは若者の失敗によるものではなく、老人の跋扈が最大の理由である」を自戒の言葉として、せめて家庭の中で「役立たず!」と言われないようにしよう。(99.11仏法僧)